二人の軌跡

近藤 虎徹

第1話 映画化決定


 「先生、第2刷が決定しました。おめでとうございます。」あわてて受信したスマホの向こう側で、はしゃいだ女性の声がする。月野さんは僕のweb応募時代からの担当者だ。数年前、インターネットで小説を書くサイトを見つけ、気の向くままに暇な時に文章を綴っていた。


 いつの頃からだろうか、たぶん小学校4年生のときだったと思う。そのころから物語をよく読むようになったのだ。それは、当時、担任の先生が図書館で本をたくさん借りている人を発表していて、僕の名前を呼んでもらえるのがうれしかったのだろうか、それとも、ちょうど父親が入院し、看病で母親のいない家の中で妹と二人だけで夜半まで過ごすのに読書が最適だったのだろうか。きっかけは曖昧だが、本の世界に夢中になったことはそのころに間違いない。別に一人ぼっちが好きなわけではないが、本を読んでいる時はその世界に入り込み、時間を忘れて読みふけるようになった。本の中の世界は、自由で気ままで、恋愛も冒険も友情も体験でしたように感じていた。やがて本は、僕の精神世界を構築し、それぞれの物語の主人公の振る舞いが現実の僕を動かすようになっていた。大学は文学部に入り、三国志や水滸伝にのめり込んだことで東洋文学を専攻した。研究者を選択するほど熱意もなく、経済的な余裕もなくて義務教育の教員となった。中学国語で採用されたが、赴任先は小学校だった。あれから10年たった。

 ちょうど1年前、蛍光灯に小さな羽虫が飛び回り、風のない夜だった。一人で夕食を食べながらテレビを観ていたときだった。似たような顔立ちの女の子が、おそろいの服を来て曲に合わせて歌い、踊っていた。アップで映った女の子の顔を見て(見つけた!)と思った。左下のテロップをメモした。”NGY48"

 僕の投稿はそれ以来狂ったように熱をおびた。あっという間に書き上げたというわけには行かなかったが、フォローに励まされ、推敲に推敲を重ねて何とかweb応募にこぎつけたのだった。


僕は職員室の奥にある印刷機から離れて応接室にそっと入り、「月野さん!ゴメン…。今、仕事中なんだ。後で電話するから、切るよ!いいね。」と返事してスマホの画面をタップしようとすると…

「ついでに映画化が決まりました。先生!週末、上京よろしくお願いします。」

スマホから小さな声だが室内にわっと広がった。

 「えっ…。」スマホをスリーブ状態にしてポケットに入れて応接室を出ると職員室の雰囲気がさっと変わった。(もしかして聞かれたか?バレているかも。)

管理職はディスクトップの画面を厳しい表情で睨んでいる。スマホを事務机の上において急いで職員室から出た。廊下にはクラスの子どもたちが数人待ち構えていた。

「先生。何してたの?」隣のクラスの女の子が僕の空いた右手を引っ張ってブラブラさせて聞いた。

「おしっこしてた。」僕は毎回のように適当に答えるのだが、子どもたちはいつも受けてくれる。”ながーい”とか”ぞうさんみたい”など適当なことを言ってはしゃいでいる。天気のよい休み時間は外で遊ぶという生活のきまりがあるが、取り巻きを邪険にするとクラス運営に支障をきたす。新学期のはじめの頃は物珍しさもあって担任にベタベタと近づいてくる子どもは数人いる。GWを過ぎれば飽きてくるだろう。それでも近づいてくる子や休み時間もひとりでいる子は要注意だ。おとなとは話すことはできるけど、友だちと話すのが苦手で教師にまとわりつき、職員室にいつも入り浸る子もいる。保護者に診察をすすめると”発達障害”と診断されることが多い。

 ちょっと大人びた子が質問してくる。「先生、好きな人いる?」

僕はすかさず「クラスのみーんな!」と答える。男の子が、僕を見ながらスキップしている。前を見てなくても柱にぶつからずにスキップできるのが子どもの不思議なところだ。おまけに意識をしなくても核心をついたドキリとした質問をすることがある。

「本当?じゃあ、好きなタレントとか俳優っている?」コンクリートの柱にぶつかりそうだったので、繋いだ手を引いてあげながら男の子に「いないなー。先生はリアルなのが好きだから。」と答える。

最初の女の子が「えーっ。松岡勇菜なんてどう。無茶苦茶かわいいよ。」と無垢な表情で、あり得ない組み合わせを提案してくる。階段前を右に曲がれば教室まで後少しだ。「ムリムリ。住んでる世界が違うよ。さあ、次は算数だから教室で準備するよ。」子どもはぶら下がったり、掴んだり、くっついてきたり叱られているとき以外はとても幸せそうだ。「えー。先生!偉い人も言ってるよ!世界はひとつだって。」子どもの理論て何だろう。不思議な感覚だ。


