四条女子野球部
「えーと、藍原 宗輝です。よろしくお願いします」
コーチ就任とともに再度自己紹介を済ませる。他の部員から概ね良好な雰囲気だが、一人目の敵みたいに見られているが、それは今は問題ないはずだ。
「藍原さんは入部したばかりですから知らないと思いますが、この部にも唯一無二のルールは存在します」
「……小間使いとして俺を使う気か!」
唯一の労働として誰よりも早くから準備をさせて、練習後には一人でグラウンドを整備をさせようという魂胆だろう。
「ちょっ、違いますよ。この部では、苗字で相手を呼ぶのを禁止にしているんです。ほら、何か堅苦しいでしょ?」
いきなり名前で呼ぶのは緊張するな。それに異性が相手となると尚更だけど、そういうルールなら仕方ないか。
「よし、分かった。光、これでいいか?」
「えっ、私はさん付けしてくれないんですか?」
何か光にさん付けって嫌だわ。
あれから俺は特に何かをする訳でもなく、光に言われて他の選手たちの様子を見ている。
率直な感想としては、上手いと思う。けど、まだまだ伸びしろはあると思う。
「薫さんと由香さんは見ていて安心出来るな」
打撃練習をしている二人に関しては特に問題ないと思う。
右打ちの薫さんはどんなボールにもフルスイング出来ている。このフルスイングというのが意外と難しく、出塁のことや配球を考えながら打席に立っていると自分のスイングが出来ないものだ。かたや由香さんは右打ちで長打といった派手さは無いが、コースに逆らわずに広角に打ち分けが出来ている。
ブルペンの方を見ると美智瑠さんと光のバッテリーが投球練習をしていた。
相変わらずぱっと見美智瑠さんの良さは判断しづらいが、打席に立つと出どころが見えにくいフォームは脅威的なはずだ。
光のキャッチングも正確でショートバウンドの難しいボールも無理に取りに行かずに身体で当てて止められていてこれも問題は無いと思う。あとはスローイングとか見てみたいけど、個人的にはキャッチングの際にミットをストライクゾーンに寄せようとしないのには好感が持てる。
そして初心者の雫さんはと言うと
「たっちあっぷ?それは何かのサインですか?」
俺と一緒に野球ルールを勉強していた。
「ランナーがベースを踏んでいる状態で野手がフライを捕球した時点で走り出すことを言うんですよ」
「なるほど!ベースを踏まずに走ったらどうなるのですか?」
「一塁ランナーだったら帰塁出来なかったと見なされて野手がボールを持った状態で一塁ベースを踏んだらアウトになるね」
彼女は説明を聞く度に嬉しそうな表情をしてくれるのでこちらとしても教えていて楽しく感じてしまう。
「はぁ、塁間が27.43mということは分かるのですが、他はさっぱりです」
「すごい偏り方ですね!」
彼女が何を知っていて、何を知らないのか分かるのには時間がかかりそうだ。
「宗輝コーチ、見てみてどうです?」
「由香さん、そのコーチって言うのは恥ずかしいかな」
「コーチがコーチということは変わりません」
こう真っ直ぐに言われると俺が馴れるしかないのか。
「率直に言いますと思ったより上手くて驚きました」
攻撃も守備も形になっているし、所々気になる点はあるが、現時点では特に言うつもりもない。
「それだけに試合が出来る人数がいないのがもの凄く勿体なく感じますね」
彼女たちのプレーが実践の中でどう映るのか、純粋に見てみたいという気持ちが強い。
「そうですね、今のメンバーは中学時代から声を掛けた人たちですから。唯一、雫さんだけは自分から来てくださってありがたいと思っています」
「まだ新入部員を探してはいないんですね」
あと三人、試合で補欠も必要なケースもあるから正直五人は新入部員がほしい。
「アテは無いことは無いんですよ」
由香さんの口から思ってもいなかった言葉が聞こえる。
「二年生の先輩に昔一緒に野球をしていた方がいましたから話をして見る価値はあるかと」
「うん、いい案だと思うよ。ただでさえ部員不足の中でまだ入部していない経験者がいるなら声をかけて見るべきだ」
「ただ……」
由香さんが神妙な顔で次の言葉を言うのを躊躇う。
「……気難しい方なので暴力を振るわれないといいですね」
「……この話は後回しにしようか」
暴力はダメ、絶対。
「光と美智瑠さんに一つ聞きたいことがあるんだけど」
由香さんと話は一旦保留にして、ブルペンにいる二人のもとに歩み寄る。
「おっ、愛しの光ちゃんとお話ですか?」
「美智瑠さんに聞きたいんけど、どうしてさっきの対戦で変化球を使わなかったんだ?」
光のスルーですか!?という言葉には目もくれない。
未だに恨みがましく見ているが、今日からコーチをする訳だし、出来るだけ早く関係を修復したい。
「……な……ない」
「うん?」
「投げれないの!」
光の方を見たら頷く。
「じゃあ覚えたらいいよ」
投げられないのなら投げれるように練習するだけ難しいが単純な話だと思う。
「でもスライダーもカーブも投げられなかったんだよ!?」
「美智瑠さん悪いけど、スライダーもカーブもそんなに簡単じゃないからね?」
スライダー、カーブとメジャーな球種ではあるが、一級品と言われる変化球は共通して変化の始動がベースに近い。そこまで磨けなくても速度や曲がり角度と言ったところまで求め出すとこの二つは実に奥が深い球種だと思う。
「それよりももっと簡単に覚えられる球種があるよ」
完璧に武器にするには時間がかかるかも知れないが、直ぐにでも手応えは掴めるはず。
「まあ、今日はだいぶ球数消費している見たいだから走り込みに変更だけどね」
足腰を鍛えるのも野球選手には必要なこと。また美智瑠さんに睨まれて距離が広がった気がしないでもないが、ここは心を鬼にしよう。
「それで残った私はどうしましょう?」
「光か……うーん、せっかくだから雫さんとティーバッティングでもしようか」
雫さんも頭ばかり使うだけでなくて、身体を使って野球の練習もしないと行けないし。
「そうですね。雫さんを誘って来ます」
「あと、俺は今日はここであがるよ」
突発で入部したから制服のままだし、今日は早めにあがって野球道具の手入れでもした方が有意義そうだ。
「分かりました。明日からが本番ってことですね!」
「そうだな。当面の目標は目指せ練習試合かな?」
これからこの野球部がどこまで成長するのかもの凄く楽しみで仕方がない。そのために俺に出来るだけのことをしてあげよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます