第10話 数少ない友人

 土曜日の授業は午前中のみで、気付いたら終わってしまうほど呆気ないものだった。通常が七時限であるのが普通であるため、半分の四時限で終わるというのは学生にとって喜ばしいことだ。午後の自由な時間にどう過ごすのかをディスカッションする学生をちらほらと見かける。その一方で、部活動、特に運動部は練習時間が増えるために、溜息をつく者、やけに楽しそうな者と両極端である。


 昇降口まで辿り着いたところで、愉快な友人に出くわした。非常に懐かしい顔を見て、安心感がわいた。


「よお」白樺棗(しらかばなつめ)が右手を挙げた。「久しぶりじゃん。元気にしてたか?」


「元気にしてたかは、こっちの台詞だ。あの部活に所属してるんだから、きっと夏休みも壮絶だったろう?」


 白樺棗の所属する部活動は、運動部でもなく文化部でもない、しかしどこよりも運動部で、なによりも文化部だ。常識の範囲内に納まっていない。名前もなく、これといってなにをする部活でもない。部員数は八人。まともなのは、一人か二人である。全員が校内である程度の知名度を持ち、名前を聞いて、知らないと答える人間は少ないだろう。それくらいには、異常なメンバーだ。ただ有名になった理由が、この異端な部活動に入ったからではない。もともと有名だった。ただそれはあまり吹聴すべきことではない。誰も喜ばないからである。


 創部のきっかけとなった柊柚希(ひいらぎゆずき)も、俺の愉快な友人の一人である。俺の見解では、もっとも異端なのは彼である。


「夏休みはなぁ……」棗は懐かしむかのように呟いた。「完全に死んだと思うくらいには壮絶だった」


「なにしたんだよ」


「いや、なにっていうか、むしろなにをしなかったのかを言う方が手っ取り早いかもしれない」


「壮絶だったんだな……」


「そう言ってるだろ」棗は言う。「お前の方はどうだ?」


「これといって別に……、基本的には家にいたような気がする。お前ら、なかなか連絡つかねえんだもん」


「それはしゃあねえわ」


「あ、ちょっと質問いいか」思いついたので、俺は訊いた。


「なんでもこい」


「もし見憶えのない女子に告白されたらどうする?」


「可愛ければいい。それがすべてだ」棗は即答した。


「お前に訊いた俺がバカだった……」


「そんなことがあったのか、大変だな」


「え?」


「いや、告白されたんだろ? 大変だな。返事はどうしたんだ? 相手は? 俺が知っている奴か?」


「ちょっと待ってくれ」俺は片手を前に突き出し、抑制した。「どうしてそう思ったんだ? 主語はなかったはずだ」


「わからねえと思ったのかよ。……まあ、自分のことだから気付かないか。うん……、とりあえず俺が言えることは、大地の口からそんな質問が出たから、としか言えない。どうも説明するのは苦手なんだよなあ」


「お前ってそんなに鋭い奴だったか?」


「俺なんて大したことないさ。柚希や部長と一緒にいると、隠しごとの一つもできないくらい見透かされるからな」


「へ、へえ……」


 すごい環境で生きているんだな、と感心した。


「まあ、頑張れよ。んじゃあ、俺は部活に行くから」


 棗は片手を立て、颯爽と駆けて行った。さわやか系の男子だったのか、と印象に修正をかけた。彼がこれから俺の理解の領域を超えた環境で過ごすことを思うと、やはり彼もまた只者ではないのだと思わされるのだった。


 その夜、俺が成人向け雑誌を読んでいると(不本意ながら、昨日に続き、妹も部屋で読んでいた)、普段滅多に鳴ることがない携帯電話が鳴った。それで思ったのが、古宮伊澄が連絡をとってこない、ということだ。少し意外だった。


 外側のディスプレイを見ると、凛久からの着信。


 携帯電話を開き、電話に出る。


「あ、もしもし、大地?」よく通る声が聞こえてくる。


「俺じゃない可能性があるのか?」


「もちろんあるさ。もしかしたら妹さんが出るかもしれないだろ?」凛久はもっともらしいことを言った。そしてその可能性はないとは言えないものだった。


「それで、なんの用なんだ」


「用がなかったら電話しちゃいけないのかい?」


「用がなかったらお前は電話してこないだろ」


「実は、例のものが手に入ったんだ」


「例のもの?」


「ほら、あの映画のチケットだよ」


「……もしかして例のか?」


「初めからそう言ってるだろ」


 俺たちが言っているのは、世間を賑わしている映画のことである。世界的に有名な監督もそうだが、その出演者の豪華さもまた当然のごとく騒がれ、なにより俺たちが注目しているのは脚本に携わっている人物だった。その人物は、凛久の大好物な小説を書いているのだ。しかもこの映画のジャンルは、その人物が得意とするミステリーや恋愛ものではなく、まさかのSFだった。未知の生物やロボットなど盛りだくさんだ。そんなこともあって、非常に期待されていて、映画のチケットを手に入れるのは困難だと言われていた。予約はもちろんのこと、通常販売開始当日でも即完売するほどだ。


