第8話 消えたもっちん

「アアッ!」


 全員が身をすくめ、その様子に釘付けとなっている。

 誰しも経験したことのない大自然の恐怖に、完全に忘我状態となっていた。

 

 かえでは岳斗がくとの身体を抱きしめ、ギュッと力を入れる。岳斗もカタカタと歯を鳴らしながら、必死にかえでにしがみついていた。

 山津波は点在している家を押し崩し、さらに先ほどまで全員がいた小学校の校舎へその牙をむける。

 木造の校舎がきしみながら、それでも倒れることはなかった。だがもしあのまま残っていたら、間違いなく土砂に飲み込まれている。

 

 かえでは悲鳴こそ上げなかったが、空襲による町の被害を重ね合せた。

 ふと遠くのほうから声が聴こえることに気づいた。

 かえでは頭を巡らせる。

 その目が一点のところでとまった。


「みんな! あそこよ! もっちんがあんなところにっ」


 かえでが指さす方向へ、子どもたちは顔を向けた。


「あっ! もっちんが」


 おやしろのすぐ後ろに立つ大きなスギの木のテッペンだ。

 なんと、そこにもっちんが立っていたのだ。

 ビュンビュンと吹く風に、スギの木の先端は大きく揺れている。

 もっちんは浴衣ゆかたが風でめくられているのを気にするでもなく、器用にバランスを保っている。


「み、みかんが!」


 照美てるみは走り回っていたみかんの姿を追いながら叫んだ。

 子犬はスギの木の幹を走りながら上り始めたのだ。まるで野生のひょうのように。

 子どもたちは唖然あぜんとした。もちろん大人たちには見えていない。

 それよりも濁流だくりゅうによって誰も尊い命を失わずに済んだことに、胸をなでおろしている。

 

 もっちんはまるっこい手を筒にして、大きな声で叫んでいる。


「おおーいっ、風神ふうじんさまぁ、山の神さまぁ! どうかこれで堪忍してけろーっ。ここの村の皆さは、みんな良いお人だでぇ、堪忍してけろーっ。

 おらぁ、この村の産土神うぶすながみだぁ。ここはおらがずーっと見守ってきている大切な村だべえ。どうかぁ、どうかこのおらに免じて許してくんろーっ!」


 ウブスナガミ? えっ、もっちんって神さまだったの?

 もっちんはこの花咲はなさき村を何十年、いや何百年も守ってきた神さまだったの?


「もっちーん! みんなは、村のみんなはここにいるよーっ」


 かえでは暴風でかき消されようと、あらんかぎりの声でもっちんに伝えた。

 もっちんはずっとこの土地に住んでいるから、知っていたのだ。

 川が決壊し山津波が起こっても、このサクラのお山なら大丈夫ということを。

 だからみかんを呼びにやらせたのだ。

 そしてもっちんは危険をかえりみず、荒ぶる神さまを収めようとしているのだ。


「かえでちゃーんっ、みんな助かって良かっただあ! おら、なんとか風神さまと山の神さまにお願いするだぁ。そこにいれば大丈夫だでなあ!」


 もっちんはかえでの声を聴きとった。

 おもむろに着ていた浴衣ゆかたをはぎとる。真っ白なふんどしが音をたててはためく。

 両手で浴衣を高く持ち上げ、力の限りふった。

 その足元にみかんがたどりつき、今度はもっちんの頭に向かって駆けあがって行く。


「風神さまーっ、聴こえるだかぁ! 心優しい村人を、どうにか許してやってくんろー! 山の神さまーっ、一生懸命肩を寄せ合って生きてる人間さまを、見捨てねえでけろー!

 代わりにおらをもっていけえーっ。おらはこの子たちと初めて仲良く遊んでもらっただよーっ。楽しかっただぁ。だから、この子たちを助けるためなら、おらはどうなってもいーべぇ」


「ダメよーっ、もっちーん! もっともっと、みかんも一緒に遊ぶんだからぁ」


 かえでは顔を叩く雨すらもう気になってはいなかった。

 たった独りで、気の遠くなるような日々、村を見守っていた産土神もっちん。

 やっとかえでたちと仲良くなって、嬉しそうに校庭を走り回ったもっちん。

 

 慎太しんたも、岳斗も、照美、夕子ゆうこ寛治かんじも、声をそろえてもっちんに叫んだ。


「もっちーん! 早く下りてきてぇ」


「台風がいっちゃったら、またみんなで遊ぼうよう!」


 もっちんは子どもたちを見下ろし、満面の笑みを浮かべた。


「みんなぁ、おら嬉しいだよ。おらに気づいてくれて、仲良く遊んでくれて。ありがとう。でもおらは、この村を守らねばなんね。おらはこれでも産土神だから」


 もっちんはコクリと頭を下げて、子どもたちに礼を言った。


 ゴウウッ! 一段と強い風が塊となってスギのテッペンを叩いた。

 一瞬であった。ビューンッと風にさらわれるように、みかんをのせたもっちんが宙に舞った。


「アアッ!」


 かえでは開いた口を片手で押さえた。

 もっちんとみかんは風に翻弄ほんろうされるように、さらに上空へ飛んでいく。


「もっちーんっ!」


 悲鳴のような叫び声で子どもたちはわめいた。

 もっちんとみかんの姿は、真っ黒な雲の中へ消えて行ったのであった。


 ~~♡♡~~


「さあ、到着よ」


 美由紀みゆきは愛車を広い敷地に停めた。

 そこは山を一部切り崩した造成地となっており、左右には緑の生い茂る小高い丘陵地となっていた。

 平らに盛り土をされた大地には重機が静かに陽を受けている。


「もっちんはどこへ飛んでいっちゃたの?」


 悲しげに目を潤ませながら、里香りかはかえでに訊く。


「それがねえ、わからないの」


「えーっ、どうして」


「もっちんが雲に飲み込まれた直後から、さっきまでの暴風雨がウソみたいに弱まってねえ。村のみんなは命が助かったことに感謝したわ。

 もしみかんが迎えに来てくれていなければ、慎太さん、つまりあなたの大おじいちゃんが決意しなければ、全員濁流だくりゅうに飲み込まれていたの。

 それでも大人たちはまだ信用していなかったけどね、もっちんのことを」


 かえでの言葉にうなずきながら、先に乗用車を降りてバックドアを開く美由紀が言った。


「その後が大変だったんでしょ、大おばあちゃん。お家も何もかも土砂に飲み込まれて」


「そうね、大変だったわよ。でもねえ、都会に比べればと、そんな弱音を誰もはかなかったわ。空襲によって家を焼け出されたんじゃないから。

 それでも男の人がいないのは、ちょっと辛かった。だからわたしたち子どもも、一生懸命働いたわよ」


 美由紀はスロープに車いすを載せる。里香も降りてきて手伝った。

 

 幸い難を逃れた家もあり、村人たちは力を合わせて復旧活動を行ったのだとかえでは言う。


「その間もわたしたちは、もっちんやみかんを捜しに山に登ったり川を見に行ったけど、とうとうもっちんをみつけられなかった」


 かえでは悲しそうな表情を浮かべる。里香は感情移入したのか、大粒の涙を頬に伝わらせていた。


(第9話へつづく)

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