第6話 成層圏外フィオリトゥーラ ①

 《季節の塔》に連れていかれたアイリスを助けに行く。そうは言っても、ただ正面から乗り込んでいっただけでは、その場で捕らえられるだけだろう。

 必要なのは、警備の人間たちですら飛び出すような未曾有の事態。こんなことは無いだろうと油断している奴らに、ガツンとでかい混乱をぶつける。

 そのためには――


「……坊ちゃんの話は聞いたな、お前ら。

 《季節の塔》――あの中に、アイリスの嬢ちゃんが連れていかれたらしい」


 廃教会の中、今では礼拝堂を埋め尽くすぐらいの人数が集まっていた。元々ここを寝床にしていた子供たちだけではなく、おじさんを中心にした塔周辺の工事に携わっていた大人たちまで集まっている。


「俺たちが汗水流して働いている間も、いろいろと良くしてくれた坊ちゃんの。

 ――妹のような存在だった譲ちゃんが、だ」


「ここに集まってくれた皆は、家族のようなものだろう? それならば、坊ちゃんは俺たちの息子であり、譲ちゃんは娘だ。無理やり連れていかれたと聞いて――動かないなんてことはないよな?」


 おじさんのその言葉に、各々が深く頷く。僕の言葉を全く疑うこともなく、何かの打算などでもなく。純粋に僕に協力する意思に溢れていた。


「おじさん……」

「……坊ちゃんの言うことなら、みんな信じるさ。夏の暑い日も冬の寒い日も、いつだって差し入れを持ってきてくれてたんだ。こんなとき嘘を吐くような子じゃないって、ずっと話してきた俺たちは分かってる」


 頭にポンと手を置いて、そのままワシワシと強く頭を撫でられる。加減も糞もない乱暴なものだったけど、嫌な気分はない。厳つく、大きく、力強く、優しさに溢れた手だった。


 その手が肩に下ろされ、おじさんは僕に確認するように問いかける。


「本当にぶっ壊しちまっても構わないのかい? あの塔は坊ちゃんにとっても――」


 ――夢だった。いつか、あの場所で働くことが。


 だからこそ、あそこの整備に携わっていたおじさんたちに日課の如く差し入れを持って行っていたのだし。自分がいつかそれらを使うようになるからと、絶対になってやろうと、そう思っていたからこそ。――だけど。だけども知ってしまった。


 本来ならば実現するはずの無かったバベルの塔。今となっては化けの皮が剥がれ、醜悪なものにしか見えず。このコロニーのどこからでも必ず見えてしまうその塔が、今ではとても疎ましい存在へとなり下がっていた。


「……構わない。アイリスの涙が必要な季節なんて……俺たちは要らない」

「おし、そうと決まれば――」






「お前たち、準備はいいな!」

「こっちはもうエンジンを掛けたぞ! 腹ぁ括れよ! 」


 年中通して、塔の周辺は開発工事が進められていたことは良く知っている。だけども、その工事も冬に起きた大雪で停止中。――クレーン車やら重機も、全部置きっ放しになっている状態だった。


「責任者の人には悪いが……これも大事な人助けだ」


 そう言って笑いながら、おじさんの同僚たちは次々とクレーン車に乗り込んでいく。それ自体が一つの建物のような大きさの、巨大な、巨大なクレーン車に。


「本当なら俺が運転できれば良かったんだけど……」


「心配しなさんな。危ないことは俺たち大人に任せておきゃあいいんだ」

「それに、坊主が運転してたら無免許で捕まっちまうだろ?」

「はははっ違ぇねえ!」


 断続的に続くエンジン音と、笑い声。それも暴風、暴雪によってかき消され、コロニー内に響くこともない。冗談交じりに言葉を交わしながら、深々とヘルメットだけはしっかりと身に付けている。僕が何か月もその背中を見ていた、働く漢の背中だった。


「その代わり、一番重要なところは任せたぜ」








「タクトさん、どうでした?」

「準備万端だ。すぐ始まるぞ」


 腹の底に響くようなエンジン音と共に、クレーン車がその長いアームを動かし始める。まるで息を合わせたように、二つのアームが左右対称に回転。まずは逆方向へ引っ張って――十分な勢いをつけて、塔の横っ腹に強烈な一撃が入った。


「これって大丈夫なんですか……!?」

「だ、大丈夫……たぶん」


 再びアームが引き戻され、更に一発、二発。真っ二つに折れるようなことはないものの、外壁がバラバラと落下し始めている。……真っ二つにしてもらっても困るのだけれど。


「重機の扱いは俺たちが一番慣れてんだ。中には塔の建築に携わった奴もいる。

 どれぐらいの加減で叩けばいいかぐらい、把握してるさ」


 おじさんの言ったように、加減されているのだろう。そうは見えないけど。確かに《季節の塔》は全く倒れそうな様子は見せない。流石は現市長が威信をかけて建築しただけある。

 それでも。外側がいくら頑丈だったとしても。内部にいる人間は、外から受けた脅威に対しての耐性などないはず。


 ここからでも聞こえてくる、けたたましい警報音。何があったのか把握していない職員たちが、塔の出口から避難を始めていた。


「……行くぞ、坊ちゃん」

「…………」


 無言で頷き、塔の入口へと走り出した。人の波を掻い潜るように塔へと入り、アイリスのいるであろう場所を目指す。武器を手にして塔へと乗り込んで。やっていることはテロリストと変わらない。


 いや、大泥棒だろうか。

 もちろん、盗むものは――‟春の女王”。このコロニーの季節。


 ダリアから聞いた話では、あまりにも情報が不足していて。自分達がいる場所も『塔の上の方』と言うだけ。『いきなり連れてこられて外を見る余裕なんてなかったんだから、仕方ないじゃない』とダリアは弁明していた。