 それをまさか手に入れるとは……。


「すげえな、どんな方法で手に入れたんだ? 正攻法では無理だろ」


「そうだね、まあ、簡単に言えば、ボクが頑張ったのかな」


「うわあ、いいな」俺は予告PVを思い浮かべていた。「それでいつなんだ? 感想を聞かせてくれよな」


「なにを言ってるのかわからないけれど、大地の分もあるよ?」


「マジか!」思わず大きな声を出してしまった。美咲が肩を震わせて俺の様子を窺ったが、無視した。


「うるさいなあ……。少し落ち着きなよ」


「いやいや、これが落ち着いてられるか。今夜は落ち着いてエロ本の一つも読めたもんじゃないぞ。というか、普通に床に落とした」


「まったく大概にしなよ? そういうのばかり読むのは感心しない。読むなとは言わないけどね」


「で、いつなんだ? いつでもいいのか?」


「明日だね。だからこうして電話してるわけさ。どう? 明日は暇?」


「どんなことがあっても、お前のところへ行く」


「なかなかにカッコいい台詞だね」凛久は吹き出した。「そうだね、じゃあここは定番の駅前に集合ってことにしようか」


「わかった。時間はどうする?」


「十時くらいで」


「もうすぐだな」


「十二時間も早く待ち合わせ場所に行くなんて斬新だね」


「遅刻は絶対にない」


「ただの深夜組だよね」


「じゃあ、待ってるからな」


「念のために防寒の用意はした方がいいよ。じゃあね」


 俺の返事を待つ素振りもなく通話が途切れたので、少し物足りなかった。妙に素気ないところが、ときどき凛久に垣間見える。今日は特に会話がなかったので、もう少しくらいは、と思ってしまう。


 そんなセンチメンタルな感情を持っているつもりになってみたが、別段これといって心が揺さぶられるようなことはなかった。


「誰からですか?」美咲が本から目を離さずに訊いた。この妹、興味津々である。


「友達。凛久っていうんだ」


「なんの用だったんです? やけに盛り上がっているみたいだったですけれど」


「今話題の映画のチケットが手に入ったんだ」


「映画?」美咲はページをめくった。


「ほら、あの世界的に有名な監督のやつ」


「ああ、あのSF映画ですか。男子は好きそうですよね、あれ」


「興味ないか?」


「まったくないですね。あんな映画を観るくらいなら、家で寝ていた方がいいです。どうして世間で騒がれているのか甚だ疑問に思いますよ、本当に」


「まあ、そういうもんか」


「そういうものです。まあ、私の友達に、ああいうのが好きそうな子はいますけれど、特殊なパターンだと思います」


「あそう。ま、そんなわけで明日は出かけるからな」


「明日? もうすぐじゃないんですか?」


「あれはボケたんだ」


「遅刻をしないように、今のうちに行った方がいいと思いますよ。睡眠はそこでとればいいわけですから。念のために防寒の準備はしてくださいね」


「同じことをさっき言われたぞ」


「あ、これ、持って行ってください。きっと役に立ちます」美咲は読み終わった本を差し出してきた。もちろん、俺の本である。なんの役に立たせればいいのかわからなかった。


「面白かったか?」


「ええ……、ですが、昨日のと比べると見劣りしますね。たしかに女優さんは悪くないんですが、やはり昨日見た女優さんの方が、すべての面で上回っていると思います。そうですね、なにより足りないのは妖艶さですかね。しかし、兄妹ものと比べてしまうのは酷かもしれないです」


「興奮した?」俺は下心もなく、純粋な気持ちで訊いた。


「しませんよ、このくらいで。妹を甘く見ないでください。というか、兄さんとは、男性とは目線が違いますよ。私がこうして読んでいるのは、あくまで女優さんの美しい身体のためです。痩せ過ぎているわけでもなく、かといってふくよかでもない。理想的な体型ですよね。肌つやもいい。私が一番注目しているのは、胸の形なんですけど」


 妹の解説は、このあと数時間に及ぶことになった。




 今日の伊澄からのメール


 次はもう少しロマンティックに襲いに行きます。


 俺の感想


「なにかがおかしい……」

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