分かれ道

          5


「ついたぞ。あの出口だ」

 馬鹿なやりとりに呆れ手足を止めたのかとも思ったが違ったようだ。

 ヒノエが指したのは通りの真ん中に不自然に立つ朱塗りの鳥居。よく見ると、そこを通り抜けていった猿の姿が消えていた。どうやら、出口のようだ。


 しかし、山には着いていない。


「そりゃあ、何処に出るのか判らないのが『怪物道』ってものでさぁ」

「それなら、あの出口は別の場所に繋がっているかもしれないという事か?」

 将寿は首を振る。

「狒々が自分達の御山の匂いを間違うはずがない。ヒノエがあの出口がそうだと言うのであれば、あれが高尾山に繋がる出口なんですよ」

 二人が話している内に、ヒノエはさっさと出口を潜り抜けていってしまった。急かすように、手だけを出して手招きしている。

 先に将寿が通り、あとに桐辰が続く。入ったときと同じ、薄い膜が体にまとわりつくような感覚がなくなれは、そこは勒穏院の裏手だった。

 山の澄んだ空気が肌を撫で肺を満たす。

「あれが高尾山大猩々の屋敷だ」

 ヒノエの指す先に檜皮葺きの屋根の平屋が見えた。かなり大きい物が四棟、斜面から張り出すように建てられている。周りにはいくつかの舎が同じようにして建ち並び、渡殿によってそれぞれ繋がっていた。山頂付近は意外となだらかになっているようで、大きな廟と大陸風の庵がある。

 とても山中の建築物とは思えない。

「あそこに猿田彦が?」

 桐辰が尋ねる。

「是。田彦殿はあの廟の中におられる。どうも、あそこには結界が張られているようで吾も他の眷属達も立ち入れないでいる。まずはあれを壊してほしい」

「結界ですかい?」

 将寿は廟の方に目を凝らした。

 術や札を用いて張られた結界があれば、何となくではあるが視認できるはずだが、それは確認できない。人の目に見えないという事は、人を拒む物ではなく、その先が神域であることを示すために置かれたモノだろう。それは、ただの目印。

 邪心なき者以外には無害な結界だ。おそらく、関守石。

「アタシは妖を喰らい祓う事はできても白勒のような術師じゃない。解式術は心得ちゃいないよ」

 将寿はそれだけを告げた。

「壊してくれればいいんだ。解いてくれとは言っていない。覇兎程の力のある妖神が触れれば壊れるはずだ」

「つまり――お前には通ることもできなけりゃあ、壊すこともできないってことだね」

 どこかで狼が遠吠えをあげた。きっと、狒々の鳴き声だろう。次々と共鳴する声があがっている。山全体がざわめき、捕食者の合図に、山鳥達は一斉に飛び立った。

 ヒノエだけが御山から切り離される。


 そこにいてはいけない何かのように。


 将寿は五感を総動員してヒノエを探った。風に乗って漂う匂い、微かに聞こえる心臓の音、体を覆った気。

 血の臭いはするのに、心拍に乱れはなく、気も澄みすぎているほどに清浄そのもの。穢れは受けていないはずだ。


(なのに私は疑っている)


 鼻が利かなくなっているはずがない。なら、彼は、穢れを誤魔化しているだけの邪な何か。

 ヒノエは仲間達の声を煩わしげに、眉間に皺を寄せた。まるで、蝉の声に悩まされた人間のように。

 否、仲間ではないのか?

 将寿は動かなかった。ヒノエが敵でも味方でも、『何』なのかが判らない。

「田彦殿が敵意を持って近づく者を拒むように張った結界だ。御山の狒々は皆、白を子や孫、弟のように思うが故に、田彦殿を敵に回してでも奴を護ろうとするだろう。鵺を封じた時のように」

「猿田彦以外が自分達の長ではなく、人間の――白勒の肩を持ったってのかい?」

 ヒノエの表情に険が増した様に見えた。

「そうだ」



 白勒はかつて、猿田彦に敵対してでも当時の大猩々であった鵺を封じた。理由は判らないが、自分の議父を。

 一方で猿田彦は今頃になって塚を暴いた。封印が解かれたと知った白勒は山へ帰るだろう。そこで、復讐しようとしている。

 白勒は父親を封印した負い目と義兄に対する親愛から猿田彦に手は出せないだろうと、彼が殺されてしまうことを懸念したヒノエは彼が山へ帰る前に止めようとしたが、すでに高尾へ発った後。そこで、たまたま居合わせた将寿に、白勒を救うために大猩々退治を依頼する。

 猿田彦は結界の中。敵意ある者を拒む為に敵対する狒々はその中へは入れないが、敵意を持たない白勒は入れてしまうといったところか。そうなれば、助太刀したくてもヒノエや他の狒々には手が出せない。


