第五章 「あなたと」
(1)
保健室の一件の後、夏希さんはすぐにその日に何があったのかを私に話してくれた。
昼休みの途中に突然私が倒れた事。
その時、志帆はその場には居なくて。夏希さんと美子さんが私を保健室まで運んでくれた事。
放課後、夏希さんが保健室に私の様子を見に行った時に、先に保健室に居た志帆に、もう私と関わらないように言われた事。
最近の辛そうな様子の私を見て、夏希さんも志帆に思うところがあったみたいで、それを直接志帆に口にしたらあんなことになってしまったみたいだ。
夏希さんは何度も謝ってくれた。私が堪えればこんなことにはならなかったと。そんな夏希さんに私は、夏希さんは何も悪くないと、私の為に怒ってくれてありがとうと感謝した。
一週間が過ぎた。
志帆と離れてから、私の日々は大きく変わった。
学校でも放課後も、一人で居る時間が増えた。
移動教室の時は、夏希さんと一緒に移動先の教室へ向かったりするけれど、休み時間の時は、一人で読書をして過ごしている。
そんな私に気を遣うように、夏希さんは私に沢山声を掛けてくれたり、時々、放課後に私と美子さんと三人で遊ぼうと誘ってくれたりする。
一人で家にいる時間も増えた。
放課後は真っ直ぐ家に帰るようになった。
でも、一人で家に居ると無性に寂しくなって――何とか寂しさを紛らわそうと、以前から気になっていたアコースティックギターを始めようかと悩んでいる。
手が小さいので、弦をちゃんと抑えられるか心配で、中々手を出すことが出来なかったけれど、調べてみたら手が小さくても練習を重ねてある程度慣れれば、案外弾けるようで、本当に始めようかと悩んでいる今日この頃だ。
夏希さんは美子さんと一緒に生徒会に入って忙しい日々を送っている。
そんなことないと夏希さんは謙遜するけれど、二人とも結構いい雰囲気だと思う。
志帆はどうだろう……突き放した直後は、何度もメッセージを送ってきたり、学校では何か言いたそうによく私の傍に来ていた。
私は志帆のメッセージに「ごめん」と一言だけを返し、それ以降は返事をしないようにした。学校で何か言いたそうに私の傍に来ても、その場を離れて志帆を避けるようにした。
心の整理をする時間が欲しかった。
自分自身、これからどうしたいのかよく分からない。
何が正解なのか、どうすれば志帆と私はまた昔の様に戻れるのか。
そもそも、また昔のように戻るのは、お互いにとって正しいことなのか。
今の私には何も分からなかった。
学校の昼休みは屋上で過ごした。
夏希さんと美子さんに昼食を一緒に食べようと誘われたけれど、教室に志帆をひとり残して夏希さん達と昼食を食べるのは、なんだか気が引けた。
放課後の夏希さんの誘いを断るのもそれが理由だ。
夏バテと重なり、食事がまともに喉を通らない日々が続いた。
それでも何か口にしないと、また倒れてしまうのではないかと心配で、昼食はお水と市販のゼリーをお腹に流し込んでいる。
夏希さんと夜に電話をする日課はやめた。
夏希さんの優しさに縋りそうになるからだ。
陰鬱とした日々が続いた。まるで世界が灰色になってしまったかのようだった。
そんな、ある日のことだ。
いつものようにバスを降りて、自宅へ向かった。
志帆の家に泊まりに行って以来、私に迷惑ばかりかけられないと母も家事をしてくれるようになった。
好きでやっている事だから気にしなくていいのに。そう言ったのに母は、くるみも年頃だからと気を使ってくれて、母には言えてないけれど、実はほんの少し嬉しかったりする。
アコスティックギターは、買うのならそれなりに良いものが欲しいと思って、とりあえず貯金を始めた所だ。
だから、贅沢な悩みなのかもしれないけれど、家に居てもやることがない。
今日は何をしよう、喫茶店のアルバイトは平日は人が足りてるし、他のアルバイトを掛け持ちしてみようかなんて考えながら、通学用のバックから家の鍵を取り出そうとした。
すると突然、誰かが私の腕を掴んだ。
驚き、咄嗟に後ろを向くと、
「志帆……」
思わず情けない声で、彼女の名前を口にしてしまい、
「……なにしにきたの」
声色を変えた。今情けない所を、隙を見られたら、駄目な気がした。
私の言葉に傷ついたように志帆が俯いた。
掻き回される。頭の中が、胸の奥が、ぐしゃぐしゃに掻き回されて訳が分からなくなって、
「私……やらないといけないことがあるから……」
その場しのぎの嘘を口にし、家に入ろうとした。
志帆が再び私の腕を掴んだ。そして――
「――――、――――」
その光景に、頭が真っ白になりそうになった。
必死に伝えようと、声にならない声で私へ向けて何かを口にする志帆。
私の腕を掴んで、喉元を片手で抑えて、涙目になりながら必死に。
胸の奥が掻き回される。痛くて、苦しくて、
「やめてよ……」
志帆が首を横に振った。
「……やめて」
志帆は続ける。
もう嫌だ。やめてほしい。私だってこんなこと望んでない。
怖いのだ。訳が分からないのだ。
また前みたいに戻りたくて、でも、もう戻れなくて、
志帆のことを許せなくて――、
「もうやめてよ!」
気が付けば、私は怒鳴るようにそう口にして、志帆の手を振り払っていた。
志帆が地面に倒れた。地面に倒れた志帆を見下ろしながら、私は続ける。
「やめてよ……もう関わらないで……志帆が何を考えてるのか……わからないよ」
一度口にすると、とまらなくて、
「いつも大事なことは隠して何も教えてくれなくて、いつか話してくれるって我慢しても全然話してくれなくて……首を絞められるのだって苦しくて怖くて、嫌だって言ったのに、優しくしてって言ったのに、私の言うことなんか全然聞いてくれなくて……夏希さんにだってあんな酷いことして……」
驚いたように目を見開きながら、志帆は私を見ている。
何故か涙が止まらなかった。
「もう……放っておいて……どうすればいいのかわかんない……」
俯いてしまった志帆に向けて、私は再び拒絶の言葉を口にする。
「帰ってよ……もう来ないで」
胸が痛い。苦しい。
去り際の志帆の表情が、胸をよぎった。
涙が止まらなかった。
ベッドに身を委ねて、タオルケットを抱き絞める。
ずきずきと胸が痛んだ。
タオルケットを強く抱きしめて痛みを和らげようとするも、痛みは和らぐことなく増していく。
楽しかった思い出、温かかったあの日々。
ふと、思い出したのは、あの時、志帆がくれた温もり。
祐二君との事で傷ついていた私の心を癒してくれたのは、志帆の優しさだった。
涙が込み上げてきた。
ごめんなさい。
弱くて、どうしたらいいか分からなくて、酷いことを言って、ごめんなさい。
心の中で何度も何度も謝った。
楽になりたい。嫌なことも、楽しかったことも全部忘れて、楽に。
自分を傷つければ、少しはこの痛みも、行き場の無いこの想いも、消えてくれるのだろうか。
徐に立ち上がり、ポーチの中から剃刀を取り出した。
剃刀を手首の裏に当てて、そのまま手首に下ろそうと剃刀を握る手に力を込める。
手首に、剃刀が触れた。
剃刀を握る手が震えている。
それ以上、剃刀に力を籠めることが出来なかった。
怖かった。自分を傷つける勇気なんて無かった。
力無くその場に座りこんだ。
優しかった彼女の影が、脳裏をよぎる。
そっと彼女の名前を呟きながら泣きじゃくることしか、私には出来なかった。
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