 エレベーターは停止しているため、螺旋階段を駆け上がる。避難が進みつつあるのか、もっと効率よく下へと降りられる場所があるのか、上部へと昇っていくうちに、人の数も少なくなってきた。――が、それに反比例して冷気が強く立ち込めてくる、一番酷い階層では壁に霜が降りていた。


冬の女王カトレアが発生させた氷で、私たちのいる場所は覆われているの。きっと冷気が一番立ち込めている場所が、目的の階よ』ダリアは確かにそう言っていた。つまりは、ここに例の装置があるのだろう。


「はい、兄ちゃん。カードキー」

「手癖が悪いな……」


 隣を走る男の子が手の中でバラリと広げたのは、研究員らしき人物の名前と写真が入ったカード。どこかに落ちていたのか、避難する人からすれ違い様に掠め取ったのか。僕に追いつくまでに他の子たちからも回収したらしく、受け取って重ねると山のように分厚くなっていた。決して褒められたものではないけれども――


「――今回だけは内緒にしといてやる。よくやった。

 これが終わったら、みんなに好きな物買ってやらないとな」

「やった!」


 受け取ったカードキーを使いながら進んで行く。どうやらセキュリティ権限にもレベルがあるようで、使えるカードが奥に行くにつれ減っていく。塔の中に殆ど職員もいないようだし、どうやら子供たちあいつらが『このままじゃ塔が崩れる』と嘘の情報をばら撒き回っているらしい。


「……いざという時は俺が無理やりこじ開けてやるさ。安心しな」

「おじさん……」


 普通に考えて手で開くような構造ではないと思うのだけれど。筋骨隆々のおじさんの腕を見る限り、本気でやりかねないと思った。


 手元に残ったカードキーはたったの二枚。それでもなんとか目の前の扉を開けたところで、聞き覚えのある男の声が響いてきた。


「季節を完全に再現することが市長――我が友の夢だった! 幾度もの地球降下を繰り返し、《季節の塔》の研究を重ね――そしてようやく‟季節の女王”を持ち帰った友の! 分かるか!? こんな所でまごついている時間も惜しいのだよ私は! ほら、さっさとこのフロアの氷を溶かさないか!」


 アイリスを連れ去っていった白衣の男。奴が通路の更に奥へと向かっていた。――嫌がるアイリスの髪を掴み、無理やりに片手で引きずりながら。


 


「アイリス――!」

「タクトっ!?」


 周りには警備兵などの姿は無かった。全力で男に飛びかかり、蹴りつけ、アイリスを引き剥がす。男の方は強襲者に面食らったようで、あっさりとアイリスの間に割り込むことができた。


「なんだお前達は――警備兵は何をしている!? このフロアに一般人が入っただけでも、私の権限で刑務所送りだぞ?」

「犯罪者になろうが、どうだっていい! 俺たちはアイリスを取り返しに来ただけだ! このコロニーの‟春”は俺たちが奪わせてもらう!」


 向こうは一人、こちらは自分とおじさんの二人だった。恐らく子供たちは‟別の季節の女王ダリアたち”を探してフロア内を駆けまわっているのだろう。


「馬鹿なことを……。自分達が何をやっているのか理解できているのか? これさえ上手くいけば、技術をダシに我らがコロニーを優位に立たせることができる。この陰鬱とした宇宙時代の中で、安定した地位を築くためには‟季節”が必要不可欠だ! お前たちにその夢を邪魔させるわけにはいかんのだよ!」


「誰かの涙が無いと成り立たない季節なんて――俺たちはいらない!」

「視野の狭い糞餓鬼風情が、大人の世界に口を挟むなっ!」


 男が懐から取り出したのは――くるりと束ねられた縄。ではなかった。皮、合成皮革? 素材はなんであれ、武器であることだけは分かった。それが鞭であることが分からないほど無知ではなかった。そしてそれが、自分達に危害を加えるのに十分なことも、痛いほどに予測できた。


 せめてアイリスだけは守らないと――慌ててアイリスを庇うようにして、男に背を向け、肌を切るような痛みを待ち構えていたのだけれど……。


「……?」


 一向に痛みはやってこなかった。それもその筈、そのしなやかな鞭の先端は、僕の背中ではなく、おじさんの左手にしっかりと巻き付きいていた。二人の間を、ぴんと張った状態の鞭が繋ぐ。

 

「あんたも、自分が“大人”だっつうならよ――」


 勢いよく鞭ごと男を引っぱると同時に、右腕を振りかぶるおじさん。過酷な工事現場で鍛えてきたおじさんの力に、研究室勤めであろう白衣の男が抵抗できるはずもない。僕が見ている真ん前で、男の足は地面を離れる。


「おい待てなにをするつもりだやめ――」

「子供に格好悪い姿を見せるな!」


 一直線に引き寄せられた男に向けて、おじさんはまるで丸太のようなその太い腕を勢いよく振り下ろし、そのまま男を殴りつけた。


「がっ――!?」


 鞭から手が離れ、地面に思い切り叩きつけられる。そのまま身動きしないことを確認すると、おじさんは鞭を縄替わりにして後ろ手に縛りあげた。


「これで……全部終わったか?」


 僕がそう言うと、ふるふるとアイリスは首を振る。これで一件落着だと思っていたけど、まだやることがあった。やらなければいけないことがあった。僕ではなく、彼女に。アイリスがこの事件の後始末をするということだった。


「……まだ私がやらないといけないことが残ってる」

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