第4話  悪役がきた

「お嬢様、ご来客のようです。私が見てまいります」

「……セバスチャン、お願い」


 セバスチャンは彼女と俺に一礼をすると、音もなく部屋を出て行った。

 視線をアリスに戻す。

 彼女は眉間にしわを寄せて、下の絨毯をじっと見つめていた。


「どうしたんだ?」

「……こんなときに」


 アリスは俺の問いかけには応じず、不機嫌そうに独りごちた。

 気まずい空気が流れる。

 しばらくすると、セバスチャンが戻ってきた。


「アリスお嬢様。ジークムント様がお見えになりま――」

「あー、お前はもういい。執事は下がってろ」


 どん、セバスチャンの肩を押しのけ、蛙が入ってきた。

 ――いや、見間違いだった、人だ。蛙のような面構えの、太った男がずかずかと部屋に入ってきた。

 男の後ろには、武装した男達が五、六人。どの男もにやにやと嫌な笑いを浮かべている。


「よぉう、アリスお嬢様。屋敷を出て行く準備はできたかい?」


 下卑た笑みを浮かべながら、ジークムントが言った。


「……行くあてなんて無いこと、分かっているでしょう。」

「行くあてならあるだろぉう? 俺の妾にしてやるっていってるだろぉ? そしたらぁ、いーっぱい可愛がってやるぜぇ。金ならうなるほどあるからなぁ。うひゃひゃひゃひゃ」


 笑い声といっしょに、口の端から涎の泡が飛んで、絨毯に落ちた。アリスが顔をしかめる。


「笑わせないで。それは父様の死後、あなたが全部奪っていったものでしょうが」

「ああー? 反逆者の娘がいっちょ前に口聞いてんじゃねぇぞぉ?」


 言って、ジークムントが顔を歪めた。威嚇のつもりらしい。

 だが、アリスにはたいした効果はなかったようだ。


「失せなさい! この下衆が!」


 アリスが強い光を湛えた翡翠色の瞳でジークムントを睨み付け、一喝する。

 ひっ、と小さな悲鳴を漏らして、ジークムントが後ずさった。

 どうやらこの男、肝っ玉は相当に小さいらしい。


「このクソガキがぁ……! 下手に出てみたら調子に乗りやがって! おい!」


 それを合図に、男達がそれぞれの得物に手をかける。


「お嬢様、私の後ろへ」


 セバスチャンが、アリスの前に出る。

 一触即発の状態だ。


 だが――俺はこの状況に対して、冷静に見守ることができた。

 早い話、これはDQN同士のケンカなのだ。

 つまり、深夜のコンビニバイターにとってはたいしたイベントではない。

 いや、正確に言えばコンビニ強盗の次くらいにビッグイベントではあるが、バイト歴十年近い俺にとっては初めてというわけではない。

 元深夜コンビニバイトたるもの、この程度のことは己の才覚で困難を乗り越えなければならないのだ。


 事態が自分に有利だと思ったのか、ジークムントがどや顔で後ろの男を親指で示して言った。


「あーあ、俺どうなっても知らないぜぇ。コイツらの顔、知ってるかぁ? みーぃんな、お尋ね者ばかりさぁ。こいつは首切りのハンス。それはもう、三度の飯より女子供が大好きでさぁ。三十人ばかりバラしてるんだとよぉ。んで、こいつはぁ――」

「ちょっと、お客様」


 俺はどや顔で口上を続けるジークムントに歩み寄った。


「ああ!? 何だてめーわぁ! 今いいところなんだ、黙ってっ――ぶぎゃっ」


 ぽん、と肩を叩いたつもりだった。


 ズドン、とものすごい音が部屋中に響いた。

 大量の埃と木くずが舞い上がる。


「「「「「「「 えっ 」」」」」」」


 おれも含めて、その場の全員が固まった。視線が、俺の足下に集中している。

 そこには、ジークムントの頭頂部だけが、まるで風に吹かれて地面に不時着したカツラのようにふさっと佇んでいた。彼の巨体は、完全に床にめり込んでいた。


「な……なんだお前は……!?」


 男の一人が、呆けたような声を上げた。

 それは俺が聞きたい。一体なんなんだ、この力は。


「い、いや、かるーく肩をぽん、としただけだよ? いやホントに。そしたらこの人急に床にめりこんで……」


 いや、本当に。

 予想だしてなかった。

 精霊ってのが、こんな馬鹿力だなんて。こんなん、罠とかいらないじゃん……


「クソがぁっ……!! こいつをぶっ殺せぇぇぇっ!」


 猛り狂った男達が武器を手に、一斉に襲いかかってきた!