 月野さんに呼び出されて、名古屋駅から新幹線に乗って東京にでかけた。アパートから東京の飯田橋駅まで3時間はかからない。最初のころはお上りさん気分で新鮮だったが、どこか観光地でも入れないと楽しみがなくて苦痛に感じるようになってきた。出不精というか用事がない限り僕は外出しないタイプなので、観光ぐらいの刺激がないと、精神衛生上よろしくないかもしれない。何より、東京駅新幹線の改札口を出ると、とたんに膨れ上がる人の群れにものすごい圧迫を感じるのだ。名古屋だって人が多いのだが、東京駅の比ではない。人にぶつからないように泳ぐように乗り換えて、昼なのに座れない地下鉄に乗って移動した。

 ビルの受付で月野さんを呼び出してもらう。ボーっと行き交う人を見ているとパンツスーツの女性が近づいてきた。

「先生。遠いところありがとうございます。今日は、映画化についての契約の説明と制作委員会を立ち上げますからプロデューサーと監督を紹介します。」月野さんはエレベーター・ホールを目指してスタスタ歩いて行く。どうも東京の人は時間の流れが違うようで、こちらより時間のリズムが短いらしい。小走りに追いついて尋ねた。

「映画化にともなって収入がまた発生するんですよね。版も重ねると言うし。」

「当然ですよ。売れるのが嫌なんて変です。どうしてでしょうか?でも、先生!大丈夫ですよ。当社でも現役の公務員が執筆している本を多数出してますから。ただ、仕事の延長線上の実用書や専門書ですけどね。独立行政法人の大学教授なんて副業で稼いでいるようなもんです。」エレベーターのドアが開く。誰もいないのでそのまま月野さんと話しながら中に入る。

「公務員は副業禁止だからなァ。所得税や住民税がみんなと違うとバレるんだろうな。ガッコのセンセと恋愛小説は関連ゼロだし…。」僕はこのエレベーターは新型なのかエレベーター内を液晶画面で表示している。中にいる人が中の映像を見ている不思議にとらわれてしまう。

「大丈夫です。ただ、宝くじが当たったときのように妬みから職場に居づらくなるかもしれません。先生もそろそろこの道一本にされたらどうですか?」

「小説の神様は、僕に1冊分しか書く力を与えてくれない。次の作品はないと思う。」


エレベーターは7階で止まった。何度か訪れたことのある編集部を通り過ぎ、窓辺の会議室に入る。先客は5人で、そのうち1人は女性だった。みんな僕より年上の感じがした。

「原作者の松野センセイです。こちらはプロデューサーの橋本さん、監督の田口さん、脚本の金澤さん、本社宣伝部の前川、テレビ局の出口さんです。よろしくお願いします。では、打ち合わせを始めましょう。」

 文字の世界を映像化する世界を僕は異次元だと思った。原作のエピソードが時系列に整理された表に人物が加えられる。人物関係図もとても豊富で複雑になった。特にメディア業界の様々な分野と一般企業のつながりによって原作は跡形もなく改変されそうだし、芸能事務所も所属する俳優の売り込みで僕のイメージとはかけ離れた人物が選定されそうだった。

「原作では、脇役の男性が居酒屋でバイトするという設定ですが、スポンサーにR社がつきますので24時間スーパーの夜間バイトという設定になります。」橋本さんはプロデューサーとして全体を総括するので、ココぞとばかりにテキパキと決めてしまう。男優は、監督の作品にこのところ出ている岩田栄慶が選ばれた。顔だけのイケメン俳優より、チンピラから気の小さいオタクまで芸巾が広いのが特徴で適役だと思う。

「主人公の女優ですが、リストはレジュメp5の通り5名から選定します。青山ひとみは、前期クールのテレビドラマで視聴率15%を超えるヒットを出しました。一押しです。奥田夕海は、昨年の朝の連ドラで主人公を演じました。連ドラでは2つ前の作品で主人公の妹役をやりました。映画の主役は初めてです。田辺由美香と渡邉真紀は、ベテランなので高校生を演じるには無理と思います。松岡勇菜は、御存知の通りNAG48から卒業したばかりで、女優を目指していますが、いきなり主演映画はむずかしいですね。」どうやらプロデューサーは青山ひとみを主役にしたいらしい。僕は部外者に等しいので、黙っていようかと思ったが口を挟んでみた。

「僕は、松岡さんに人を引きつけるようなオーラというか魅力がとてもある人だと思います。地方のユニットからファン投票で選ばれて、東京に出てからも人を押しのけてもという感じじゃない控えめなところがファンに受けていつの間にかセンターに立っている人という設定です。この小説の主人公は普通の女の子が、その魅力に気づいた男の子の励ましをバネに格差を越えて女優をめざす物語なんです。松岡さんは今は埋もれているけど、きっと映画を撮り終わったときは光り輝いていると思います。橋本さん、そう思いませんか?」

 僕が誰よりもその魅力を知っている。それはずっと昔から変わらない。だから、決して僕は彼女をひいきしているとは思っていない。










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