81~90

81

 あなたにすべてを知ってほしかった。私の嬉しい顔も、怒った顔も、悲しい顔も、全部。

「だからこれは、最後のお願いなの」

 ナイフを握らされ、がたがた震えているあなたに言う。ねえ、私の今際いまわの顔を覚えていて。そしたら私の未知の領域は、あなただけのものになる。

 それってとっても素敵なことでしょ?

―あなただけの私のすべて



82

 ペンローズの階段症候群。

 それが僕の持病だ。普通の階段が無限に続いて見え、足を踏み入れれば他人の介在なしには抜け出せなくなる。実際には四、五段の往復運動をしているらしいが自分では分からない。

 階段を忌避していた僕の前に、非常階段がある。逃げ遅れたのは僕だけ。火の手は刻々と迫っている。

―ペンローズの階段



83

 雪と氷で閉ざされた世界で、俺は掘雪師の仕事をしている。ドリルの扱いは誰にも負けない。

 雪中には思いのほかお宝が埋まっている。隕石だとか、先時代の文明の遺物だとか。

 仮死状態でカプセルに閉じ込められた女の子をドリルの尖端が掘り当てて、やがて大冒険に発展することを、今の俺はまだ知らない。

―雪中のボーイ・ミーツ・ガール



84

 屋敷の鎧戸を解き放ち、微風そよかぜに乗って届く緑と花の香を吸い込み、小鳥の歌に耳をそばだてる。

 麗らかな日常の光景はしかし、仮初かりそめの光景に過ぎない。世界はとうに滅んでいて、総ては作り物なのだから――なんて、退屈な毎日を慰めるただの空想だけれど、少しも真実じゃないとは言い切れないと、私は思っている。

―世界の真実



85

「詐偽の受け子でパクられて人生棒に振るなんて、現代社会の闇の寓話かよ」

 少年は悪辣に笑う。俺は金の取り立てに困り、物がないなら交換条件と言われ、彼を刺すためにここに来た。

 一般人には無理だって、と相手は飄々と言う。

「お前、僕の飼い犬にならない」

 どの道俺に選択肢はない。悩む前に頷いた。

―現代の寓話



86

 小惑星が衝突して劣悪になった地球環境とは裏腹に、人類の数割は不死の体へ変異した。私もその一人だ。死なずとも寒さや飢餓等は感じるため、人々は死に所を求めて彷徨い始めた。

 旅の目的地、溶岩たぎる火口で、金属の如く赤熱した人間はそれでも生きてもがいていた。

 流浪は続く。ここより先は地獄巡りだ。

―ここより先は



87

 僕にとってアヤは完全なる存在だ。外見も性格も非の打ち所がなく、常に眩しいほど美しい彼女を僕は毎日讃えるけれど、言葉がその美に足りる気配はない。

 綺が伸びをしつつ溢す。

「自分を理想の異性に設定できるアンドロイド、最高ね。自尊心が高まるわ」

 呟きは処理エラーになり、僕には理解できなかった。

―完全なる存在



88

 時代の空気博物館。奇妙なプレートを掲げた箱形の建物だ。空気、とは大気の状態でなく雰囲気の意味らしい。

 試しに七十年代の部屋に入ると、経済の成熟、凶悪事件、海向こうの戦争等の要素が肌に伝わり、それらがかもす一種高揚した空気に全身を包まれた。

 初めての感覚に興奮し、私は別の時代の扉をくぐる。

―時代の空気博物館



89

 貴方にまつわる恋情は、化石に変えて胸の奥に秘すると決めました。

 鮮やかな色彩は失せ、白変し芯のみ残ったその欠片を、私はこの先幾度も掌に乗せては愛で、来し方を思い返すでしょう。

 貴方が知らずに芽吹き、貴方が気づいて枯れた恋。永遠のお別れなれば左様なら。私の知らない場所で、どうかお幸せで。

―化石に変えて



90

 誰からも忘れられた忘却の地に、全ての知識を収めた書殿はある。

 それは殆ど伝説で、未熟者の僕に見つかるわけがないと皆は言う。手がかりなど無いけれど、世界が自身の名すら忘れた世界では、絶対無理な事も無いはずだ。

 飛竜ワイバーンの腹を蹴り手綱を引く。別に英雄になりたいのではない。好奇心が僕を動かす。

―忘却の世界で

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