IRON TAIL

 用語


 原潜……原子力潜水艦。雷撃に耐えうるよう装甲板の技術が向上している。



 雪の降り止まない海岸線は、夜になると彼方まで灯に照らされる。キロム北岸油田。数カ国の協力によって開発されたそれは事実上キロムが占有しており、直上に巨大な工業地帯が建設されている。だが知られているのはそのような事情ではなく、むしろその景色だった。照明に照らされたコンビナートの金、空と海を覆う黒。その美しさは首都グレイフォレストの夜景に匹敵するとも言われ、世界中から多くの観光客を集めていた。昔から繁華街として栄えていたここリーブスも、油田でさらなる隆盛を見せている。夜景は資本主義の象徴ともいうが、何十億ベインもの金が動いた結果がこの景色ならば夢も浪漫もあるというものだ。

 今日はいつもより配備されている巨人の量が多く、民間機も存在しているようだ。なぜだろう、とも思わなかった。近頃はこの警備任務を傭兵に任せることも多い。キロム海軍が出張っていれば、占有しているなどと騒ぎたてる輩がうるさいのだろう。情勢は悪化の一途をたどっており、補強するのは当然だった。

 国防海軍の実力は決して低くはない。 だが共用であるという名目を守るためとはいえ、自国軍で厳重に固められないのは不安だろう。

 海に浮かぶ巨大な施設全体を、スラスターから二筋の尾を引きながら飛び回る巨人。その姿は大樹を守る妖精のようであり、火山に住まう竜のようでもあった。鉄の番人が守る金色の城は、半端な敵を決して寄せ付けない。

 イルミネーションのように光が点在するこの景色でも、すでに十二分の美しさがあるだろう。時間からひとり取り残されるような、不思議な感覚があった。

 突如として、轟音が耳を震わす。真北から敵が仕掛けてきたのだ。敵の銃弾にコンビナートが火花を散らす。混乱する人波の中、自分は手すりから動かなかった。それはただの興味ではない。確かめねばならない理由があるのだ。

 最新鋭の原潜は巨人の艦載機を収容し、その攻撃能力も非常に高い。一隻でひとつの城塞を形成しているといってもいいだろう。驚くべきは、それらが一個人によって運用されていることだ。テンペル財団。元はと言えば、北岸油田は彼らの所有物でもある。それを、己が私兵に壊させるというのだ。国際法が崩れ去った世界で、一体何を望んでいるのか。昔から武器屋は争いを好む。陣営を問わず、商品が売れるからだ。彼らがどのような思想を持つのか。そのようなことは到底知る由もなかったであろうし、以前は興味もなかった。彼のどこに惹かれたのか、それは今もわからない。

 先のバイール帝国をめぐる大戦での度重なる雷撃の応酬に懲りたのか、重要施設の海中はどこも防壁に囲われている。だがいくらキロムの国防予算でも、海面上にまでそのようなものを用意することはできない。空の守りは巨人のする仕事だった。だが奴らに対し、それもどれだけ保つか。

 スラスターから吹き出される光の線がいくつも空に渦巻く。ここで見るべき本当の景色というのは、これなのだ。大義、欲、野心。人の想いがくろがねの巨人を介してぶつかる戦場にこそ、本当に美しい景色がある。

 残さなければならない。ファインダー越しのこの景色を。人間は最高のカメラをその身に宿しながら、その映像を出力できない。だからこそ、写真でのみ伝えられることが存在する。

 シャッター音は雪に染み入って消えていく。色と色が交錯した後に巻き起こる閃光は、消えゆく命の煌めきだった。

 敗れ消えゆく兵士はそのフレームに収まることでのみ、永遠となる。それは望む望まぬではない。時間から放り出され、彼は景色のひとつとなったのだ。そのようなものを見るとき、なぜかいつも頭の奥が揺れるような感覚に襲われる。それの正体は、結局つかむことができなかった。だがその感覚に魅せられることは非常に危険であると理解していた。

