第5話秘密の小箱

 同僚との忘年会が終わってからのことである。電車の乗車時間調整のために線路下の粗末な立ち飲み屋に立ち寄り、コップ一杯の焼酎をあおり店を出ると、店の扉の入口に占い師が陣取っていた。

 マント付きの黒い衣装に身を包みうつむいていた。マントが邪魔で顔は見えなかった。

 机の上には占い師の小道具である水晶球や筮竹(ぜいちく)もなく、三センチ四方の粗末な小さな黒い小箱が五個だけ置かれていた。

 からかい半分に水晶球も筮竹を持たないのかと。

 占い師はうつむいた顔をゆっくりと上げ、マントの下に隠れていた小さな目で私を見上げた。そして皺だらけの顔の中の小さな唇を開けて答えた。

 どうぞ好きな小箱をお取り下さい。御代金はこちらへと。

 かろうじて聞こえる小さな声であった。

 薄汚い指は汚れたコップを指さしていた。

 コップには二百円と言う代金が書かれた紙が貼られていた。

 すでに八十歳を超えていると思われる高齢の男性であった。

 私はそうかと言い、真ん中の小箱を奪い取り、代金を払わず、無言で立ち去った。

 電車の中で小箱を壊し中を見たが、空っぽだった。

 代金も支払わず奪い取った代物であるが、期待を裏切られた腹立しさで、箱を床に放り棄て踏みつぶした。

 さすがに酔いが覚めた翌日から良心の呵責に苦しんだ。

 それから一週間後のことである。新しい入所者が幸せホームに入って来た。

 私は飛び上がるほど驚いた。

 あの夜の占い師であった。薄暗い路地裏で見かけただけであるが、私は確信した。

 相手は私に気付いた気配はなかった。

 携行品は小さなバックがひとつであった。

 担当者として彼の携行品のひとつひとつ確認する必要があった。

 その男性が例の占い師であると証明する物をバックの中に発見した。

 黒い小箱である。

 それも一個だけであった。私は周囲を見回し、誰もいないことを確認した上で、またも彼の持ち物の小箱をポケットにしまい込んだ。

 帰りの電車の中でその小箱を開けた。

 今度は中身は空っぽではなかった。ギッシリと小さな文字で埋まる紙切れが入っていた。

 多くは書けないが、心に重くのしかかる出来事や、人生を左右してきた恥ずかしい記憶が列挙されていた。

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