第27話 初めての海

 その年、最初の時化が通り過ぎた後

長兵衛は、種崎海岸堤防巡視の為に非番ながら繰り出した。

風も強く、雨も残っていたが、昼前には、太陽が顔を出した。


 どういうわけか、その朝は、乙女が行きたい、行きたいと

駄々をこね、龍馬共々子連れの巡視となった。


 龍馬を右腕で支えて、堤防に上がり、海岸が一目で

見渡せる位置に立った時、どういうわけか、龍馬が

ひせくりだした! 猛烈な泣き声である。


 乙女が、あやしても、とてもでないが、泣き止まぬ。

龍馬は、川と異なるその波頭の激しさに圧倒されていた。

猛烈な波のしぶきと、波の砕ける音に

全身、これ恐怖の塊と化した。


「これこれ、龍馬、おじよったらいかんぜ。

 もう時化は、通り過ぎたき、こおうないぜよ」

「そうよ、りょうま、男がそないに泣いたら、笑われるぜ」

「・・・・・・」

生まれて初めて海とやらを見た龍馬は

完全に混乱していた。


 ざまな水のかたまりが、自分に迫って来て

今、まさに、父と自分と、乙女を飲み込もうとしている!


  早く逃げなければ、自分は、死ぬ!!

 全身で全力で泣き叫ぶしか龍馬には方法がなかったのである。


「いかん、いかん、こんなに泣くとは思わんかった。

 乙女、山側の浜に戻るぜ」

長兵衛に言われて、乙女は、素直に従う。


まだ龍馬は、父の肩にしがみついて泣きじゃくっている。


泣くことを、こらえようとしているが、しゃっくりのように、ひせくって

泣くことを止められない。


 帰宅した三人を迎えて、幸は安堵した。

それほどに風も強かったのである。


「龍馬がのう しょう困ったき」


「初めての海で波を見て、わけがわからんように

 なったがじゃあねえ。かわいそうに」


幸や女中に声をかけられてようやく龍馬は

落ち着きを見せ始めた。

いやはや、長兵衛にとって、大変な一日であった。

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