 しかし、キロムの方の形勢がよくない。守備隊は先ほどの損失が痛く、かなり押されている。傭兵はまだ互角に戦っているが、対する敵はまだ五機全てを残しているため危険な状態だ。主力は来ていないようだが、それでも私兵であり実力は高かった。

 二発のトマホークミサイルが闇中からしぶきを上げて襲いかかる。原潜のいわば主砲であり、当たれば損害は免れないだろう。守備隊と傭兵はそれに真っ向から対峙した。

 ある程度距離を取って砲撃を行い、誘爆を誘う。だがそれをさせまいと、敵は格闘を仕掛けてきた。数はほぼ同じ。完全に取り付かれた形となった。これでは誰も、コンビナートを守る役目を果たすことができない。

 トマホークミサイルの速度は巨人の反応に比べれは速くないが、防御できないのであればいずれ命中するだろう。

 もはや誰もいない夜景スポットにとどまるのは、その末路を見届けるためだ。北岸油田の喪失は、キロムのみならず世界に対し大きな混乱を招くだろう。それこそ戦争が始まりかねないほどに。連中に狙いは、そこにあった。であればこそ、自らの手で壊すのだ。

 だがその予想は外れた。一機の傭兵が一瞬の隙を突き、張り付いた敵をいなしてミサイルに向かったのだ。傭兵の駆る巨人から出る光は守備隊と色が違う。動きは明らかにこちらの方が鮮やかだった。

 そうして予備の実体剣を両手に持つと、ミサイルに対しふたつ投擲した。剣は過たず目標に突き刺さり、辺りを爆風が襲う。残る二機は遅れて敵の背後を取り、その腹をかき斬った。

 けたたましい音と白い煙の中で、三機の巨人は粛々と行動した。それぞれ敵の背中に取り付き、動力部に実体剣を這わせる。一転して敵の方を恫喝しているのだ。どのような組織であれ、三機の巨人と搭乗員を一度に失えば大きな損失となるだろう。あくまで尋常の組織の話ではあるが。

 それと本格的にぶつかり合うのは骨が折れる。見逃してやるから撤退しろというのが、傭兵側の紛れもない真意だろう。

 このとき、自分の足元に何かが落ちていることに気づいた。殺し合いの空に束の間の沈黙がおりているうちに、この落し物を見やった。拾い上げると、それはプリザーブドフラワーのブローチだった。人々が走り去っていく時にはまだなかったはずのものだ。すると、少し遅れて避難したのだろうか。であれば、まだこの近くにいるのだろうか。ここに他の人影はなさそうだが。

 光沢を持つ黄色い花びら。これが何の花であるかはわからない。だがこれを付けている意味はなんだろうと、あてのない思考が自分の中で巡っていることにひとり閉口した。そのあり方を、どこかで見たことがあるような気がしたのだ。

 ふと見ると傭兵のうち一機が、突然組みついていた敵を蹴飛ばしている。搭乗員は何を見たのか。その答えは直後にわかった。

 硬質な音が三つ。夜の闇にも溶けきらないその鋭い響きによって、形成は大きく変わった。

 剣を持つ二機の巨人の肘が、撃ち抜かれているのだ。関節をやられだらりとぶら下がる下腕は、既に剣を持つ力を失っている。陣営に発生した明確な隙を見て、傭兵は瞬時に敵との距離を取った。

 榴弾砲を持ち直し、発射位置を特定する。すると原潜上の雪に、不自然な盛り上がりがあることに気がついただろう。肩の雪を払うようにゆっくりと立ち上がった巨人は、守備隊のうち一機の腹を狙い撃った。空戦型の巨人は動力部への隙が大きい。だが、だからといって容易に狙えるものでは決してない。自分は彼を知っている。相当な手練れであり、かつ何かを失ったような怜悧さを持つ男だった。

「もう少し、早く出てこれば良いものを」

 そう呟くも、形成は明らかに敵側に傾いた。原潜はもう二発のミサイルを発射する。次こそミサイルを通すために行動するのだ。それを止める術が、守備隊には既に存在しなかった。

