白球少年 5

「勝負は一打席。ヒット性の当たりなら藍原さんの勝ちでどうです?」

「それは構わないけど、打球については誰が判断する?」

「それならベンチでのんびりしている方々に公平なジャッジをしてもらいましょう」

三塁ベンチを見ると他の選手たちが寛いだ様子で座っている。


「何か俺たち浮いてないか?」

「……そ、それもうちの魅力ですよ」

左打席に入り、気を引き締める。美智瑠さんの投球練習を見た限り、特に大きな特徴というのは見当たらなかった。

女性では上背が平均より高く、左のオーバースローから放たれるボールは同性なら角度がついて打ちにくいかも知れないが、今回の対戦では意味をなさ無いだろう。


(ここは大胆にですよ。女は度胸と根性です)

(うんうん、度胸と情熱だよね!)

微妙にズレているバッテリーだが、美智瑠はサインに首を縦に振り、第一球を投じる。

ボールは藍原が最も得意とする内角に来たが、途中まで出かかっていたバットを止めるが、ストライクの判定。


「……全く出どころが見えなかった」

彼女の手元からボールが離れたと思ったら既に胸元付近まで来ていた。さっきのタイミングで振っていたら完全に差し込まれて内野ゴロが関の山だったはずだ。

「美智瑠さん、すごいでしょ?」

「驚いたよ。ここまで出どころが見えずらい投手は初めてだ」

球速だけなら彼女よりも速い投手は幾らでもいる。タイミングが取りにくいと言っても自分のスイングスピードなら充分に対応出来る。


(藍原さん、完全に本気だなー)

マスク越しからでも彼の視線が美智瑠を鋭く捉えているのが分かる。打席に立つだけで威圧感を感じ、まともに勝負するのは危険だと光の本能が告げている。

(美智瑠さん、もう一球行けます?)

(無理無理無理)

(……ですよねー。まあ、冗談ですけど)

首が千切れると思われるほど激しく横に振る姿に思わず苦笑してしまう。


第二球、グラウンド全体に鈍い音が響き渡る。

外角低めに投げられた投球に左打者の藍原が迷いなく踏み込み真芯で捉える。打球は勢いが衰えることレフト方向に向かい、ホームランかと思われた当たりは惜しくも白線の外側を通りフェンスを通過して行った。

「くそ、僅かに振り遅れたか」

((……終わったと思った))

二人は首の皮一枚繋がったことにホッと息をついた。


「すげーな。今の」

ベンチから対戦を見ていた須田は今の打球に唖然としている。

「僅かですが、運がバッテリーに味方していたようですね」

「わたくし、今のは完全にホームランかと思いましたわ!」

打った本人以外の全員が同じ感想を抱いていただろう。

このグラウンドは両翼90m以上はあるのに、数ヶ月前まで中学生のそれも引退を宣言した選手が逆方向に飛ばすと誰が想像していたのか。


(打球音怖っ、硬球が破裂したかと思いましたよ)

今のは完全に自分の失態だった。内角の意識が残っているうちに外角でカウントを稼ごうと安直なリードをしてしまった。


(今でもタイミングが遅いのか。美智瑠さん、いい投手になりそうだ)

対戦とは全く違うことを考えていたが、今だけは仕方ないかも知れない。

「………楽しい」

思わず出た呟きに自分は妙に納得してしまった。それならこの後に自分が取る行動に迷いはない。

(けど、今は彼女たちに勝ちたい。純粋にこの勝負を楽しまないと)


第三球、勝負は意外にも呆気ない結末で終わった。

萎縮してしまった美智瑠のボールを今度は完璧に仕留めて、打球はライトフェンスを大きく越える場外ホームランという形で幕切れを迎えた。


「うぅぅ、光、ごめん」

勝負終えて重い足取りで光の方まで歩み寄る美智瑠の瞳には涙が滲んでいた。

「いえ、今回は私のミスリードです。美智瑠さんに非はありませんよ」

「美智瑠さん、すごく楽しかったよ」

「……お世辞はいらない」

藍原からの言葉も打たれ直後の美智瑠からしたら嫌味にしか聞こえて来ない。


「藍原さん、美智瑠さんを慰めてからにしてくれませんか?」

「すぐ言わないとダメだ」

勝負で感じた素直な気持ちを言葉にしたくて仕方がなかった。

「美智瑠さんは間違いなくすごい投手になる。今は捉えにくい投球フォームが先行して目立つけど、他に伸びる要素は幾らでもある」

「……ほんと?」

「本当だよ。だから今日の敗戦程度で泣いていたら勿体無いよ」

ポケットから取り出したハンカチをそっと渡そうとしたが、強引に奪われてしまった。

「泣いてない!……ズズッー」

「おい、鼻水噛むために渡したつもりは無いぞ!」

あー、あのハンカチはもう使えないな。


「藍原さん、今までの発言を聞く感じですとコーチの件引き受けてくれるのですか?」

「もちろん、水無瀬さんたちが認めてくれるなら喜んでさせてもらうよ」

「それは是非もありませんよ。ねっ、みなさん!」

弾んだ声色でベンチにいる他の部員の方を見ると三人とも‘〇’と描かれたプラカードいつの間に用意したか分からないが掲げていた。どうやら彼女たちからも合格を頂けたようだ。

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