第14話 交錯

「お客さんかい? 悪いがお引取り願おうか」

 目の前の男は今も鳴り響く破壊の音に何の動揺もしていなかった、明らかにこの事件の関係者だろう。年齢は三十代前半といったところか、鍛えられた肉体が確信に拍車をかけた。

「退いてくれませんか、僕たちは中に用がある」

「お前が『依代』を持っているなら、聞くわけにはいかないな」

 男はそう言うと、その姿を巨大な猿に変化させていった。

 やはりと、原田が思ったころには、無数の黒い蛇が地面から溢れ出ていた。

「早く忍さんにその中身を」

 バックからはみ出している鮫皮の柄を横目に、釜坂は言った。彼は失笑していた、自身の有利に。

「不可避の戦、その初戦がこれでは拍子抜けだよ、『猿神さるがみ』とはいってもこれではせいぜい妖怪程度だ」

 怪腕に襲われることなく原田は対峙する二人の横を通り過ぎた、既に離れていたのに、大猿の叫びで聴覚が麻痺するかと思った。

 だが、釜坂の身を案じる必要はあるまい、猿は蛇を恐れるものだ。

「剣持さん」

 あちらこちらで商品の衣服が炎上している、いてもたってもいられず(自分一人なら仮に襲われてもどうにかなるだろうとの楽観視もあり)走りながら短く彼は叫んだ。

「誰だ!」

腕に怪我を負った、茶髪の少年が、原田を見つけ叫んだ。

「おい、お前、死ぬ準備は出来てるよな、どうせ、駒の一つだろう」

 茶髪の少年から殺気が迸る、どうやら彼も、『依代』によって霊威を扱える人間のようだ。

 原田は喫茶店の店主に渡された日本刀と拳銃を取り出しながら、右手でバッグを投げ捨てた。剣持の脇差はバッグの中だ。

「剣持さ――」

 その苗字を出した途端、茶髪の少年の顔がより歪んだ、その名前を恐れているのだと原田は感じ取った。

「剣持秀長の息子だ」

 呼びかけを途中で止め、嘘に切り替えた。それは出鱈目にも程がある内容だった。しかし、おそらくは逃走中であった少年の思考力を恐れる必要はない。

「腕の傷は俺の姉さんにやられたんだろう」

 彼の傷跡を目ざとく発見し、煽る。久しぶりに使った呼称は、少し原田の心にわだかまりを残したが、構わず続けた。

「おとなしく依代を渡せ、そうすれば命だけは助けてやる。俺は姉さんほど優しくないから、仕掛けるなら覚悟しろよ」

 少年は怯え始めてしまった、何だか申し訳ない。それが余裕を生んだのか、原田の脳裏に、緊急時だというのにこんな不真面目そうな少年より、自身には依代への適応性がないのかとの思いがよぎった。

「くそっ! 何人居やがるんだよ」

 茶髪の少年の言葉の意味を考える暇はなかった。少年が『依代』の力を展開したからだ。少年を中心に風が集まる――。

「やる気か、死ぬぞ」

 十中八九、原田が死ぬことになるだろうが、臆せず(恥じてはいたが)言った。

 少年はすでに泣き出していた。前門の虎、後門の狼の心境なのだろう。そのいたたまれなさは、敵でなかったら前門の虎は張り子だと、教えてあげたいくらいのものだった。

「原田君!」

 少年と原田の間に、突如、左方から剣持が現れた。何らかの攻撃を回避しつつの出現であったが、原田は即座に反応し、彼女に自分が手に持っていた刀を投げた。

「脇差はそのカバンの中にあります!」

 告げた瞬間に、拳銃を床に置きつつ、地面を蹴った。彼女は刀を受け取ると同時に、原田の投げ捨てたカバンに向ったので、二人は交差する形になった。それが良い目くらましになってくれた。

 茶髪の少年は、状況を把握してなかった、おそらく原田に騙されたとも気付いてないだろう。

 原田の拳があご先に掠るくらいのところになって、やっと少年は攻撃を開始した。原田は突き出された右腕を左手で払いのけた。

少年の掌からその力が放出されたのだろう、後方で何かが壊れた音がした。原田の中に、一発で攻撃を止めるという選択はなかった、顎に一撃入れた後、払った茶髪の少年の右手を掴み、一本背負投げに持ち込む。

