141~150

141

 秋も深まる空にはうろこ雲が広がっていて、私は今日も雲の上を跳ねて家に帰る。踏み外すと真っ逆さまに空へ落ちてしまうから、いつも道中は気が抜けない。

 秋空は薄い雲が多くて情緒はあるがやや寂しい。 私は入道雲の中の冒険が大好きなのだ。次の夏を想いながら、頭上に街並みを見霽みはるかして私は行く。

―雲の中の冒険



142

 書く行為ほど不思議なものはない。私の脳内から出てきた登場人物が、自分には到底不可能な冒険をし、目眩めくるめく人間模様を構築し、予想もつかない場所へ私自身を連れていく。本当に自分が書いたのかと、妙な気持ちさえ抱く。

 私は書き続ける。物語が行き着いた先に広がる地平を、彼らと共に見届けたいから。

―だから、書く



143

「大嫌い」


 彼の声は、言葉と裏腹に涙を含んでいた。勝手に家に来て優しくして勝手に停止するロボットなんて、部品が廃盤になったせいでお別れなんて、と嗚咽おえつする彼に私は何もしてやれない。

 力を振り絞り、己のコードを書き換え、表情表示用の画面にハートを点滅させた。最期の大好きは、伝わっただろうか。

―停止前の「大好き」



144

 不完全なものに惹かれるのをツァイガルニク効果って言うんだって。知ってる?

 ねえ、そんな目をしないで……僕をよく見て。片腕だけだけどミロのヴィーナスみたいでしょう? 以前の僕より素敵になったと思わない? それともまだ足りないかな。

 君のためにあといくつ無くしたら、君は僕を見てくれるだろう。

―ツァイガルニクの虜囚



145

 幼少の頃、おやつは絵本の中の存在だった。一人で僕を育ててくれた母は、帰宅できるのが深夜だったから。

 温かいパンケーキ、バター香るアップルパイ、素朴なゼリーやプリン、型抜きクッキー。

 今でも実際にお菓子を口にすると、こんなものかと思う。想像上のおやつの味も、僕にとっては悪くないものだ。

―絵本の中のおやつ



146

 この婚姻は、本心を隠した酷なものになる。承服して政略結婚に応じたのだから、苦労など耐え忍んでみせましょう。

 ああでも! 犬とたわむれる旦那様が可愛くて……表情に出せないのが辛すぎる!

 それでも隠し通さなければ。雪女とまで言われる私の中身を知られれば、直ぐに離縁を申し渡されるに違いないから。

―雪女の婚姻



147

「氷と水のように、固体より液体の体積が小さい物質は実は珍しい」


 そんなの知るか。


「水分子の水素の結合角は104.5度。正四面体の中心角に近いんだ」


 意味が分からない。


「人が溺れるには洗面器ほどの水で十分らしい。君で実験しよう」


 優男やさおとこと思って金を騙し取ったりしたのが間違いだった。最悪だ。

―水を愛する男



148

 長年の慈善事業の功績をあらわす像を作りたい、と市民が男に要望すると、銀で作るのならとの返事が。

 銀は柔らかく確実に盗難に遭う。市民は難色を示したが、男は像が無くなる時が私の事業の寿命だと意味深長に言って譲らない。

 後年あらわになった像の土台には、善行の儚さをここに示す、と穿うがってあったという。

―銀の像


149

 流星群の夜、人は無条件にわくわくする。その感情が、流れ星と共に地球外から飛来する特殊な粒子に起因する、と知る者は少ない。

 金平糖に似た形の粒子は、流星に感嘆する人々の口中へ飛び込む。微弱な刺激は味蕾みらいでは甘味と認識されないが、脳は活性化されている。

 粒子が流星に甘い感情を伴わせるのだ。

―金平糖よう粒子



150

 長年仕えた屋敷を辞す日、あるじに呼び出された。


「なぜだ? 私よりも男女の情が大事か」


 私は微笑した。


「まさか。私の透明な首輪の手綱たづなは、永遠にあなたのものです。そんな顔、我が主には似合わない。また会いましょうね」


 相手は気丈に涙をこらえた。この年端としはもいかぬ主は、何年後に私の倒錯に気づくだろう。

―主従の倒錯

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