 もうもうと煙を立てながら進むミサイルに、傭兵は向かい合う。射線に入れて榴弾砲を発射すれば、敵はそれを受けざるを得ない。多くが片腕を失っている以上、そうするだけの隙は与えられそうになかった。一か八か、一機が突撃して残りで援護すればどうにか。いや、彼がそれを許さないだろう。

 そのような局面で、光は南側から現れた。巨人のようだった。それも二機。敵はコンビナートに狙いを定めていたため、これの発見が遅れた。それは守備隊も同じで、混乱が生んだ隙はひとりの兵の命を奪った。だがそれでも、直進し続けるミサイルを止めなければならない。

 二機のスラスターは、異なる色の尾を引いていた。一機はキロム守備隊と同じ、もう一機はウエストバイアだろうか。推測するに、新しい機体だ。であればなぜ同時に現れたのだろう。

 二機の巨人の目標が原潜だということはすぐにわかった。一機が長剣のような得物で狙撃手に襲いかかったのだ。姿勢を低くして回避した狙撃手は、そのままふたつの小銃を抜き飛び上がる。

 突如現れた二機の巨人は、すでに戦場の中心にあった。一機は狙撃手と互角の戦いを繰り広げる。もう一機は残りの敵三機を相手取り、圧倒してみせた。余裕を得た傭兵が接近するミサイルに榴弾砲を撃ち込むと、三度目、四度目の閃光があたりを包んだ。

 白い煙の中で、傭兵は畳み掛ける。数はもはやこちらの方が多く、新たに現れた二機を中心として統率が取れていた。

 一方敵は作戦の失敗により士気が下がっている。そのため退路を確保しつつ、剣のない傭兵の腹を狙った。

 金色の城の周囲を飛び回り、光の尾を引く巨人はぶつかり合った。その軌跡は不規則な螺旋を描き、時にぶつかって火花を散らす。

 ふと横を見ると、ひとりの女が展望台に現れた。先ほどの群れの中のひとりだろうが、その風貌は十代半ばごろに見える。寒そうな服装だが、ひとりで来たのだろうか。女はそっと横についた。その時浮かべた微笑は、見た目の幼さに反して妙に品があった。

「ねえねえ、おじさん。さっき逃げなかったのって」

 女の秀麗な顔を見て、何かを思い出すような感覚があった。記憶の中の誰かに、似ているのだろうか。それが何を意味するのかはわからない。だが今は、その言葉を聞き流さねばならなかった。

「ああ、いい景色だろう」

 そうだね。女は頷くと、手すりに肘を乗せてその景色を見つめた。

「避難したのに、戻ってきたのか」

「忘れ物したの。あ、それそれ。持っててくれたんだ。ありがとー」

 ブローチを受け取り混じり気のない笑みを浮かべる女は、年相応よりもさらに幼く見えた。もし危険を恐れるものならば、こんなもののために戻ってくるだろうか。

「それだけで、こんな場所にか」

その意図を察したのか、女は顔をしかめる。

「だって大事なものなんだもん。あとね。ここを離れる前、なんだか不思議な気持ちになったの。頭がぐらっと揺れるような」

 まさか。すんでのところでその言葉を口にしかけた。

「どういう意味だ」

「よくわかんない。でも、やるせなくて切ない気持ちだったんだよ」

 その感覚は人を蝕む毒だ。むやみに人の内面など覗き見るものではない。でなくとも、気持ちのよいものでは決してないだろう。

「それは、知らない方がいい感覚だ」

 それだけを言っておくことにした。女は先ほどまでと打って変わって、寂しげな表情で戦場を眺めている。

「やつらが帰ってくよ。終わったんだね」

 女がそう言うので見ると、敵の動きが変わっていた。太刀筋をかわしながら射程のない銃撃を繰り返していた狙撃手は一転して距離を取ると、原潜へと戻っていく。残りも這々の体で引き上げていくようだ。