 敵が小柄なのが幸いした、どちらかといえば相撲の技に近いが、『力』を使う暇を与えないよう、相手の感覚を混乱できるならなんでも良い。

受身もまともにとれず転がる少年の鳩尾に、原田は追撃を打ち込む。『依代』に宿った神の能力を考慮し、垂直に、全力で靴底を打ち込む。

「悪いな、悪人同士、手加減はなしだ」

茶髪の少年には確かに殺意があった、本当に実行に移せる種類のものかどうかの判断は難しかったが。原田にとって、それは後悔を負いながらも、全力で攻撃に踏み込める決め手となった。

「剣持さん、彼の『依代』はどこに」

 彼女なら確かめているだろうと予想し、原田は叫んだ。

「腕時計です」

 彼女は、何かに操られ飛来した金属片を刀で弾きながら、原田に指示した。原田は茶髪の少年の袖を捲くり、腕時計を奪った、少年はほとんど動けないから容易かったが、どう破壊するかの問題はある。

 原田は時計を床に投げ捨て、拳銃を使ってそれを破壊した。構造を知っているから発砲くらいは出来たが、まさか、絵筆のための手でこんなものを使う日が来るとは、と原田は一瞬、妙な感慨に囚われた。

「おや、危ない」

原田が依代の『破壊』に要したのは一瞬であろう。しかしこの停止の最中、原田の真横から冷たい声が発せられた。

 今までの恐怖とは質が違った、もっと直接的な、――自身が銃を向ける側なのに、変な話だが――銃口を向けられているような、危険性を感じた。

 危機を察し、咄嗟に銃を手放したのは正解だった。数千の白い糸のようなものが、先ほどまで原田が持っていた銃を貫いている。

「釜坂君の手助けに行ってください」

 直接確認してないものの、『依代』の反応で釜坂の存在を知ったのだろう、剣持はそれを理由として原田の安全を確保しようとした。

「すみません」

足手まといになるわけにはいかない。金属をいとも容易く穿った正体が、数間先に佇む女の白髪と知る前に、原田にはその冷静な判断ができた。

役割を果たしたとはいえ、自身が『依代』を扱えないことを原田は再び呪う。

「気にすることではありません」

 一目散にその場を後にした原田の精神状態を気遣いながら、彼女は揃った大小拵えを構えた。今まで、複数の『使い』を駆使し、戦闘を有利に進めてきた三人は、追っているはずの女から発せられる脅威に震えた。

 一人残された彼女は異常だった。

 秩序の為とはいえ人を斬った事実は、今この瞬間まで寝ても覚めても彼女を苛み、未来に進む足を強張らせていた。だというのに、彼女の身と心は『依代』を使った破壊活動を確認した瞬間に、敵の排除を望む一つの刃に変わっていた。

「徒に、足掻く必要もないだろう。『依代』を渡して目的を言え」

 友人を傷つけられ、庇って傷を負いながらも、彼女の心が折れることは決してなかった。途中から完全に素手になったものの、原田の働きで自分一人の身となったのが功を奏し、この戦いでの損傷は、藤川を庇った際に負った左肩の傷だけに留まっていた。

 鉄に作用する『経津主神』の力で血流を制御しながら、彼女は勝てると確信した。

「まさか、易々と渡すなら、こんなことを起こしたりはしなかったさ」

 剣持を追っていた青年がその言葉に応えながら、上着を脱ぎ捨てた。今までとは、攻撃方法を変えるらしい。

「まあいい、最後に意識がある者に聞こうか」

 彼女は冷たく言い放ち、青年はまたそれに応えた。しかし今度の彼の返答は、獣の咆哮そのものであった。

 青年の両腕からそれぞれ、狼の頭が生えた。特殊な「神」の例だ、使用者は一人なのに、狼の群れのように体が変わって行く。

 剣持は脇差を投げた、それは青年の狼に変わった右腕を貫く。攻撃の成否を確認せず、彼女は脇差を追うように距離をつめていた。剣持の青年への追い討ちを阻止しようと、槍の如く変化した白髪が伸びた。剣持は、手に持つ刀で容易く、その横槍を切り落とす。

