201~210

201

 真夏の象徴と皆が持てはやす入道雲が、私は昔から怖かった。天の怒りに触れたバベルの塔のように、頂点から崩れて驟雨しゅううと落雷を引き起こすなど、まるで荒魂あらみたまの顕現だ。

 だから私はあの巨大な雲を決して見ない。

 分厚く隔てられた白色の内部から、自分の背中へ注がれる大いなる視線を感じる夏が、今年も来る。

―私は入道雲を見ない



202

 短く濃い夏の夜、僕は禁忌を冒す。

 虫送りの晩に■山へ入っちゃいかんよ。ヤミ様に喰われるからな。

 その言いつけを破って僕はここに来た。夜暗よりなお黒い闇がこごり、人型となったモノが目の前で蠢く。それがにた、と笑って見えて胸が安堵で満ちた。

 学校に馴染めぬ僕の救い。闇の手が伸びて肌に触れる。

―ヤミ様の山



203

 もう一度だけ会えない? 祈りながら送信したメッセージに「いいよ」と返事が来る。僕は涙をこらえつつ、あの頃のように二人で一日を目一杯楽しく過ごした。

「やっぱり君を愛してる。一緒に連れていってくれないか?」

「駄目だよ、私は君に生きてほしい」

 生前と同じく綺麗に笑って、それきり彼女は消えた。

―一日だけの彼女



204

 彼女は向日葵みたいな人だ。クラスの中心で光を浴び続け、常に日向ひなたにいる彼女は、日陰の中の私を気にかけたことなど一回もないだろう。

 それで良いのだと思う。後ろから垣間見る横顔は美しい――日陰があればこそ、日向もある。

 輝かしい彼女の養分となることだけが、私の冴えない青春の全てなのだから。

―あの子は向日葵



205

 明るい良い子でいなさい。

 キラキラな青春なんて別に要らないのに、親の言う通りに被ってきた仮面を外すのは怖い。私だって自分の見たいものを見たかった。

 あの子がいつも後ろから私を見てること、本当は知っていて気づかない振りをしてる。私は彼女が羨ましい。

 この気持ちを知ったら、貴女は幻滅する?

―キラキラな青春なんて



206

 断末魔の絶叫か地獄からの悲鳴じみた、本能にさわる騒音で目が覚める。

 恐る恐る調べたところ、どうも先日購入した絵が声の出所でどころらしい。大口を開けた男が描かれた絵画に、カーテンから漏れて鏡に反射した朝陽が当たり、眩しいか熱いかしたようだ。

 これは驚きだ。僕は絵を目覚まし代わりに使うことにした。

―恰好の絶叫



207

 君と見た景色は、大切な標本になって僕の中に残っているよ。

 満開の桜を見上げた河川敷。夜光虫が青白く光る渚。積もった落ち葉にダイブした公園。転げ回って遊んだ一面の銀世界。

 もう一緒に散歩に行けないのは残念だけど、君の成長を見守れて僕は嬉しかった。先に行くね。いつかまた、向こうで遊ぼう。

―僕の中に残るもの



208

 水鉄砲で射たれたような恋だった。

 標的ターゲットのその人は、事前に上から渡されたどの資料より美しかった。喉笛のどぶえを決定的に切り裂いた瞬間に、運命の相手だと心が理解する。澄んだ瞳が私をとらえ、刹那のうちに永遠が交わる。それきり、世界一短い恋は死んだ。

 頸動脈から吹き出た血潮ちしおが、私をぐっしょりと濡らす。

―世界一短い恋



209

 しゅわしゅわ泡立つグラスを持ちながら、僕は何をしているんだったか、とふと我に返る。周囲は薄闇に覆われ、人影も時が止まったように皆ぴくりとも動かない。

 なぜ部屋がこんなに荒れている? 僕は。僕は……。

 打ち捨てられた館の、あるじに忘れ去られたドールハウスで、意志持つ人形はただ朽ちるのを待つ。

―ただ朽ちるまで



210

 火星で唯一コロニー外の活動ができる場所で、少女が足を揃えて地表へ飛ぶ。浮遊感をまとった体が着地して、しかしごつごつしたそこに月のような足跡は残らない。それでも子供に流行りの遊び、船長ごっこができて少女はご満悦だ。

 いずれ太陽系外惑星に降り立つ少女を、火星の青い夕焼けが優しく照らす。

―未来の船長

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