第19話 いぶりがっこ

 俺、真下透、19歳。

 去年の春に秋田を出てきて以来、今は東京で一人暮らしをしている。夢はこの街でビッグになること。つまりは、有名バンドの中入りをするために今はアルバイトをして生計を立てている。

 俺と同じ境遇の奴なんて、この灰色の街には掃いて捨てるほどいるらしい。そんなことに気付くまでに、俺は二年もこの街の饐えた空気と味気ない水とを口にした。


 そんな俺の、今日はアルバイト代が入る日である。俺は月に一度ほど通う中華料理店で、これまたいつもと同じラーメンと半チャーハンを注文する。


 やがて二つのどんぶりが俺の前へと運ばれてくる。俺はそれが当然の報酬であるかのように、二つの器に盛られた炭水化物を自分の口へと流し込む。途端に湯気で眼鏡が曇り、俺から全ての視界を奪っていく。

 「くはーっ、やっぱり寒いときはこのセットが一番だな・・・」

 口に出してそう言いながら、俺はもう一度その麺をすすった。


 (それにしても、東京の冬は俺の田舎と比べるとなんて暖かいんだろう・・・)

 一昨日降ったこの街の初雪も、今日には跡形もなく消えている。


 チャーハンを半分ほど食べたとき、二人連れの客が入ってきた。同時に店主がテレビのスイッチを入れる。

 ちょうどお昼時。画面にはローカルニュースを伝えるアナウンサーが笑顔を振りまいている。


 「次のニュースです。今朝秋田県上小阿仁村で、年配の女性が畑で凍死しているのが見つかりました。警察では、事故と事件との両方で現在調べを進めています・・・」

 「上小阿仁村?」

 (俺の出身の村でねえか・・・)

 俺は咄嗟にテレビの画面に目を移した。

 そこには見慣れた景色の中、帽子に雪を積もらせた警察官の顔が映っている。

 ニュースはさらに続ける。

 「凍死した女性は雪の中、屋外に設置されている樽の中からいぶした大根を取ろうとして足を滑らせた模様。警察は事故との見方を・・・」

 

 「まさか、母ちゃん?・・・」


 現場からは中継で、その女性が救急車へと搬送される様子が映し出されている。顔には毛布が掛けられているものの、白いかっぽう着姿が何んとも痛々しい。

 「あれは、母ちゃんのかっぽう着・・・」


 俺はその場に立ち尽くす。力を失った俺の指から、割り箸が一本ずつ落ちていく。

 「母ちゃん・・・」


 その様子に、店の主人も俺の方を振り返る。

 「まさかこのニュ―スって、あんたのお母さんが?・・・」

 俺の表情から事の重大さはすぐにでも理解できるはずである。店の主人は俺とテレビとを見比べるようにと立ち尽くしている。

 一瞬の静寂が、永遠のように長く感じられる。

 切り取られた様な風景の中で、中華鍋に入れられた具材から白い煙だけが立ち上っている。


 「俺が母ちゃんに『いぶりがっこ』食いてえなんて言ったから・・・」

 「いぶりがっこ?・・・」

 店の主人が静かに尋ねる。


 「雪の下で作るいぶした大根の漬物だ・・・」

 無造作に答える。

 「そういえば私も聞いたことがあるな。何でもたくあん漬けの王様だとか・・・」

 客の一人が相槌を入れる。


 「俺が母ちゃんを殺したんだ・・・」

 「殺したって、あんた・・・」

 主人の言葉をさえぎるように、俺は大声を上げた。

 「俺が母ちゃんに、『すぐにでも、いぶりがっこ送ってけれ』なんて言わなければ、こんなことにはならなかったんだ!」

 項垂れる俺の目から、涙が溢れ出る。


 「あんた・・・」

 店の主人も目頭を押さえる。

 いつしか、居合わせた客も俺の肩に手を掛けてくれている。

 再び会話が無くなる。煮立ったやかんの中のお湯だけが、コポコポと不規則な音を刻んでいる。


 

 「たった今入ったニュースです。先ほどお伝えした秋田県上小阿仁村で発見された年配の女性の凍死体ですが、身元が判明しました。市内に住む柏木すみ江さん79歳ということです。警察では事件性は無いものとみています。きっと寒い中、いぶり大根を取りに行こうとしていたんですかねえ。くれぐれもご冥福をお祈りいたします・・・」


 店の主人も二人の客も、俺の顔を食い入るようにと見つめる。

 

 「ち、違う・・・ 母ちゃんじゃねえ」

 「本当に?・・・」

 主人の言葉に、俺は黙って頷いた。


 「ご主人、こういうときは何て言えば良いんだろうねえ?」

 客の言葉に、店の主人は何も答えず引き攣るようにと微笑む。


 「まあ、取りあえずはさ・・・」

 客の一人が相槌を打つ。

 「それにしても、美味いんだよなあ『いぶりがっこ』」

 もう一人の客も俺に笑顔を向ける。


 「母ちゃん・・・」

 俺は新しい割り箸を割ると、残りのラーメンをすすった・・・ 

 

 

 

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