 次に剣持の眼前に立ちふさがったのは、原田を巻き込んだあの夜に見た『使い』と同じ形のものだった。体は白く、皮膚のただれた人間のような姿をしている。この『使い』がここにいる『依代』の使用者たちの誰かが用いる『使い』ではないのは対峙する三者の反応から明白だった。

 定形を持たぬ『使い』を彼女は袈裟に切りつける。刀が食い込んだ瞬間、後方から刃長八尺に届く大太刀が迫ったが、剣持にとっては避けてくれと言わんばかりの解りやすい奇襲だった。

 大太刀を回避すべく屈みながら、彼女は『使い』の傷口に右手を叩き込んだ。刀は使いから抜き取って、手元から放し、大太刀を操る後方の男の迎撃に向けた。

 雄叫びと悲鳴が混ざる。剣持は素手で『使い』の内から、核として機能する人形を引きずり出した。

「うるさいな、これ」

 剣持は木でできた人型を粉々に握りつぶし、狼を宿した青年に向う。大太刀の男は、彼女の力によって纏わりつくように動く刃に足止めされていた。自慢の剛力を封殺されている。

本来の装備はなくとも、彼女の実力によって形勢は逆転しつつあった。

 剣持が狼を操る青年の『依代』を破壊した頃、原田は釜坂のもとに到着した。

「忍さんに、渡せたみたいだね」

猿に変化していたはずの青年は、人の姿に戻り気絶していた。見下ろす釜坂は至って平静に言った。

「大して強くなかったし、相性も良かった。それでも、何かの指示を受けていたのか、今までとは違って計画的な節があったよ、少し足止めされてしまった」

「すごいじゃないか、そんな化け物倒すなんて」

 釜坂に対する嫉妬などはなかったが、戦闘で貢献できない自分には少し腹が立った。

「そうか? お前も一人倒しているはずだぞ?」

 彼は原田の後ろを指差した、この時になって原田は黒い蛇が自身の足元にいたことに気が付いた。同時に、自身が彼女に武器を届けるだけではなく、その途中で依代を破壊していたことも思い出す。

「あ、本当だ」

 おそらく茶髪の少年は、素手の剣持に痛い目に遭わされていたのだろう。原田と出会った時は逃走中でまともな判断力を失っていたが、それでもまあ及第点はもらえるだろうか。

「行こう、そろそろ決着がつきそうだ」

 二人は笑みを交わし、走り始めた。

 大太刀を振るっている男は、巨漢だった。身長は二メートル近いし、体重は百キロを優に越えているに違いない。原田はその頑強な肉体に既視感を覚えた。

「これはまずいな」

 一人残された男が独白した。だが、その様子は決して言葉通りには見えない。声の調子に楽しんでいる節がある。無論状況的には男の言葉通り、追い詰められているのだが。

「無様に逃げさせてもらおう、剣持の娘。加勢が一人では、今のままではどうにもならん」

 大太刀を彼は床に突き立てた。衝撃とともに床が崩れる。彼を追い詰めていたはずの剣持は、たたらを踏み立ち止まった。

「目的はなんだ」

 睨み付けながら、初めて逃亡を許す標的に問う。

「釈迦に説法かもしれんが、一つでだけ言える。我々も剣持に踊らされているだけだとな」

 それだけ言い残し、男は下の階に向って跳んだ。未だ進行するビルの崩落はその男の追跡を許さなかった。

「剣持さん!」

 原田の呼び声に対する第一声は、「済まない、一人逃がした」との自責だった。先ほど聞いたばかりの雪実の『剣持の本質』という言葉が蘇る。

「貴方がいたから、この程度で済んだ」

 心から思ったことを原田は口にした。

 それを聞き、僅かながらに、彼女は原田に向って頭を下げた。しかしすぐにも彼女の使命感は、次なる語を紡ぎだしてしまう。

「…………恵一君、先ほどの男を追えますか?」

「一応はやってみていますが」

 釜坂の表情は芳しくない。剣持が雪実への連絡を開始したあたりには、更に一層彼の表情は暗くなっていた。

「見失いました。別の『依代』の使い手の力で妨害されたようです」

 予測はしていたが、まだ、仲間がいるということが判明した。

「撤退しましょう」

 臆せず原田は言った、本質的には門外漢だからこそ客観性を持てたのだろう。岡目八目というやつだ。原田は一早く、最善の行動を導いた。それに、二人の沈痛な面持ちをこれ以上見たくはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る