第14話

 ジェーンが城を去ってからも、準備は慌ただしく進められた。秋の深まったかすかな日差しのさす中で、王太后テレサはせわしなく手を動かしていた。右手の刺繍用の針は正確に模様を象っていく。戴冠式やそれに伴う儀礼は、セントオールの名に恥じないようにと、テレサが取り仕切っていた。ほぼ幽閉されていると言っても過言ではないテレサにとって、この仕事は久しぶりに生き返る思いがした。

「失礼します、母上」

 後ろから声をかけられ、テレサは一瞬手を止めた。しかし、そのまま再び針を進める。

「掛けなさい」

 促されて、エリックは斜向かいの席に腰掛けた。

「どういうつもりですか」

 何がと問うまでもない。王妃のことだと、エリックにはわかっていた。六候の力関係を崩さないため、田舎貴族を生贄にしたとも、六候との、とりわけステュアートとの決別を意味しているのだともいわれ、宮廷での噂は絶えない。

「いたずらに犠牲者を増やすなど、私は賛成しかねます。あなたも命を縮めるだけです。早々に、ステュアートかブラッフォード、せめて他の六候の適当な娘に、改めるべきです」

 エリックはゆるゆるとかぶりを振った。

「お心遣い、ありがとうございます。しかしもう、キュセスに誓いを立ててしまった以上、取り消すことは出来ません」

「その割に、他の娘にもちょっかいを出しているようじゃありませんか」

 鋭い言葉に、エリックは肩をすくめた。悪びれもせずに言う。

「庶子であろうと、王の子や愛人の座が欲しいものはごまんといます。明らかに敵方に回られるよりはいいでしょう。姉上も、母上のお力で他国へ嫁がせてもらいましたし、狙い目は私だけです」

 テレサは今度は手を止めて、息子をまじまじと見た。

「先王のように、あなたまでむざむざ殺されるなど、私には耐えられません! 何のために私が貴族たちの専横を許してきたのか、全ては血統を絶やさないため。ここで反感を買ってオズウォルト嬢までも毒牙にかけられては、元も子もありませんよ」

 テレサの声は震えている。しかし、耐えるのですと諭すように言った。手は、刺繍の木枠を握りしめて、気丈にも心を悟られないようにしているのが見て取れる。セントオールと同じく、歴史ある大国の姫として育ってきたテレサには、貴族の機嫌をうかがって生きなければならないのは、さぞかし窮屈なことであったろうとエリックは思う。そして、そうしなければならない原因となった先王の死。

「母上は、やはり父上は殺されたのだとお考えなのですね? 呪いではなく」

 低く、エリックは問う。テレサははっとした顔でエリックを見るやいなや、刺繍に視線を戻した。しかし、手は木枠を握りしめたまま動かない。

「この国が、キュセスの祝福を受けし国の王が、呪いを受けるなどあり得ません。ましてや、存在するはずもない巫女の呪いなどと……浅ましい貴族の陰謀に違いありません。ともかく、王妃の人選は改めるように」

 その話はしてくれるなとばかりに、テレサは顔を背けた。結い上げられた栗色の髪は、白髪混じりで、肖像画に描かれているような深みのある色合いが失せてしまっている。エリックは、母の心痛を思うと胸が痛んだ。しかし。

「その必要はありません。そして、ご心配にも及びません。私は必ずや貴族連中に一泡吹かせて、この国を繋げてみせます」

 言うが早いか、エリックは立ち上がる。窓の外に、小さな冬のバラが咲き始めているのが見えた。黒みがかった紫のバラだ。淡い色のバラを好んだテレサらしくない色だ。エリックは唇を噛んだ。しかし、すぐに気を取り直すと、上衣の裾をさっと翻してテレサの元を後にした。

 執務室へ戻るまでの間も、エリックは休む間もなく秘書官に指示を与える。他国の大使との会見から、令嬢との逢い引きの予定まで様々に。執務室に入ると、トレヴィシックの連絡役が控えていた。エリックは秘書官をさがらせる。

「どうした」

「エドガーが、ジェーン様のもとに現れました」

「何だと?」

 エリックは思わず声を荒げる。

「ジェーンはどうした」

「ご無事です」

 エリックはほっと一息吐いて、全身に入った力を緩めた。しかし、表情は険しい。落ち着かない様子で手を組んだ。

「なぜ、ジェーンの所へ?」

「巫女を探しているようです。呪いの巫女を」

 エリックの顔が、更に強ばる。震え始めた体を支えるように、椅子に寄りかかる。

「巫女などいない」

 額に脂汗が滲んでいる。

「いないのだ」

 言い聞かせるように、もう一度エリックは声に出す。そのままたっぷり十分はそのままでいて。怯え、怯んでいた目は、ぎらぎらと鋭い光を宿し始める。エリックは口を開いた。

「レイチェルを襲った男は、口を割ったのか」

「はい。しかし指輪について核心的なことは知りませんでした。チェスター候ゆかりの者から、指輪を取り戻せば多額の報酬が約束されていたそうです」

「ふん、寄生虫どもめ……。俺も葬り去ろうとしているのだろうが、好きにはさせん。俺は、父上のようにはいかないぞ」

 ぎらぎらと。危うい光を宿して、エリックは虚空を睨んだ。そしてアーノルドともう一人、ハリーを呼ぶ。黒い服に身を包んだアーノルドと、ラベンダー色の服を纏った青年が現れた。エリックは、投げつけるように脱いだ上着を渡す。アーノルドは丁寧にそれを受け取った。

「秘書官に、もっとデートの予定を詰めさせろ。隙間なくな」

 ハリーは、承知しましたと、恭しく礼をする。はらりと前髪が揺れて、エリックと瓜二つのすました顔が上げられた。エリックは、品定めをするように細部までチェックする。小さく頷くと、ハリーは手にしたビロードの帽子を目深に被った。

「余計なことはしなくていい。連中を、いい気にさせて帰らせろ」

 ふと、ジェーンと初めて会ったときのことを思い出す。ジェーンだけでなく、令嬢たちでさえ、自分の目の前にいるのが王かどうかわかっていないのだ。自分で望んだこととはいえ、エリックの胸に、空虚感が広がる。エリックはアーノルドにちらと視線を移すと、クロムをジェーンの元へ向かわせろと、一言言った。

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