「危ないっ!」

「ユードラ様!」


 我に返ったアリスとセバスチャンが口々に呼ぶ。


「「「うおおおおぉぉぉぉぉぉ!!」」」


 遅い。


 男達の攻撃は、あまりにも鈍かった。

 集中力というやつだろうか。攻撃が来ると思った瞬間、周囲の時間が急にゆっくりになった。

 いや――正確には、俺の思考が加速したんだろう。

 これも、精霊という存在の仕様スペックなのだろうか。

 人間――というか、生物の限界リミットを遙かにぶっちぎっている。

 正直、物理法則を遵守しているかどうかも怪しかった。


 ――男達の攻撃が迫ってくる。

 どいつもこいつも、鬼のような形相だ。精霊とかいう存在に転生した俺なんかよりも、よっぽど人外に思える。

 説得してハイそうですか……とはならないよなあ。絶対。

 バイト中ならば、ここらで警察を呼んで後はお任せで終了なんだが……残念ながらここは異世界だ。


 ならば仕方あるまい。


 まず、正面から突撃してくる男。上段に振りかぶった剣を――ハイ、今。

 ひょい、と半身になって躱す。振り抜いたところを、ハイ、こめかみにデコピン。


「ぎゃっ!?」


 脳みそが変な角度に振られたのか、男はその場で崩れ落ちた。


 はい次。

 二番目は下段からの振り上げか。これも、軽ーく身体を倒して避ける。

 で、これも振り抜いたところを軽くチョップ。


「げふんっ!?」


 目と鼻から血を吹き出し、男は床に倒れた。


 三人目はすでに肉薄していた。今度は突きだ。

 突きは殺傷能力が高い上、対象と最短距離で点と線を結ぶため、避けるのが難しい。

 だが――それも、普通の人間での話。

 完全に反応速度が人外の領域に達している今の俺には全く意味のない理論だ。

 あえて首元数ミリで躱して見せて、顔面に掌底を浴びせる。


「はがっ」


 男の鼻が自身の顔面に埋没し、血液とともに前歯が飛び散った。

 膝を突き、仰向けに倒れる。


 部屋の中に静寂が戻る。


「……ふう。言っとくけど、これ正当防衛だからね……だよね?」


 誰もうなずいてくれなかった。






 ◇     ◇     ◇






「くそっ、くそっ、くそっ……っ!! てめぇらっ! この俺様にぃ……っ! こ、こんなことして、た、ただで済むと思ってんのかぁ! 今からてめぇらを五分刻みで解体してやるゥ!」

「旦那っ! 今はダメだ! いったんずらかりましょうや……!」


 床から引っこ抜かれ意識を取り戻したジークムントは、男達に引きずられながらも、捨て台詞というか罵倒の言葉を叫んでいた。存外タフな野郎だ。

 だが、取り巻きの男達はこれ以上俺たちと事を構えるつもりはないようだった。

 床に倒れている連中を助け起こすと、そそくさと部屋の外へと退散していった。


 ジークムントの叫び声が屋敷から消えると、ようやく俺は肩の力を抜いた。


「ふう。悪は去った」

「……」

「……」


 いい汗をかいた俺は、額にうっすらと浮かんだ汗を手でぬぐう。

 ふと視線を感じて後ろを見ると、アリスとセバスチャンがこちらを見つめていた。


「ちょっと! なんなんですのアレは! こんな強力な精霊、今まで見たことないですわよ!?」

「あのジークムントの巨体を床にめり込ませるとは……土の精霊は剛力と聞きますが、いやはや想像以上ですな」

「それに、あの身のこなし。精霊はあんなに素早く動けるものなのですか? ユードラ様、さっきのもう一度再現してみて下さる?」

「私めも執事たるもの、多少は腕に覚えがございますが……あの見切りは見事でございました。何か、武術を?」 


 しばしの硬直ののち、二人が堰を切ったようにまくし立ててきた。

 

 いや、別に何か特別なことをしたつもりはないんだけどなあ……

 ただ蛙野郎の肩を叩いただけだし、あとの連中にはデコピンとチョップと張り手だ。何も特別なことなんてない。

 威力については俺もびっくりしたけど……


 俺としては執事のセバスチャンが強いらしいことの方が気になるんだが。

 とはいえ、俺が何で連れてこられたかは分かったような気がした。


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