第三章(3) 私とワタクシ

「凛子、聞いてるの。」



「ぁっ……。

 も、勿論よ。」



「そう。

 凛子って時々、人の話を本当に聞いているのか分からなくなるのよねぇ。

 まぁ見かけによらず、しっかりとしいてるから気のせいなんでしょうけど。」





 微かに笑みを浮かべますと朱里は立ち上がり、お庭の方の廊下にお出になりました。



 その背を見つめ「いかがなさって。」と、私は声を掛けましたが、

朱里はお庭を見つめたまま返事をなさいません。




 しばらく待ってみますと、

ようやく「あれ。」と漏れるような声が聞こえて参ります。




「お庭に、何かあって。」




「あれ、あのなんの穴か分からないやつなんだけど蓋がずれているみたいよ。」




「あら、本当ね。

 後で誰かに閉めてもらうか、お散歩がてらにでも私が閉めておきますわ。」




「駄目よ、そんな体で。

 第一、暗くなってからの散歩なんていくらお庭だからって危ないわ。

 いいわ。

 私が閉めてくるから待っていて。」





 朱里はそう仰ってお庭へ下り、穴に向って歩いて行かれます。








 ねぇ……藤枝。









 貴方なら、今の私を叱って下さるのかしら。






 今、ここにいらしたのなら私を、貴方の全てで止めて叱って下さるのよね。






 チリン。






 ざっざっざっざっ。







 ざっざっざっざっ。









 けれど、藤枝。






 貴方はもういない。








 チリン、チリン。








 もう、どこにも、いらっしゃらないのよね。






 チリンチリンチリリン。








 ざっざっざっざっ。








「ねぇ、凛子。

 これ誰か開けたんじゃないの。

 こんな蓋、そうずれたりしなさそうなんだけどな。」





 朱里は、蓋を閉めるために横へお引きり擦りになります。





 リンリリリリン。






 思わず、目を逸らしてしまったのは何故かしら……。






 いけない。






 このようなことをしては、いけないわ。






 私は朱里の名を呼ぼうと再び視線をそちらに向けました。







 けれどそこにはもう、誰の姿もなく口を閉ざした穴があるだけにございます。












 あぁ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。







 私はっ、私は取り返しのつかないことをしてしまいました。






 ごめんなさい、あぁ、ごめんなさい。


 



 私を。




 愚かで哀れな私を許して、許して下さい。






 朱里っ……朱里……本当にごめんなさい。





 どうかどうか、誰か私をお許しになって。






 怖いわ、怖い。





 助けて藤枝、朱里っ。





 私は、どうすれば良いのっ。




 分かってる。



 

 本当は分かっていますのよっ。





 何をどう悔いたって謝ったって、

意味などないことくらい、分かっていますのにっ。





 なんて馬鹿なことをっ。あああああっ。




 誰でも良いの。





 

 こんな私を、誰か、誰かっ。





 私をお許し下さいぃぃぃっ。
















 ……なぁんて、哀れな淑女ぶってみましたけれど、いかがかしら。












 カタン。









 ずずずずずずずずずずずずっ。









 チリンチリン。

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底なしの穴 沖方菊野 @kikuno

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