(6)

 目覚ましの音で目が覚めた。

 手探りで目覚ましのアラームを止めて、重たい瞼を擦りながらスマートフォンの画面を覗く。

 時刻は午前六時。

 いよいよ五月も中旬となった。

 眠りに就く前に身体に掛けていた毛布は、いつの間にかベッドの隅に追いやられていて、もう夏が来るんだと、どこか他人事みたいに感心していた。

 身体を起こして、大きく伸びをした。

 昨日の余韻が消えなかった。

 熱いキスだった。

 恐らくあれが、ディープキスというものなのだろう。

 気持ち良くて、幸せで、頭がふわふわして――、

 思い出すと恥ずかしくなって、顔が熱くなった。

 ふと、人差し指を口元へ運んだ。

 人差し指を志帆のだと見立て、キスをする。

 優しいキスを繰り返して、舌を動かした。

 厭らしい音が聞こえた。

 頭がふわふわした。身体中が熱くなって、切なくなる。

 人差し指から唇を離すと唾液が糸を引いて、再び顔が熱くなった。

 下が熱い。もどかしい。何かが垂れてきた。

 志帆と深いキスをしてから、身体が変だ。

「……仕度しないと」

 ベッドから降りて、パジャマを脱いだ。

 ティッシュで指と下を拭いて、部屋着に着替える。

 また志帆とキスをしたい。

 志帆は嫌じゃないだろうか。

「また、綺麗にしてあげる」

 昨日の帰り際。志帆はメモ帳にそう書いて、私に見せてくれた。

 志帆は私のことをどう想っているのだろう。

 同情や哀れみだけでキスをするものなのだろうか。

 それでも、もし、祐二君とのことがなかったら、志帆が私を抱き締めたり、キスをしたりすることもなかっただろう。

 深い意味は無い。志帆は優しいから、あんな目に遭った私が可哀想で、ただ慰めてくれるだけ。そこに、好きとかいう感情は必要なくて、余計な詮索をすれば、きっとこの関係は終わってしまう。

 自惚れてしまいそうになる自分に言い聞かせると、胸が痛くて苦しかった。


 家事と仕度を済ませて家を出ると、丁度バスが来た。

 バスの車内は空いていて、スーツを着たサラリーマンや、制服を身に着けた学生が疎らに座っていた。

 辺りを見回すと、後部座席の窓側に、志帆の姿を見つけた。

「おはよう」

 志帆がメモ帳を取り出して、おはようと返してくれた。

 志帆の隣に座って、通学用のバックを膝に置く。

 唇をなぞってくれた長くて綺麗な指とか、何度もキスを繰り返した唇とか、志帆の顔を見ると変に意識してしまって、まともに顔を見ることが出来なかった。

 停留所に停まる度に、学生やサラリーマンが乗車してきた。

 その度に顔を伏せて、乗車する人を見ないようにした。

 何もないのは分かっている。分かっているはずなのに、男の人を見ると、どうしても祐二君の事を思い出して怖くなった。

 ふと、志帆が私の手を握ってくれた。

 志帆と目が合う。

「大丈夫」と、まるで私に言い聞かせるように、志帆は私の手を握りながら、静かに微笑んで頷いた。

 その優しさが温かかった。温かくて、切なかった。

 やっぱり私は志帆のことが好きなんだと、改めて思った。


「……キスをしたことってありますか」

 移動教室の途中、咄嗟に私は夏希さんに訊いていた。

 頭の中は、志帆とキスをしたあの時の事でいっぱいだった。

「まさか、くるみちゃん」

「え、はい」

 夏希さんの驚いた表情に、私も思わず驚いた。

「白鳥さんとキスしたの!?」

「――――っ」

 顔が熱くなった。夏希さんになんてことを訊いているのだろう。馬鹿だ。本当に馬鹿だ。

「ち、違います。そうじゃなくて、その」

「なに? 何が違うの? くるみちゃん?」

「うう……」

 俯く私に、

「白鳥さんとキスしたの?」

「それは、その……」

 夏希さんは小さく微笑むと、私の頭を撫でながら、

「かわいいなあ、くるみちゃん。そっかー、そこまで進んだんだね」

「夏希さんは、その……好きじゃない人にキスすることが出来ますか」

「うーん。私は出来ないかな」

「……そうですか」

「白鳥さんに想いは伝えられたの?」

「いえ……」

「あやふやな関係になっちゃう前に、ちゃんと伝えた方がいいよ」

「……そうですね」

 夏希さんの言う通りだ。

 そもそも付き合ってないのに、恋人同士でもないのにキスをするなんて可笑しいことだ。分かっている。分かっているはずなのに。

 志帆が私のことを恋愛対象として見ていなかったどうしよう。

 そう考えると、胸が切なくて苦しくて、怖くて、とてもじゃないけれど、志帆に想いを告げる勇気は湧いてこなかった。

 あと一歩、志帆への想いに踏み込める勇気が欲しかった。


 帰りのショートホームルームを終えて、放課後が訪れた。

 なるべく学校では、志帆から目を離さないようにした。

 祐二君とのことで、また加奈と理穂の元へ行くのではないかと心配だった。加奈と理穂のことはやっぱりまだ怖いけれど、もう志帆にあんな思いはさせない、そう自分に言い聞かせると不思議と勇気が湧いてきた。

 学校では何事もなく、今日も私は志帆に誘われて、志帆の家へ向かった。

 部屋に二人きりになって、通学用のバックを床に置くと、どちらからともなくキスをした。

「綺麗に……してくれるの……?」

 私の問いに、志帆が頷く。

 抱きしめ合って、深いキスを繰り返した。

 頭がふわふわして、気持ち良くて、もっと触れてほしくて――、

 ベッドに押し倒される頃には、もう何も考えられなくなっていた。

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