怪物道


          4


 御山へ帰ったのはいつぶりだったか。

 中腹あたりに建立された弥勒菩薩下生信仰の寺院である勒穏院までの参道は人が行き来しやすいように石段が整備されていた。参詣者を目当てに蒸し羊羹やら団子やらを歩き売る者や店なんかもみえ、すっかり景観が変わってしまっている。楽になったと感心もすれば、これでは修行にはならないとも思う。しかし、自分も年をとったもので、手にした錫杖しゃくじょうまでもが杖代わり。

 年とはとりたくないものだ。それを有り難いと感謝してしまっていた。

 白勒は額に浮かんだ汗を皺の刻まれた手で拭う。



 勒穏院を越えれば見慣れた樹木の生い茂る景色が迎えてくれた。低い山だが意外に険しいのが高尾山。歩き通しで疲れたところにこの山道は少々堪える。

 白勒は足と腰を休めようとちょうどいい感じに突き出た岩に落ち着ちつく。すると背後の崖から飛び出すように横へと延びた松の木の上から「子天狗だ」「子天狗ネ」と懐かしい呼び名で呼ぶ声がして、白勒は思わず顔を綻ばせた。



「よぉ! ユウマオ、久しぶりだな。田彦の野郎はどうしてやがるんだ?」



 声をかければ、頭上にいた若い姿をした雄の狒々が二人、するすると器用に木を伝って崖を下りてきた。

 二人そろって深い色の肌に濃い瞳。それに彫りの深い大陸顔。狒々の血が濃い証だ。

「ずいぶんとご無沙汰だったけど、すっかり年いっちまったなぁ、白!」

 丸顔の、丈の短い円領袍えんりょうほうをまとった熊が目を細めて笑い。白勒の肩を叩いた。

 もう一人の童顔で大きな目をした猫も長袍チャンパオの袖で口元を隠して笑う。

「オレ達三人で連んで遊んでた頃にゃあ、そりゃあ可愛い子供だったってぇのに、老け込んじまってよぉ。まるで人間みてぇじゃないか」

「あたぼうよ。こちとら骨の髄まで人間なんだ。人生六十年も終わりに近づきゃ、当然、足腰が立たなくなって天狗だ何だと言われて気味悪がられた力も人並みさぁ」

「そう言えば、前ほど覇気を感じないネ」

 と、猫が答えれば二人の狒々は顔を突き合わせ首を傾げた。

「怠けたな」

「怠けたネ」

「うるせぇやい。年だよ年! 髪も真っ黒ふさふさ禿知らずだけど、もう五十過ぎてんだからほっとけ」

 そう言って白勒は自らの髪を掴んで見せた。

「坊主がふさふさの頭を自慢して何になるってぇんだ。この怠くら坊主は剃髪もしねぇで。そろそろ、弥勒菩薩様も呆れてものが言えなくなるぞ」

「そうネそうネ。坊主は禿げてるものヨ。ツルッ禿げ。禿こそ売りの生き物ネ」

「俺ぁ、そんな珍妙な生き物になった覚えはねぇよ」

 変わらない友との会話に安堵して笑いあう。無理をしてでも帰ってきた甲斐はある。

「ところでお前達、親父殿の塚の件で来たんだが……田彦は屋敷にいるか?」

 古馴染みに会いに来たのはあくまでついで。本題はあくまで、鵺塚の封印が解かれたことを知らせるのと、『彼』の疑いを晴らしたいが為。

 すると、熊が顔色を曇らせた。

「いるこたぁいるんだが……」

 言葉を濁しはっきりとしない彼の様子に白勒は懸念していた事態を確信する。

「何かあったんだな?」


 熊と猫の二人は顔を見合わせて思案し、二人揃って頷いた。



          *     *     *



「ユ、ユキ? 本当にこの道は大丈夫なんだろうな? ――ひぃ!」

「まったくもって、情けない。玉付いてんでしょうが」

 二股の尾を持ち二足歩行で歩く猫に悲鳴を上げる桐辰を将寿が呆れ混じりに叱咤する。先程から何かとすれ違う度にこのやりとりを繰り返しながら歩いていた。

 町並みは変わらないのに、その空気は重く垂れ込むように暗く、人間の姿は見あたらない。その代わりにありとあらゆる魑魅魍魎ちみもうりょう跳梁跋扈ちょうりょうばっこが徘徊していた。

