第18話 衝動
その日、D町の警察署に、ひとりの若い警官が転属されて来た。
若いといっても、もう、今年で三十歳になる。
別に、前の職場でミスをしたというわけではない。むしろ、彼の勤務経歴からすれば、他の同僚よりも手柄は多かったという。
ところが、彼には少しかわった癖がある。
癖というには、少し物騒でもある。
すなわち、「ピストル依存症」とでもいえばいいのだろうか? 何かにつけ、彼は、腰に下げたピストルの入ったホルダーに手を掛けてしまうのだ。
当然、発砲するようなことは一度もなかった。
しかし、飲酒運転を取り締まっていた時、酔っ払って反抗した運転手に向け、ピストルの銃口を向けたことが何度かあった。
そんなこともあり、転課もふくめて、今度の町へとやって来たのだった。
「今度、うちに配属になった吉本君だ。みんなもよろしく頼む」
「吉本です。以前は交通課にいましたが、今度はみなさんの町の安全のため、全力をつくしたいと思います。どうぞよろしくお願いします」
彼も、心機一転、本当に心からそう思っていた。
それに、あまり大きな事件など扱わない交番勤務は、彼にとっても正解であるかのように思われた。
彼も彼で、一日でも早く住民に溶け込もうと一生懸命努力する。
しかし、そんな彼の意気込みとは裏腹に、警官吉本の表情は、日増しに苦渋に満ちたものへと変わっていった。
「これじゃあ、大好きなピストルにもさわれないじゃないか」
警官吉本は呟く。
いや、正確に言うならば、さわる必要がまったくなかったのだ。彼にとって、それは彼女を失うよりも辛い試練である。
今までも彼は、ずっと、ピストルを撃ってみたいという衝動を押さえてきていた。しかし、以前ならば、それはピストルのホルダーを握るということで、かろうじて解消することができた。ところが、平和そのもの、なにも事件などとは無縁のこの町では、それすら許されないのだ。 日増しに、彼の欲求は高まっていった。
その日、警官吉本は、交番でいとおしそうにピストルを握っていた。
彼にとっては、この日課にもなっているピストルの分解掃除だけが、誰はばかることなくピストルに触れられる唯一の時なのである。
じっくり時間をかけ、部品の一つ一つをていねいに磨きあげる。いつしか彼の表情は、恍惚にも似たものとなる。と、ちょうど、その時だった。
「おまわりさん、すみませんが、道を教えてもらえませんか?」
一人の老人が、交番を尋ねて来た。
一瞬、彼の顔が険しいものになる。彼は下を向き、ひとつ小さなため息をつくと、またにこやかな顔で、その老人に尋ねる。
「おじいちゃん、お探しの場所はどこですか?」
「F不動産というんじゃが、たしかこの交番の近くじゃと・・・」
その老人は、机の上にバラバラと置かれたピストルの部品に、少しの違和感をおぼえたが、それもすぐに、この警官の優しい応対で消し飛んでしまった。
不動産屋はすぐに見つかった。なにしろ、その交番のとなりがそうであったのだ。老人は、深々と頭を下げながら、そこをあとにする。
窓越しにその老人が歩いていくのが見える。警官吉本は、指で鉄砲の形を作ると、バーンとひとつ、その老人に向かって引き金を引く真似をする。
「とんだ、邪魔が入ったもんだ」
警官吉本はまた、ピストルの組み立てに取り組む。
ところが、組みあがったピカピカなピストルを握ってみると、腰のあたりから、体全体に向かって、何やら込み上げてくるものが感じられる。
彼にはすぐに、それが何なのかがわかった。
「撃ちたい。誰でもいいから、このピストルで撃ってみたい!」
思うだけではなく、彼はそれを、はっきりと言葉にすることもできた。
警官吉本はピストルを握り締めたまま、交番を出て行く。もう、迷うことはなかった。彼の衝動が、そうさせたのだ。
少し歩くと、ひとりの男と出くわした。
彼は、その男に近づく。もちろん、今の彼にとって、引き金を引く相手は誰でもよかったのだ。
男は一瞬、警官吉本を見た。が、そのときにはもう、彼のピストルからは弾が発射されたあとだった。
弾は、その男の脇腹に命中した。
「うぐぐぐっ、何でわかった?・・・」
男は苦痛に満ちた表情で腹を押さえると、もう一方の手で、胸のコートの中に隠してあった拳銃をつかむ。
だが、その男が拳銃の引き金を弾くことはなかった。腕を伸ばしきったところで、力尽きてしまったからである。
ピストルの音に、すぐに町の住民は集まってきた。もちろん、彼と同僚の警官もである。
「お前が撃ったのか?」
年輩の警官が、警官吉本に尋ねる。
「・・・・・」
彼は黙ったまま、ピストルをホルダーにしまう。
「やっ、この男、連続強盗犯の・・・」
もうひとりの警官が、撃たれてこときれている男の顔を見て叫んだ。
「なに、あの手配書の回ってきていた男のことか・・・」
年輩の警官は、手配書とその男の顔とを見比べる。なるほど、その男であった。
いつの間にか、その場を見ていたという住民も現れて、警官吉本の正当防衛を訴える。もちろん、そんなはずはない。
しかし、撃たれたのが連続強盗犯だったということが、彼を衝動的殺人犯から大手柄を立てたヒーローへと変えてしまったのだ。
結局、彼の正当防衛は認められ、彼は今までにもまして、住民から尊敬される存在となった。
ところが、この一度の経験は、彼によりいっそうの願望をもたらす結果となってしまった。
近頃では、日に一度はピストルを撃ちたいという衝動に駆られるのだ。そして、それは、もう自分でも制御ができないほどになっている。
「昨日も、また野良犬がピストルで撃たれていたそうだ。まったくこの町も、物騒になったもんだな」
同僚の警官が呟く。
彼はそれに答えることもなく、日課であるピストルの分解掃除をしている。
「ちょっと巡回にいってくるが、あとを頼む。まあ、今日は幸い、隣町の祭りで、こっちの町には、人がほとんどいないだろうがな・・・」
そう、笑いながら、同僚の警官は交番を出て行った。
あとには、警官吉本がひとり残されることとなった。彼はまだ、ピストルの手入れをしている。ところが、いつもと少し様子が違う。
「やめてくれ、やめてくれ・・・」
彼はそうつぶやきながら、震える手を必死に押さえつけようとしている。しかし、その手は次々とピストルの部品を精密機械のごとく組み上げていくのだ。
しまいに、彼は泣き出した。その手には、いつにも増してピカピカなピストルが握られている。
彼には、すでにいつもの衝動が始まっていたのである。もう、誰にも彼を止めることはできない。
警官吉本は震える手で、自分のこめかみにその銃口を突き付けると、こう叫んだ。
「やめてくれ、今夜はぼくひとりしかいないんだ!・・・」
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