第7話 サクラのお山へ
「慎太、悪いが今はおまえたちの相手をしている場合じゃあないんだ」
濃緑の国民服を
「この学校も危ないかもしれないんです!」
それでもめげずに、慎太は言う。
「そんなことはない。ここは村のなかでも高台にあるんだ。学校を出たらそれこそ大変だ。なんならおまえたちだけで逃げたらいい」
老人のひとりは、子どもが何を言うと小馬鹿にした。
慎太は悔しげな目を向ける。
「いいよ、わかった! おい、みんな。みかんの後へついていくぞ!」
かえでは大きくうなずいた。
あわてたのは
「ちょっと、慎太くん! 何を言ってるの! こんな台風の真っただ中に外へ出るなんてっ」
子どもたちの祖父母や母親たちも驚いた。
みかんは教室の出入り口のところで、ハァハァと舌を出しながら待機している。
かえでは祖父母の手を引いた。
「お願いっ、おじいちゃん、おばあちゃん! 一緒に行こう!」
老いた夫婦は互いに顔を見合った。
「さあ、行くよ!」
慎太は妹の夕子の手を引き、号令を掛ける。
「おい! 慎太! だめじゃ!」
慎太の祖父が走り寄って止めようとした。子どもたちは一斉に走り出す。
「こらぁ! おまえたち! 大人の言うことを聴かんか!」
村長と
かえでは岳斗の手を握りしめ、祖父母に真剣な眼差しを向ける。
「おじいちゃん、おばあちゃん、かえでの一生に一回のお願い。どうか信じて下さい」
祖母はかえでを見つめ、そして祖父の腕を持った。
「おじいさん、この子はウソをついてはいませんよ。わたしは信じます」
「うむ。そうじゃな。可愛い孫のお願いとやらを聴くとするか。さあ、皆の衆、濡れついでじゃ。子どもたちの言葉を信じてやらんかのう」
「ひ、
先ほどの老人が叫ぶ。
「わたしも、子どもたちを信じます」
中間先生が意外に大きな
「それはいかんぞ、先生」
村長は威厳を持たそうと、胸を突き出す。
「情報もなにもないなかで、ただじっと待っているなんてわたしはイヤです。それに教師として子どもたちを信じられないのなら、わたしは教師失格です」
他の老人や女性たちは、村長に従ってここで待機するのか、それとも子どもたちや中間先生についてどこかへ移動すべきなのか互いに顔を見合ったままだ。
かえでの祖母が一歩前へ進み出た。
「さあ、皆さん。万が一この学校が何ごともなければ、また戻るとしましょう。ねえ、駐在さん」
問われた駐在さんは、
確かにこの建物だって、かなり年季が入っているのは間違いない。
先ほど見てきた鉄砲水が、もし周囲の土砂を削って濁流となって押し寄せてきたら、この場所だって大丈夫だという保証はない。
ただ子どもたちがいったいどこへ向かおうとしているのか、それもまた不安であった。
「村長」
駐在さんは振り返った。
「この戦時下じゃあ、お国に頼るわけにもいくまい。それに、ほら」
指さす天井はすでに大雨による染みが広がり、ボタッボタッと太い雨水がしたたり始めていた。
さすがに村長も決断せざるを得ない状況であった。
「ううっ、わ、わかったぁ! しかし、いったいどこへ避難せえ言うんじゃ!」
すでに慎太を筆頭に子どもたちが入口から出てしまっており、中間先生やかえでの祖父母もいない。
「お、おしっ、全員ここから避難じゃ! 続けっ!」
とたんに残っていた大人たちが入口に殺到する。
「オォーイッ! 慎太ぁ! 待ってくれぇ!」
村長たちは荷物も持たずに走り出した。
校舎の外は荒れ狂う暴風雨で、まともに顔を上げて走れる状況ではない。
太陽は厚い雲に隠され、足もとさえ確認が難しい。
かえでは岳斗の手を絶対に離すまいとしながら、泥状態の道を駆ける。
「みんなぁ、ついてきてるかぁ!」
慎太はずぶ濡れの顔をしかめながら、時折後方を振り返った。
「大丈夫っ」
子どもたちは互いに手を取り合いながら、叫び返す。
慎太の前で、みかんは何度も身体を方向転換しながら確認するような仕草を見せる。
泥の道を短い四足で走りながらも、不思議とみかんの身体は汚れてはいなかった。
みかんは学校の裏手の道を、跳ねるように走り登る。
「お、おねえちゃん!」
「なに、岳斗? しんどくなってきた? もうちょっと頑張ろう」
「平気だいっ。そうじゃなくて、みかんは僕たちをサクラのお山へ連れていくんじゃないかな」
かえでもそう思った。緩やかな勾配のついた山道に入ってきている。周囲の木々が暴風を受けてきしむ音が不気味だ。
ただこの木々が強い風を防いでくれているようにも思える。
だから泥に足を取られることもなく、前へ進んで行ける。
空を台風の雲が真っ黒に染め、さらに大粒の雨を地上へ叩きつけていた。
「あっ、もっちんのお
先頭を行く慎太が立ち止まり、かえでたちを振り返った。
下のほうからは大人たちがヒィヒィ
サクラのお山の中腹辺り。小さな神社の周囲に生える桜の木々がゆるやかにしなっていた。
かえでが感じたとおり、お社の周囲は下ほど強い風が吹いていない。防風林の役目を樹木が果たしてくれているのだ。
みかんは鳥居をくぐると、本殿とも呼べぬ小さなお社の前で輪を描きながら走り回る。
「ねえ、慎太くん」
「うん?」
「もっちんは、もっっちんはどこにいるの?」
かえでは岳斗の手を握りしめたまま、お社を注視した。
子どもたちも「もっちーん、どこにいるのぉ」と口々に叫ぶ。
遅れて到着した村人たちは荒い息をつきながら、お社前で立ち止まった。
「全員ついてきてるかあ!」
村長は揃っている顔ぶれを確認する。
「こんな時に山登りなんてさせられて、かなわんなあ」
口の悪い老人は眉間にしわを寄せながら、かえでたちを睨んだ。
その時だ。
ゴゴゴウッ! と大地震の前触れのような地鳴りが全員の耳に聞こえてきた。
「ああっ! 見ろ!」
駐在さんが大声で叫んだ。
かえでは大きな目元をさらに広げ、登ってきた下のほうを見る。
決壊した
悲鳴が上がった。
集中豪雨によって山津波が発生した。
(第8話へつづく)
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