 狐狸に、猫に鼠、鼬に蛇に虎までもが我が物顔で闊歩する。かと思えば、人の姿を借りて歩く者もいるのだが、何処かしらがおかしかったりした。


 そこを二人と一匹、まるで自分達が異質になったかのように異質な町をゆく。


 何食わぬ顔で先頭を行くヒノエの後ろに将寿が続き、桐辰はその将寿に縋るように彼の袂掴んでいた。

 そんな三人を、他の妖達は物珍しそうにジロジロと観察していく。まるで見世物のようだ。特に、自分達の姿を見て飛び上がったり声を上げる羅刹を前にして唖然としない者はなく、その羅刹が人間に縋る様に目を丸くしていた。

「本当にもう直ぐ高尾山に着くんだろうな?」

 将寿の品の欠片もない言い回しに眉を寄せた桐辰が問う。

四半刻30分前に寺の前の小径の脇にできた歪みを通って『怪物道』に入った。歪みは、まるで季節はずれの陽炎のように空間自体が揺れていて、指で触れれば吸い付き、水のように波紋を作る。

 開き方は想像していたのより簡単で、禁呪符まじないふなども使わない。指一つ、縦に切るように指でなぞるだけ。透明で触れることのできない幕のようなモノを通り抜けたのだが、それが体にまとわりつくようで少しの不快感があった。それがなくなれば、すでに、今現在進んでいる景色と同じ栄戸の大通りに出ていた。

 だが、行けども行けども周りに山は何処にも見えず、ただただ店が建ち並ぶ大通りを進だけ。不安しかない。


「もう間もなく着く」

 と言うが、一向に山など見えてこない。



 そうして歩く内に妖神達も慣れてきてしまったのだろう。三人を気にする者は少なくなっていた。

 しかし、それでも構ってくる者はいるわけだ。

 桐辰の袴の裾を執拗に引っ張る子猫ほどの大きさの栗鼠りすがいた。一回引くと数泊は温和しくしているのだが、その数泊が経つともう一度。それを繰り返しているだけ。

 桐辰は必死に無視をしているのだったが、これがまたしつこかった。着物を引くだけでは興味が引けないことが判ると、次は足首にくっつき脛に頬をすり寄せた。


 こうなってしまうともう大変。


 矜持も何もかもかなぐり捨てた彼は、声にならない悲鳴を上げて将寿の背中にくっつくと、そこに顔を埋めた。

「アタシは旦那のおっ母さんになった覚えはないんですけどねぇ」

 情けない息子を持った母親の気持ちが判るような気がする。とでも言いたげな溜息が聞こえたが、桐辰は離れない。

「どうでもいいから、この鼠をどうにかしてくれ!」

「やれやれ、世話の焼ける。ただの『すねこすり』じゃないか。好きにさせておやりなさいな」

「嫌だ」

「もう! ……旦那の足から退いてやりなさいな。でないと私が喰っちまうよ?」

 妖喰いの脅しは脅しになっていない。

 可哀想に。震え上がったすねこすりは一目散に小径に向かって逃げていった。可哀想なのは正直な気持ちだが、ほっとしたのも確かなこと。桐辰はそっと、素知らぬ顔で将寿の背中から離れた。

「羅刹の方が怖いはずだろうに、何だろうねあの子は」

「俺が知るものか――!?」

 急にヒノエが立ち止まり、将寿がそれに倣ったので桐辰は前につんのめった。

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