第6話 走ってきた、みかん

 豪雨は大型台風の影響であった。

 降り始めてすでに二日経つ。


 玄関が開かれ、風と雨を伴って祖父が帰ってきた。

 お昼をまわった時間帯であるが暗雲に太陽は隠され、家の中は夜のように暗い。

 祖父の着ている合羽かっぱは、雨の滴で水浸しだ。


「お帰りなさい」


 祖母はすぐに何枚か手ぬぐいを取り出し、祖父に渡した。


「どうでしたか、おじいさん」


 心配そうな祖母の声に、祖父は小さく首を振る。


「村長たちと話してきたんじゃが、この雨はもっと強うなるみたいじゃな」


 かえでは岳斗がくととちゃぶ台で教科書を開いていたが、驚いて顔を上げる。


「家の中なら安心でしょうに」


「いや、さっき駐在ちゅうざいさんがご苦労なさって花咲はなさき川の上流まで見に行ったそうじゃが」


 そこで祖父はいったん口を閉ざす。


「まだ大丈夫のようじゃが、このままだと山が崩れてくる可能性があるようじゃ」


「おやまあ! それで、どうしろと」


「村のおもだった連中と話し合っての、全員一度家を出て学校の校舎へ避難することになるわい」


 岳斗が心配そうにかえでを見る。


「あそこはここら辺りでは高い位置にあるからのう。まあ少しの辛抱じゃ」


 それからがあわただしかった。

 かえでと岳斗は防空頭巾をかむり、教科書を入れた布かばんをタスキがけにする。

 祖父母はご先祖の位牌いはいやら食料をつめたかばんや風呂敷包みを抱えた。

 

 傘はもう役に立たないほどに風が吹き荒れていた。

 四人はそのまま学校へ向かった。

 校舎のなかに、次々と村人たちが避難してくる。

 頼りになりそうな大人の男性は、再来年定年を迎える駐在さんと、同級の村長さんくらいだ。

 あとは歳をとった老人と、子どもたちの母親だけである。

 

 かえでは慎太しんたたちと合流すると、少し安心した。

 校舎内では村長や主婦、それに中間なかま先生たちが手分けして食料や寝床の準備に入っている。

 