 本当にそれであっているのだろうか。

 将寿は疑問を抱きながらヒノエと静かに対峙したまま。相手の『内の内』が見えてこない。



 ヒノエが将寿の背後に視線を移した。すると、彼は大きな目をさらに見張った。そこには桐辰がいる。

 将寿は振り返った。


「旦な――」


 だが、話についていけずにふてくされた顔で立っているはずの友の姿が見あたらない。変わりに目端に捉えたのは草陰に消えてゆく長砲をまとった狒々の影だった。




「桐辰――!!」



          *     *



 何がどうしてそうなったのか。桐辰は首を傾げて目の前で嬉しげに土筆を摘む狒々を見ていた。

 童女のように柔らかで細い面をしているが、背格好からして雄。彼は、艶やかな黒髪の尻尾を上下左右させながら飛び跳ねている。

「いったい何がしたくて俺だけを連れだしたのだ?」

 と、桐辰が問えば、狒々は砲の前身頃を籠のようにして、中にこぼれんばかりの土筆を入れて桐辰の側へと駆け戻ってきた。

「お前、心も表情筋も正直。だから『こっち』で預かるって白が言ったヨ。だから、熊が白を連れてって、猫は残って、お前を兎から引き離したネ。わかったネ?」

「否、お前が無害だということ以外、さっぱり解らん。白勒殿はお前の仲間と一緒で無事ということか?」

 すると、猫と名乗った狒々は上手く意志が伝わらなかったのだろう、細い目をさらに細めて不機嫌な顔になり唸った。

「白が無事は当たり前ヨ。白は御山の子、高尾の『狒々』は皆味方思っていいね」

「はぁ……」

 いまいち要領を得ない。

「兎に角、その……熊が白勒殿を猿田彦から守っている――」

「――違うアルよ!!」

 突然、眉を跳ね上げた猫はせっかく集めた土筆を足下にばらまき、両の拳を頭上に振り上げた。が、土筆の方が大事だったのだろう、慌てて拾い集める。

「田彦様を助太刀するのに白は帰ったヨ」


 「助太刀するのに」


 桐辰に背中を見せて座り込みながら、猫は確かにそう言った。

 桐辰は猫の肩を掴み強引に前を向かせる。

「猿田彦が鵺の解き放ち、封印を行った白勒殿を殺そうとしていると、ヒノエが……」

「三十年以上も前のことを恨んで今更カ?」

「えっ、と……」

 猫の纏う空気が変わった。家猫が山猫へと変わったかのように。

「わざわざ栄戸へ出て塚を暴くまでしておいて、山へ戻り、白がやって来るのを待っていた言うネ? 鵺様は? 封じられた張本人は何故、白のところへ向かわなかったネ?」

 桐辰は肩を掴んでいた手を離した。

 すると、猫はまた、彼に背を向けて土筆を集め始めた。

「……白は田彦様と鵺様に会いに屋敷へ行ったヨ。向かう途中、危険ヨ。だから、御山で一番速く翔られる熊と猫が迎えに降りたヨ。今頃は廟にいるお二人に会ってる頃ネ」

「白勒殿が結界の中に入ってしまっただと!?」

「結界? 結界言っても、アレは日吉の大神様の神域を示すための関守石ネ。邪な者は入れないけれど、吾もお前も邪でない者は誰も拒まれないヨ。だから、『緋衣』は入れない」

 つまり、猫が真を述べているとすると。

「ヒノエは邪。偽りを述べ、将寿に猿田彦を調伏させようとさている敵であると、そういうことか?」

「吾、最初からそう言っているネ」

「なら、鵺は? 塚に封じられた先代大猩々は? ヒノエが封印を解いた。白勒殿が会いに行ったというのであれば、今は廟にいるのか?」

 そう矢継ぎ早に問えば、猫は不思議そうな顔で首を傾いた。

「今も何も、三十年以上前から鵺様は動いてないヨ。あの廟は代々の高尾山大猩々を祀ったものアル。鵺様は其処にいるヨ」

 今度は桐辰が首を傾げる。

「それは詰まるところ、塚には何も封印されていなかったどころか既に亡くなっていたと、そういうことか?」

「白が御山を降りたときに、此岸に渡られたヨ。お前の言葉を借りるなら、亡くなったアル。塚は、元々は白が鵺様を弔うために造ったもの。けど、遺骨を御山の外に持ち出すのは御法度ネ。だから、猿の頭と狸の胴、それに蛇骨を代わりに埋めた言ってたネ。でも、それ以外も封じられていたヨ」

 塚に埋まっていた獣の骨をを思い出した。あれは、白勒が埋めたものだったか。



「あの塚には緋衣が封じられていたアルヨ」



 猫の言葉に桐辰は硬直した。

 将寿の勘は間違ってなどいなかったのだ。ヒノエが漂わせていた血の香りは自らつけたもの。塚守を殺した下手人だったというわけだ。

 つまり、将寿は今、殺しの下手人と二人でいる。そして、彼はその事に気づいているのだろう。

「今すぐ戻る!」

 猫は駆け出そうとした桐辰を羽交い締め、必死になって止める。

「だから、それが駄目言ってるネ! お前出た方が、兎が危なくなるヨ」

「はぁ!?」

 若干、冷静さを取り戻したのか、桐辰の力が弱まる。それを見計らい、猫はすかさず彼の正面へと回り込んだ。

「こっちが感情的になれば、緋衣は見境なく襲ってくる。堕ちた獣は皆そうなるネ。白や田彦様だけじゃなく吾達も関係なく喰らいに来る。……緋衣は、田彦様の次に霊力のある吾や熊でも劣る程、その力は別格ヨ。何せ、全盛期の白が全てを投げ打って封印したのに、それすらも破ってしまったアル」

 桐辰は将寿とヒノエがいるであろう方向に視線を投げた。

 将寿なら、大丈夫。当人は否定するが、白勒の弟子も同然。どう動き何を為すべきかは心得ているはずだ。故に自分は足手まといでしかない。

 けれど、だからといって何もせずに見ているだけなどまっぴら御免だ。

「……何があった」

「えっ?」

「何が起こり、どうしてヒノエは封印されて白勒殿は山を去ったのか。全てを話せ。お前の話を聞き、考えることくらいこの俺でもできる」

 桐辰は猿田彦と話をしに高尾へと来た。

 ならば、相手は違えど、三十年前に何がこの場所で起きたのか、話を聞こうではないか。

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