 彼らが敗北したのはキロム守備隊の功績では決してない。連携のとれた傭兵と、高い実力を持つ所属不明機によるものだ。攻めて来た連中が次のどこを狙っているかはわからないが、損失は軽微だろう。財団が背景にあるのだから。人材が欲しいというからこそ、こうして自分がいる。

 彼ら二機は何やら傭兵と接触している。脱走兵が傭兵になることは多いが、このような鮮烈な参加は珍しいだろう。もっともあの傭兵組織には、通常の手続きなどないだろうが。

 戦列とは別に基地に入っていく二機がどのような道を歩むのかはわからない。だが女には何か、好ましい結末が見えているのだろう。よかったねと、それだけを呟いた。

 顔に微笑が貼り付いている自分に気がつくと、女はこちらを見てきた。そのまま笑みを浮かべる小さな顔は、何かを伝えようとしているようだった。

 景色は普段通りのものに戻る。だが去っていった人は当分戻ってはこないだろう。多くの人は、戦乱は美しい景色を奪うばかりだと信じている。であればこそ、知らしめなければならない。戦場をおさめた写真はドキュメンタリーとしてのみではなく、それはアートたりうるのだと。

 黒い空から白い雪が降り、黒い海に溶ける。その間にあって、金色の城は輝き続ける。その城が欲と欺瞞の光に満ちる時、本当の美しさがそこにあるのだ。そしてそれを愛する者は、その身に他の人にはないものを抱いているのだろう。明確な根拠があるのではない。カメラを手に戦場に赴けば、そこに集まるものは皆同じような目をしているのだ。女も例外ではない。ないからこそ、こうして出会っているのだろう。

「ねえ、おじさん」

 この言葉を、もう一度素通りさせたかった。だが展望台には自分と女のほか人もいないため、一応自らを指さして確認を取った。

「そーだよ、おじさん。おーじさん」

「まだ、若いつもりだが」

 女はおかまいなしといった調子で続ける。

「おじさん、うちもあれに乗りたい」

「やめた方がいい。お前みたいなやつから、先に死んでいくんだ」

 女はこちらをじっと見つめていた目をそらし、振り絞るように口にした。

 うちはまだ死ねない。手すりに体重を預ける女は、金色の城の先にある闇を見ていた。

「じゃあね、おじさん。楽しかったよ」

 すっと顔を上げて、かつかつと靴底で音を立てながら女は遠ざかっていく。胸に咲いた黄色い花は、輪郭のぼやけた女を健気に飾り立てる。まるで彼女の一部であるかのように、存在感を放っていた。対照的にその背中は寒々しく、消え入りそうであった。

 それを見て、ひとつの予感が脳裏を突き抜けるのを感じた。それは暗い影のように女を包み、砲煙のように虚しく立ち昇っていた。

「お前、行くあてはあるのか」

 沈黙の先に、小さな花の笑顔があった。ないよ。少女はそう口にした。

「夜はつまらない人を捕まえて、遊ばれて、お金をもらうの。そのお金で、もう少しだけ生きるの。生きていれば、きっとまた会えるから」

「売女か。お前ほどの女が、もったいないな」

「でもおじさんは、つまらない人じゃないよ。うちの目を見てくれたから」

 それに。女は首を振り、先の言葉を止めた。そのまま振り向き、まっすぐにこちらを向いて立つ。つややかな黒い髪が、慣性に任せてさらりと揺れた。

 直後に女が見せた笑みは、痛々しいほどに明るく、壊れそうなほどに華やかだった。

 思わず溜息が漏れる。それは女の境遇にではない。ついてこいと、自分の右手がすでに示していたからだ。

 昔から変わらない繁華な街の人波に、くたびれた男と女が紛れていく。広い道には買われた女だとひと目でわかるものも多く、自分たちもそのひとつだと思われるだろう。だがその方が都合がよかった。

 もしそこに道標があるのなら、それは尾を引くように先を行った誰かの背中が描いたものだろう。

 街の灯りは白い世界を暖かく照らし、なるようにしかならない人の流れを見守る。

 導くのか、導かれるのか。その先にあるものが何かを、ふたりは探し始めていた。

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