 子供たちは五人がかたまって、車座になっていた。


「どうなるのかなあ」


 幸吉こうきちがしょんぼりした声で、誰にでもなくつぶやく、


「じいちゃんが、ここにいれば安心だって」


 夕子ゆうこが兄の慎太しんたに同意を求めた。


「うん。まあ学校なら建物は頑丈だし、みんなといれば大丈夫さ」


「そういえば」


 かえでは忘れかけていたことを思い出した。


「もっちん、もっちんは大丈夫なのかな、独りで」


 とたんに子供たちは下を向いた。

 大人でさえ歩くのが困難な暴風雨である。まさかもっちんの様子を確認しに校舎を出るわけにはいかない。


 どれくらい時間が経ったのか。まだ夕暮れ前だというのに外は夜のように闇が覆っている。

 教室内には村に住む全員がそろっていた。誰かが持ってきた音声の悪いラジオの音が、窓ガラスを叩く雨音にかき消されそうだ。

 ダダダッと木の廊下を走る音が聞こえてきた。

 ずぶぬれの合羽姿は、駐在さんであった。定年間近とはいえ、村で唯一の警察官である。


「みんな、聞いてくれ!」


 駐在さんは開け放たれた教室の入り口で、仁王立ちになっている。

 ザワザワしていた教室内がシンと静まる。


「もう一度、花咲川の上流へ行って様子を見てきたんだが」


 ゴクリ、数人が嚥下えんかする音がやけに大きく聞こえる。


「鉄砲水が大量に押し寄せてきよる!」


 悲鳴に近い声が教室内に響き渡った。


「ちゅ、駐在さんよ、それは確かかね」


 かえでの祖父が訊く。老年に近い警察官は顔に流れる雨水を拭うことすら忘れ、うなずいた。


「この村は谷合いにあるけど、今まではそんな話は聞いたことないわい」


 老婆が防空頭巾に手をやってうめくように言う。


 そこへ中間先生が走ってきた。


「学校の電話は断線したらしく、どこにもつながりません」


 かえでは怯えた。

 町では爆撃機に、疎開した村では豪雨に襲われるなんて。

 でもこの学校なら安心だって、みんな言ってるし。


 かえではしがみついてくる岳斗の肩をギュッと握った。

 窓の外から激しい風雨の音に混じって、ゴーンともドーンとも聴こえる不気味な地鳴りが響いてきた。

 その時だ。

 かえでは廊下をまっしぐらに走ってくる黄色い影を目にした。


「アッ、みかんだ!」


 岳斗が指さす。

 かえでたち子供は、教室内へ走り込んできただいだい色の子犬を見る。首から下げたひもが宙をひらひらと舞っている。


「どこへ行っていたの」


 岳斗はピョンピョンと跳ね回るみかんに訊く。

 ところが祖母は「岳斗、なにを言ってるんだい」と、驚いた顔をしている。


「えっ? おばあちゃん、これがもっちんの飼ってるみかんだよ」


 祖母はきょとんとした表情を浮かべた。祖父が岳斗の頭をなでる。


「きっと怖い思いをしてるから、幻でも見てるんだ」


「違うよ、おじいちゃん! ねえ、みんな」


 岳斗はかえでたちを振り返る。

 確かにかえでにも、みかんが懸命に跳ね回っている姿を見ている。

 慎太たちも同様にうなずく。

 

 中間先生が手を挙げた。


「みなさん、わたしはまだここ学校へ赴任して間がありませんが、万が一の時にはこの校舎にいて大丈夫なんでしょうか」


 駐在さんが答える。


「多少の鉄砲水や山崩れなら、ここにいれば安心だ、と思われるが」


 最後のほうは声が小さくなっていく。

 教室内に立つ老人たちは顔を見合わせるばかり。彼らでも「大丈夫」と自信を持って言えなかった。


「あれっ、みかんの様子が変だよ」


 寛治かんじひざまずいてみかんの顔をのぞく。

 確かにみかんは吠えてはいないが、くるくると小さな体躯を回転させながら、何かを伝えようとしているようなのだ。

 するとシビレを切らしたのか、みかんがかえでの履くモンペの裾を噛んだ。


「ああ、だめよみかん。モンペが破けちゃう」


 だがみかんは噛み破るというよりも、かえでを引っ張っていこうとしているように見える。

 子どもたちは顔を見合わせた。今までみかんがこんな噛みつくなんて行為をしたことがなかったからだ。


「ねえ、おねえちゃん」


 岳斗がかえでを見上げる。


「もしかして、みかんは僕たちをどこかへ連れて行こうってしてるんじゃないかなあ」


「えっ」


 みかんは岳斗の言葉に噛んでいたモンペから口をはずすと、岳斗の言葉を理解しその通りだと言いたげに何度も首を縦に振る。

 子どもたちの様子を不審げに見ていた中間先生が、かえでに訊いた。


「あなたたち、台風が恐いのね。でもここにいれば大丈夫みたいだから、みんなで輪になって座っていましょう」


 かえではしゃがみこんでみかんの頭をなでていたが、今まで見たこともないみかんの表情に中間先生をふり仰いだ。


「先生、ここにいるみかんの姿は、やっぱり見えない?」


「うん、ごめんね、かえでさん。先生にはあなたたちが頭の中で作り上げた、架空のお話をしているようにしか」


「ウソなんていってないよ!」


 控えめな性格の幸吉が、むきになって言葉を荒げる。

 村長、駐在さんはそんなやりとりを無視するかのように、話し込んでいた。


 みかんは子どもたちの足や手を、甘噛みしながら引っ張る。

 かえでは慎太と目を合わせて、うなずいた。


「村長さん、駐在さん、聴いてください!」


 慎太は思い切って大人たちが話しこんでいるなかへ割り込んだ。


(第7話へつづく)

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