晩夏の風物詩 -3-

 瑞奈がお嬢様育ちで、しかも他力本願なことを店の人間は皆知っていた。本人にそのつもりはないのだが、如何せん甘やかされて生きて来たツケで、問題解決能力が無い。


 甘える術だけはよく知っている彼女にとって不幸だったのは、バイト先の連中が揃いも揃ってクズばかりだったことであろう。

 他人のことなどどうでも良いとばかりに生きている彼らにとって、瑞奈の困った顔などは、変顔程度にしか受け止められなかった。


「お前さぁ、遅れて来た挙句に何してんの」


 明日香は不機嫌を隠しもせずに、困り顔の瑞奈を睨み付ける。交代要員であったはずの彼女が大幅に遅れたため、終電の時間が過ぎてしまっていた。


 二四時間三六五日フル回転する貸し部屋業は、少ないバイトと社員だけで支えられている。

 連絡もなく遅れた瑞奈のために代理を立てられるほど、人員は潤っていない。かといって店を放置して帰れば、本社の人たちからありがたい説法を賜ることになる。


「聞いてるんだけど」


 黙っている瑞奈に、明日香は叩きつけるように言う。それで彼女が泣こうが悲しもうが、有りもしない良心が傷つくことはない。


「なんでバイト先に、彼氏連れてくるわけ」


 瑞奈の後ろには、不機嫌そうな顔をした中年男が立っている。目鼻立ちはハッキリしていて、彫りも深い。少し髭や髪に気を使えば、三十半ばぐらいには見えるだろうが、無精髭に脂の浮いた髪では、全く効果がない。


「あの、杉野さんが、電話、凄く入れるから」

「当たり前でしょ。お前の今日のシフトは九時からなんだし」

「それで、行かなきゃって。でも彼氏が、煩いって」

「それで連れて来たの?」


 明日香は鼻で笑い、瑞奈から視線を逸らした。そのまま目の前のテーブルに臥せていた風俗雑誌を手に取って、視線を落とす。安っぽいカラーページで、安っぽいベビードールを来た豊満熟女が、その豊満が過ぎる肢体を晒していた。


「あの、杉野さん?」

「何?」

「えっと……。彼氏が怒ってて」

「大変だねぇ」

「アタシ、連れてくる気はなかったんですけど」


 それきり、沈黙が流れる。

 スタッフルームの隅で十八禁の漫画雑誌を読んでいる智弘に至っては、瑞奈が来た時から一言も言葉を発していない。

 瑞奈の右頬は赤く腫れていたし、普段は丁寧に手入れをしている髪も嵐が過ぎ去った後のようになっていた。

 女子大学生らしい服装は家に置き忘れて来たのか、みすぼらしいスウェット姿で、なのにバッグだけはブランド物なのが滑稽だった。


「……あの」


 十分にも及ぶ沈黙の末に、痺れを切らしたのは瑞奈の方だった。といっても明日香と智弘はそれぞれ三次元と二次元の女の裸体を見ていただけなので、何のストレスもない。


「怒ってますよね?」

「怒ってますねぇ。遅刻したんだから、当然でしょ。お前、遅刻したことないの?」


 男の事には一切触れず、明日香は相手の遅刻のことだけを責める。

 この男が何をしに来たか、明日香には大体予想がついていた。瑞奈の怪我や、明らかに趣味ではないだろうスウェット姿を見ればわかる。


 女を支配し、女を見下し、それでいて「私物」化した女に向けられた言動を、自分のことと思い込む。明日香が瑞奈の遅刻を咎めたことを、自分が咎められたと勘違いし、怒鳴りつけてやろうとやってきた。そんなところだろうと思われた。


 そういう輩に一番効くのは、蚊帳の外に出してしまうことである。遅刻したのは、瑞奈。瑞奈が連れて来た彼氏は、無関係。無関係の男は、何をしに来たのか突っ立ってるだけ。


「遅刻はいいんだけどさ。連絡がないと心配するでしょ? 事故とかさ、病気とかさ」


 明日香は雑誌をめくりながら言う。


「だから電話掛けたんだけど、出ないからさぁ。何か悪いことした?」

「……してません、けど」

「じゃあ何、その不満そうな顔」


 誰かが助けてくれることを期待している瑞奈は、縋りつこうとした相手が明日香であるという過ちに、まだ気付いていない。

 まだ優しいクズ、麻木真であれば、少しは相談に乗ったりしてくれるかもしれないが、生憎シフト表にその名はない。


「というかさ、いつまで突っ立ってんの。私、そろそろ帰りたいんだけど」

「あ……、はい」


 瑞奈は慌ててタイムカードに手を伸ばす。しかしそれを智弘が直前で遮った。


「大野が来ないから、本社に連絡したんだ。お前、今日のバイト代は無しね。代わりに俺達が朝まで仕事したことになるから、タイムカード切っておいて」

「でも……」

「文句あるなら、本社に言えよ。丁度今日は「棚卸」で、社長と専務が残ってるらしいからさぁ」


 怯えたように声を上げた瑞奈を見て、彼氏がスタッフルームに入り込もうとする。明日香は素早く椅子から立ち上がると、その前に立ちふさがった。


「すみません、此処は従業員以外立ち入り禁止で」


 人差し指を立てて、天井を指さす。そこには半球状の機械が取り付けられていた。


「監視カメラで撮影中ですので、ご協力下さい」


 男は苦々しい顔をして、煙草臭い舌打ちをする。だが明日香が、音声も録音していることを告げると、すぐに静かになった。

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