第3話  拉致された

「セバスチャン、準備はいいこと?」

「万端でございます、アリスお嬢様」


 暗闇の中、くぐもった声が聞こえる。しばらくがたがたがさがさと音がしたのち、急に視界がひらけた。

 同時に強烈な光が目の奥まで突き刺さり、俺は目を細めた。


「それでは、ええと……お父様の魔物図鑑によれば、このあと使役の呪文を唱えて……」

「お嬢様、それはこの章です」


 目が慣れてくると、ここがどこかの部屋だということが分かった。

 洋館の一室といった風情で、広さは、十五畳程度。結構広い。応接間だろうか。

 一見すると、なかなか豪華な印象を受ける。

 高そうな革張りの長椅子に、木製のローテーブル。天井には小ぶりながらシャンデリアが吊られ、壁を彩る装飾は複雑な紋様だ。床は絨毯が敷き詰められている。

 だが俺は違和感を覚えた。どうも様子がおかしい。


 まず、天井からつり下げられたシャンデリア。蜘蛛の巣が張っている。

 それから複雑な紋様の壁紙。そこかしこが剥がれていて、カビの生えた石壁が露出している。

 椅子とテーブル。部屋の隅で転がっている。

 暗褐色の絨毯。以下略。

 ボロ屋だ。お化け屋敷といっても通じそうなほどのボロ屋だ。

 ただ――その外観から想像するほど埃臭くはなかった。一応、人の手は入っているらしい。


 そして、俺はそんなおんぼろ部屋の中央に敷かれた魔方陣に座っていた。

 魔方陣からはかすかに光が立ち上り、それが俺の全身を包んでいる。そのせいなのか、さっきから身動きがとれない。

 俺は唯一自由になる首をひねると、大小二人の人間の姿が視界に入ってきた。


 洞窟で見たメンツだ。

 つまり、どこぞのお嬢様のアリスと、その執事のセバスチャン。

 アリスは着替えたらしく、ドレスのような服を着ている。セバスチャンは……執事服のままだ。

 ふたりは顔を付き合わせ、なにやら分厚い本のめくりながら、あーでもない、こーでもないと話し込んでいる。


「ねえ、セバスチャン、この文字はなんて読むのかしら」

「それは私に聞かれても……」

「意外と学がないのね」

「申し訳ございません、お嬢様。さすがにこのセバスチャン、古代文字ルーンまでは修めておりませんので」

「おい」

「それじゃあ、お父様の書斎から辞書を持ってきてもらえるかしら?」

「かしこまりました」

「おいコラ」

「何ですの? ちょっと静かにしててもらえませんこと?」


 アリスがいらついた声を上げ、こちらを見る。

 それから――困惑の表情を浮かべた。


「……ちょっと、セバスチャン。洞窟の精霊が鳴くなんて、図鑑に書いてないわ」

「おかしいですな」

「鳴き声じゃねえ、声だ。だいたいここはどこだ。俺は何でここに連れてこられたんだ」

「「!?」」


 今度は驚嘆の顔に変わる。なにかと忙しいお嬢様だ。


「ちょっと!」


 アリスはセバスチャンの首根っこをひっつかみ、後ろを向いた。


「なんで精霊が喋ってるのかしら? 精霊は魔物の一種なのではないの? 人の言葉を解するなんて、図鑑のどこにも書いておりませんわ」

「ですからお嬢様、それを私に言われても……」


 こそこそと耳打ちしあっているが、丸聞こえだ。

 おれはため息を一つついてから、二人に話しかけた。


「なあ、アリスとセバスチャン。俺は何でこんな場所に連れてこられたんだ? とういか、さっき俺のこと『精霊』って言ってたよな。俺は『洞窟』じゃないのか? 説明がほしいんだが」

