第13話 炎上

「ありがとうございます」

 先ほどの喫茶店の店長に頭を下げ、ヘルメットを返した。

「危ないと思ったら、すぐに逃げなさい」

 原田が現場へ向おうとしたとき、辿り着くまでに疲弊しては全力を出せないからと、店長は彼を大型二輪車の後ろに乗せ、現場の近くまで運んでくれた。

「由美ちゃんも後から来るだろうから、他のことは気にしないでと、忍ちゃんによろしく」

 由美ちゃんとは、先ほどの喫茶店の店員のことだろうか。彼らの素性を気にしている場合ではないが、お土産のように日本刀一振りと拳銃一丁を渡されたのだ、疑いは拭えない。

「早く行かないと」

とにかく雑念を振り切って、鞄にその二つを固定し、炎の燻るビルに向った。

出入り口はまだ機能していた。不思議なことに野次馬はほとんど存在せず、避難は順調に進んでいた。爆発事故の危険性ゆえに冷やかしが居ないわけではないだろう。明らかな安全圏でも、そういった見物のような人は少なかった。隣県に比べれば少しは慎ましやかな人々であるが、老舗百貨店での爆発事故がこうまで人の目を集めないことはないはずだ。

人々は、語弊があるかもしれないが逃げることに集中していた、どちらかといえば、そのビルよりも、その場所を畏れるように。原田は以前雪実に渡された御守りの結び目を確認した。これには『依代』の効果を軽減する働きがある。一般人原田の生命線であった。

「さて、どうする」

一般人としては強い程度の原田にできることは限られている。せめて、剣持と釜坂がここに到着するまでの間に犯人の顔くらいは確認したいところだが……。

「どうにかするか」

 逃がすわけにはいかない。その身に、建物の奥深くから流れ出る不吉を感じながら原田は無謀を承知で人の流れを逆流していった。これは、多分今までとは危険性が違う、だからこそ、行く必要があった。

「すごい、『忌避』の力だ」

 全ての『依代』に宿る神が有するという、人を避ける力がそこには充満していた。最初に釜坂の力に晒された時ほどではないが、近づくのをためらってしまう。

釜坂のように『忌避』に特化した敵がいるわけではなく、単純に『依代』の所持者が複数いるからなのだろう……つまりあの時より危険な状況だ、原田は無論それを承知で前進する。

内部に人は少なくなっていたので、避難を邪魔することなく、原田は停止していたエスカレーターを上って行った。

四階にたどりついたとき、眩暈がするほどの破裂音が辺りに満ちた。

 天井が崩れる、原田はなんとか崩れ落ちる瓦礫を避けた。

「危なっ」

「誰かいるのか?」

 鋭い声がした、五階からだ。一瞬この騒ぎを起した連中に見つかったかと跳び上がったが、少し頭を冷やしてみれば、今聞こえたのは今まで散々に聞き惚れた声だった。

「剣持さん、俺です。原田です」

「原田君? 本当だ、助かりました、彼女をお願いします」

 剣持が天井に開いた直径二mほどの穴から原田を見下ろしていた、人を抱えているようだ。原田が返事をする前に、彼女は両手に抱えていた人物を下の階の原田に向かい投げた。

「うおっ」

 その気絶した人間は落とされたわけではなかった、原田が取り逃さないよう、彼の頭の高さで減速した。剣持が持ち歩いていた脇差しが、体に結び付けられている。先日の歩道橋からの跳躍と仕組みは同じだ。刀剣を空中に停止させる方法は、こういった応用が利くようだ。

「彼女を外に連れ出して、逃げてください」

剣持が避難させようとしている人物は、よく見ればクラスメイトの藤川だった。額が切れて、腹部からも出血している。

「待ってください、何が――」

 先ほどとは異質の破壊音がした。

 彼女は唯一携帯している武器を、藤川を救う為に使っている。つまり、現状無手で複数の依代使いと対峙しているということだ。

 原田は、藤川の体から脇差を外し、剣持に投げ返そうとした、しかし、天井の穴を見上げたとき彼女の姿はもうそこにはなく、ちょうど彼女がいた地点を、何か白色の槍のようなものが横切っていた。

 原田は叫びを飲み込んだ、剣持は、藤川と原田に矛先が向くのを良しとしないだろう。そして、今となっては彼女の力の及ぶ範囲に、脇差を投げ返せる保障はない。原田の独断で、これ以上彼女を不利にするわけにはいかない。

 原田は走り出した。すべきことは、剣持の望み通り、藤川を安全圏(出来れば救急車)まで運び、その後速やかに戻り、彼女に武器を渡すことだ。おおよそ四十㎏の人間を背負い、出来る限り早く階段を走り駆け下りるのは容易なことではないが、藤川も剣持も一刻を争う。

「誰か」

 声を張り上げた、忌避の力が充満していることを考慮すれば、老人やケガ人などを除けば人間は逃げ切っているだろう。原田は案の定、明らかに想定より早く避難誘導を終えた警備員と鉢合わせした。その顔は真っ青だった、原田はこの状況で職務を全うした警備員に敬意を払いながらも、藤川を任せた。

「この子をお願いします、まだ、知り合いが」

 息切れしながら、原田は未だに爆発音のする上の階に戻ると告げた。

「まだ、上に人がいるなら、すぐ応援を。いや私が上に」

 警備員は責務を果たそうとする。まあ今の段階まで残っているなら、当然そういう人なのだろうが、上に待っているのは今まで剣持達が隠してきた、尋常じゃない兵器とそれを操る人間達だ。どうすればいいか、原田が悩んでいると、

「その人で、最後です」

 駆けつけた釜坂が、警備員に言い放った。

「最上階から確認してきました。後は僕たち二人で大丈夫です、どうかその人をお願いします」

 警備員が、すんなり釜坂の言葉を信じたのを、原田は意外とは思わなかった。それが、彼の資質によるものか、依代の能力によるものかどちらかは解らなかったが。

 止まったエスカレーターを再度駆け上がりながら、二人は、手短に情報を交換した。

「『夜刀』の『使い』で全ての階を調べたけど、逃げ遅れた人はもう居ない」

「よかった。だけど、剣持さんもだけど、恵一はなんでこんなに早く来れたんだ」

「あの後、外で食べていたんだ、ほら最近開店したあそこで、なかなか大変だったよ、絵の価値を彼らに説くのは」

 偶然二人がこの近辺にいるときを見計らうかのように起きた、おそらくは過去最大級の依代による破壊行為に、原田は薄気味悪さを感じていた。秀長が今回から何かを仕込んだという可能性も大いにあるが……。

「それは後で詳しく頼む――今まで、依代を持つ連中が集団化したことはあったか?」

「近藤と小村の二人組みだって珍しいケースだし、悠介が最初に立ち会ったのは、僕と似たような力の持ち主が犯人の、個人が複数の『使い』を操るケースだ」

 釜坂の表情は暗かった、どうやら原田と同じことを考えているようだ。初めて集団化した神の力を操るものたち、その危険性は計り知れず、今一人でいる剣持はその危険と単独で相見えていることとなる――。

「急ごう」

 二人は揃って言い、揃って駆け出した。

 五階に行く道は、その多くが瓦礫に塞がれていた。仕方なく非常階段に向う。

 五階フロアに繋がる非常階段の踊り場には、立ちはだかるように陣取る人影があった。

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