第二二話 開けてはならぬパンドラの匣

 ほの暗き濃霧がイザミの意識を塗り潰した時、再び校門前に立っていた。

「……が、学校?」

 イナバワニザメの<匣>に剣先を突きつけたままの状態でいる。

 意識を失っていたのか、それとも――

「クシナ、おれはどれくらい突っ立っていた!」

『ほ、ほんの二秒ほどです。緋色の燐光がその大剣から発せられて、それからイザミさんから通信が入りました』

 幻覚にしては現実味がありすぎる。

 なにより声はEATRではなくヨミガネと訂正させてきた。

 正体を解析するのは後だ。

 今はイナバワニザメの腹に囚われた者たちを救出する。

「そうだ、救うっ!」

 人への救済意識を言霊に宿し今一度、イザミは緋色の大剣を高く振り上げた。

 刀身より緋色のオーラが柱のように伸展し、結晶のように砕け散る。

 砕け散った後は緋色の雪となって学校の敷地内に降り注いだ。

 異変は終わらない。

 緋色の雪は横転するトレイラーだけに留まらず、建造物を透過し中にいるフード付き狼に付着する。

 黒紫の装甲の上を緋色の線が縦横無尽に走り、獣より<匣>が排出された。

 異変に終わりはない。

<匣>に亀裂が走る。

 ピキピキと孵化する卵のように内側より亀裂が走り――生まれた。

 四方に割れた<匣>より黒き粘液を裸体に纏わせた女が現れた。

 女だけではない。

 別の鮫の<匣>から年齢性別バラバラの人間が現れては力なく校庭に倒れている。

「に、人間、だと……」

 立て続けに起こり続けた異変がイザミの思考を飽和させる。

 辛うじて起こり得た現状を言葉にするのだけで精いっぱいだった。

『おい、おれだ。フードウルフから人間が出て来たぞ……喰われたってわけじゃねえだろ』

『こ、こちらも、交戦中のフードウルフの<匣>から素っ裸の人が……』

 交戦中であった第六部隊の各員から困惑する通信が届いた。

『ヨミガネ解放システム<天解>作動成功を確認』

 ゴースト・ゼロの事務的な声が呆然と立ち尽くすイザミの耳朶を揺さぶった。

『うふふ、口ではなんて言おうときみもやっぱりあの人たちの子だね。まあ、今回の場合、人を救うという感情がトリガーとなり<天解>を発動させるキーとなった』

 確かに救うことをなによりも強く意識した。

 だが、傍観者気取り幽霊に解説されるのを黙って聞いているほどイザミは大人ではない。

「おい、ゴースト・ゼロ、いい加減にしろ! お前、なにが目的だ!」

 四方に目を走らせようと幽霊の姿は影一つ見つけられずにいた。

『目的? 前にも言ったはずだよ。ボクはボクがしたいようにただ見守るだけ。キミがキミの敵を討ち続けて人々を守るようにってね』

 当然のこと幽霊にまともな解答を求めるだけ無駄であった。

『おう、大車だ。状況はさっぱり分からんがとりあえず<匣>から出てきた人間を保護しろ。ただし警戒は怠るなよ――このざわつく空気、気に喰わん』

 ダイゴから経験と勘による警告がインカム越しに届こうとイザミには届いてなかった。

 誰も中身を知らぬ<匣>の中には人間が内包されていた。

 この事実がなにを意味するのか、イザミは込み上げる嫌悪感により口元を抑える。

 身体から激痛が消えたと思えば、胃の内容物を暴露する寸前だった。

『まあ、ただの金属生命体や、ニョロヒョロで強酸吐く宇宙生物ならまだマシだってのには同情するよ。けど、現実はいつだって残酷だし、いつの時代、どの世界でも、人間の敵は所詮、人間――世界が違ってもこの事実だけは変わらない』

 幽霊の独白はつまりEATRの正体が人間を<匣>に内包した兵器ヨミガネだと暗に示していた。

「だ、誰がこんな――こんなふざけた兵器を作った!」

 イザミは胸の内に猛る慟哭を天に向け叫ぶ。

 ふざけている。

 武器と覚悟を持って戦う人と、脅迫にて殺されたくないから殺さねばならぬ人との命の価値とはなにか問い質したい。

 命は命。重くもなければ軽くもない。

 だが、扱う人間は、持つ人間は様々な重さ、値段、損得で一つしかない命の価値を決定づける。

 人間を<匣>に内包し、人だけを殺す兵器として運用するのは常軌を逸脱し人道的に反していた。

「お、おれは、人を、日常を守ると言いながら、人を殺して――日常を奪っていたのかよ!」

 認めたくなかった。

 だが認めねばならなかった。

 身体より緋色の燐光が排出されるに連れて消えていた痛みと疲労が再び蝕んでいく。

『あらあら、EATRの正体が人間を内包した兵器だと知ったせいで<緋朝>が出力低下を起こしたよ。折角、タイになったのに困ったな』

 困惑する幽霊の声に連なるのは粗野な声だった。

「おれは別に困るどころか、むしろ好都合だ」

 校庭の土を踏みしめる音がした。

 重い身体と意識を振り絞ってイザミが振り返れば、立つのはクラスメイトの根方カグヤだった。

 カグヤであるが、イザミの脳内人名録に記憶された人物像とはかけ離れていた。

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