「すごい……精霊が喋ってますわ……しかも、こっちの言うことも完璧に理解している様子。お父様がこの場にいれば、さぞかし喜んだでしょうに」

「ええ、これはすごい発見ですぞ。お父上が生きてらっしゃれば……」

「とりあえず、その話はあとで聞くから」


 俺はもう一度、ため息をついてから、言った。






 ◇     ◇     ◇






「――で、要するに俺はあの洞窟にとりついた精霊、ということか」

「この図鑑によれば、そうなりますわ、ユードラ様」


 同じ姿勢を取らされていた俺は、凝り固まった肩を回しながら言った。

 アリスは部屋の脇にどけてあった椅子を起こし、分厚い本を手に持ったままゆったりと腰掛けている。そのすぐ側には、直立したセバスチャン。

 魔方陣の光は、もう消えている。

 意思疎通ができ、人を害する意思ががないことを説得して、俺はやっとのことで魔方陣の呪縛を解除してもらうことができた。


 ちなみに、ユードラという名は、もともと俺がいた洞窟の名前だ。

 精霊の名は、基本的にそれが存在した地名をとって呼ぶのが習わしだそうだ。

 一応、洞口崇ほらぐちたかしという生前の名があることは彼女に伝えたのだが、「精霊の真名なんて、恐れ多くて口にできませんわ」などと言われ、いまだ呼んでもらえていない。

 正直何が恐れ多いのか分からないが、文化の差というのはえてしてそういうものだ。

 無理に押し通してアリスを不愉快にさせたり畏まらせたりする必要はないし、まあペンネームとかコテハンとかあだ名とか、そういうものだと思っていればいいかと、こちらも納得した。

 だいたい、異世界で日本人名をあえて名のる必要もないわけだしね。


 アリスが言うには――彼女の持つ魔物図鑑とやらの記述によれば、俺は『土の精霊』の一種ということらしい。神様はそんなこと一言も言ってなかったが。

『土の精霊』は地下――洞窟や地下水の中、鉱脈などに棲んでいる魔物で、その姿は幽体のため普通は見ることができない。

 人間がその領域を侵すと、彼らは怒り、罰を与える。たとえば落盤、鉄砲水、有毒ガスの湧出などの自然災害だ。

 その中でも、ごくまれに力の強い個体が発生することがある。

 彼らは一定の知性をもち、洞窟などの地下空間に罠を仕掛けたりして、訪れた人間を惑わす。

 そのうちの一体が、俺ではないか、という事らしい。


「――私の父は、この国の魔物研究の権威でした」


 アリスの父親は、魔物を特殊な術式で捕縛し、使い魔として使役することを研究していたとのこと。

 だが、数年前に病に倒れ、そのままこの世を去ってしまった。

 さらに、もともと病弱だった母親も、その後を追うように亡くなってしまったそうだ。

 アリスは十代に入るか入らないかという年には、すでに一人になってしまったという。

 今屋敷にいるのは、彼女と、執事のセバスチャンだけだ。


 だが、父親の書斎にはその研究の成果である大量の書類や本が遺されていた。

 ようするに――何の目的か知らないが、その技術を使って俺を拉致してきたというわけだ。


 ちなみに、どうして熟練の冒険者でさえ到達できなかった最深部までこれたのか聞いてみたところ、「それもお父様の研究のたまものです」とか言っていた。

 なんでも、精霊が作り出す罠の種類、設置箇所のパターンとか、研究でかなり解析されていたらしい。

 俺も洞窟に挑んできた冒険者達をおちょくるだけだったから、それほど熱心に罠の配置とかを極めてこなかったが……しかし研究だけでダンジョン攻略ができてしまうのか。

 今まで散々アタックしてきて、それでも攻略できなかった冒険者達が知ったら泣いて悔しがることだろう。


 それから、重要なことを一つ。魔方陣で捕縛された精霊は――実体化する。

 姿形は様々とのことだったが、俺はひとまず人間のような姿をしている。

 ただし、生前とは全く異なる容姿だった。

 アリスがセバスチャンに持ってこさせた手鏡で確認するに、基本の造形はダークエルフみたいな褐色笹穂耳。顔の彫りが深く銀髪で、いかにも異世界の住人、といった具合だ。

 この世界での容姿の美醜の基準はよく分からないが、アリスの反応を見るに、それほど悪くはなさそうではある。

 ちなみに、生前よりは大分イケメンになっているとは思う。


「話は分かったよ。で、コレが一番聞きたい話なんだけど、何で俺、ここに連れてこられたんだ?」

「それは――」


 その時だった。

 部屋の外で、バタンと大きな音が聞こえた。

 がやがやとした声とともに、屋敷の中に大勢の人間が入ってくる気配がある。

 アリスがはっと顔を上げ、扉の方を見た。


 その横顔は、険しいものだった。

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