秋葉原 その4

少し視線を上に向けると、透き通るような青い空が広がっている。

少しの雲と、何羽の鳥が流れるように見える。

そうだ。

これが、昨日、池袋の体験コーナーでみた景色だ。

そうすると、赤いベレー帽の女は……あれ、いないぞ。

 俺はゆっくりと三百六十度周りを見回すが、見える景色はすべて高層ビルだけだった。

あれ、昨日は俺から三メートル離れた柵に手を付けて立っていたはずなのに、あの女はどこに行った?

「おかしいな」

「ん、見つからない?」

 俺の独り言に斉藤さんが反応した。

「はい、昨日はこうやって、三メートルぐらいのところにいたんですけど、今日は見えないですね」

「うーん、今見ている柵の所?」

「はい、そうです。って!!なぜ見えるんですか?」

 

思わずVRヘッドセットを取り外して、斉藤さんを見ようとした。

あ、斎藤さんは右の方に立っていた。

その斉藤さんは俺を見ながら右手をどこかに指していた。

そっちを見ると、パソコンに接続しているモニターだった。

その画面には、誰かの身体が映っていた。

「斉藤さん、それは?」

「ん、あ、そうか。説明し忘れていたんだっけ。VRヘッドセットで見ている画面は、接続しているパソコンを通して、モニターでも見ることができるんだ」

「そうなんですね、でも、それはだれですか?」


 先ほど斉藤さんが俺が見ている柵を同じように見えていることは分かった。

でも、今そのVR内では誰かがいるっぽい。

その誰かの腰と太ももがモニターに表示されているからだ。

あの女ならば、白いTシャツに青い長いスカートになるので、これは違う人間?

だ。でも、誰だ?

そうテンパっている俺を見て、斉藤さんはくすくすと笑った。

「ナベ、落ち着いて。そのVRヘッドセットの眼にあたる部分は今、何に向いてる?」

 言われて、俺は両手に持ったVRヘッドセットを見た。

眼にあたる部分ということは、今は俺の腰と太ももを向いている。

あれ、ひょっとして?

モニターに出ている誰かの身体というのは、俺の身体か?


「そうそう、それ、ナベ?のVR内におけるキャラクターの身体っぽいよ。まだ、なにもキャラクター作成していないから、真っ黒なものになっているね。VRヘッドセットを前面に動かすと、普通に地面が見えると思うよ」

 まるで俺の考えを読んだように、斉藤さんは解説してくれた。

その通りに動かすと、モニターの映像はその黒い身体を腰、太もも、ふらはぎ、靴、地面、柵、そして高層ビル、空と移動した。

ああ、なるほど。俺は納得した。

「あ、被っていいよ」

 俺が被るのを待って、斉藤さんは話を続けた。

「それで、以前見た状況ってどういうのだっけ?」

「それがですね、俺に後ろを向いて、今見えている柵の所に立っていたんですね。俺があのーって声をかけようとしたら、こっちを振り向いた、で、消えちゃったんです」

「そうかそうか、じゃ、ちょっと待ってね。聞いてみるね」

「え?聞いてみるって誰にですか?」

「碧に」

「ええええ、彼女さんに聞くんですか?向こう、大学生でしたっけ?それに聞かなきゃいけないって、俺、めっちゃ恥ずかしいじゃないですか?」

「いやいや、でもね、ナベ。僕から女心を解説してもらうのと、女子大生から解説してもらうのってどっちがいいかと聞かれたら?」

「……それは答えは一つしかないですね」

「でしょ。って僕が自慢するものじゃないけどね」


 そういうと、斉藤さんはスマホで電話を掛けた。

受け答えが聞こえてくる。

確かに、パソコンオタクである斉藤さんに、なぜあのベレー帽の女が出てこないのかを聞くのは無理がある。

なんだって、去年、斉藤さんがその彼女さんを追いかけているときに、俺に彼女さんとの会話を活性化するためのアドバイスを求めて来たぐらいだから。

活性化なんて、人との会話で一生使わなさそうなキーワードからしてダメダメに付け加えて、それを聞いた相手が、後輩でなおかつゲームオタクの俺にだ。

ゲーム内なら少なくとも恋愛状況があるから、知識は俺の方が持っているだろう。

というのが理由だったと真面目な顔で言われて、俺は唖然として口を閉じれなかった覚えがある。

いや、残念ながら俺はゲームオタクでも、ウォーゲームやシミュレーションゲームとかのゲームオタクだ。

恋愛ゲームは興味ないからまったく分からない。

結局、斉藤さんはだれか別の人に当たったらしいが。


 その間に俺は再度見回すが、目に映るのは相変わらず、高層ビルと青い空だった。

赤いものは何も見えない。

「ナベ、アドバイスもらったよ」

 電話を切ったらしい斉藤さんがひときわ大きな声で言った。

いつの間にかアドバイスをもらうことになったらしい。

俺はVRヘッドセットを付けっぱなしで、返答した。

「はい」

「なんかね、碧が言うには、その、赤いベレー帽の子?ナベが声かけただけでびっくりして消えるのであれば、俺とか、他の人とかがいる場だと、絶対に出てこないって」

「えええ、断言しちゃうんですか?」

「そうそう、だって、恥ずかしいから」

「はい?」

「いや、だから、その子はたぶん、恥ずかしがりだから、他人がいる場面だと出てこないよって、碧が言っているんだ」

「あ、はい、えっと。ってか、彼女さんにこの状況をなんて説明したんですか?」

「ゲーム」

「え?ゲーム……ですか?」

「うん、ナベが恋愛ゲームの攻略に困ったから、聞いてきたっていう説明」

「……」

 思わず絶句になる俺。

いや、俺もゲームオタクという自負があるから、会社で子供っぽいと言われているが、そうそうへこたれない。

が、さすがに数歳年下の女子大生に恋愛ゲームの攻略に関するアドバイスを聞いちゃうほど、人間としてできないほどじゃない。

斉藤さんに悪気がないのは分かる。

分かるが……。

まぁ、いいや、その彼女さん、ほとんど俺と会う機会がない子だから、恥は一時ってことで忘れよう。

そう俺が思っていることを知らずに、斉藤さんは続けた。

「だから、僕、一旦店の外に出るね」

「え?」

「あ、大丈夫。モニターに電源も消しておくから、安心して出てくるように言ってね」

 トップラー効果のように、斉藤さんの声がだんだんと小さくなり、バタンという音と共に、周りが静かになった。


 一度VRヘッドセットを脱ぐと、マジに周りに誰もいなくなった。

モニターも真っ黒だった。それにしても、本当に静かだった。

横にメイドカフェがあったはずがその音も聞こえない。

防音設備がいいのかなんなのかわからない。ってか、パソコンで有名の秋葉原でパソコンショップに誰もいないのって、ありうるのか?

その疑問に答えてくれる人間がいないのは分かるが、愚痴ってしまう。


 はぁぁぁ。ため息をつきながらも、俺は言うとおりにVRヘッドセットを装着することにした。

眼を傷めないように一度つぶってそれを被り、目を開ける。

 先ほど見た、高層ビル群が目に出てきた。

ほら、何もないじゃん。と思ったら、視線の下に赤い何かが見えた。

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