IRON FOOT

 用語


 黒い箱……ウエストバイア陸軍の少年兵育成施設。


 ヤード、マイル……今日用いられているものと同様。



 冷たい火花散る国境の海は、空との区切りを明らかにしない。伴侶と踊る海鳥は人のしがらみなんてどこ吹く風と、今日この日を謳歌していた。

 暖かい海に抱かれ、私は漂っている。反力装置のおかげでその熱を巨人が受けるということはないけど、陽気の中で波に揺られているとなんだか眠くなってきた。

 計算に裏打ちされた緻密な姿勢制御の上でのみ、くろがねの巨人は空を駆ける。脚を失うだけで飛行は著しく困難となることは当たり前だ。十五ヤードの巨体の半分を失っているため軽いは軽いのだが。それに私も、自分の腕を低くは見積もっていない。強引に帰ることができないとは言わないが、ジェラールが南からここまで地図を広げてきた事実を見ればそれは危険だろう。

 陸の国境のある南方戦線。かつて私がいた場所は、この一年で八マイルも侵攻を許したと聞いてる。キロムとにらみ合うこの海峡さえも、ジェラールは狙っているだろう。事実として、奴は現れたのだから。

 ひとまず救難信号は出したから、そろそろ公国の兵が来てくれるはずだ。ジェラールと交戦したのち、帰還途中にキロムの襲撃を受けたと報告させてもらった。あなたには悪いけど、これが私の決めたことだ。

 計器が動く。基地からの入電だろう。助けを求めている手前、私は渋々それを受けた。

――二番機、応答せよ。

――こちら二番機。位置情報を送信します。

――海域三八、キロム領島嶼部沿岸の地点と認識した。近くに味方が向かっているため、何かしらの合図をせよ。

 昼間から照明弾をあげるのはやや気乗りがしなかったが、一応射出しておくことにした。夜間であればセンサーの類を一時機能不全にする程度の威力はあるが、白昼ではちょっとまぶしい程度だ。

 レーダーが真下に機影を察知する。色は公国、味方だった。通信は音声のみで映像はないから、私はその奇行に苦笑を隠そうとはしなかった。

 機体は激しい衝撃ののち、鉛直方向に上昇した。苦笑はため息へと変わり、下の珍客の要請に応えて個別通信を開いてやることにした。

――やあお嬢さん、お迎えが来たよ。

「救援、感謝します」

――そんな畏まるなって。聞いたよ、ジェラールの新型を落としたんだって? 黒い箱はやっぱ別格だな。専用に作られただけある。

「どうも」

 平静を演じていたつもりだが、やはり声に出ていただろうか。その名で自分を語るものは、たとえ戦友でも敵だと断じていた。

――なあ、どんな風に勝ったんだい。

「知らない。巨人に聞いてみれば?」

 ごつんと軽い衝撃が走る。彼にも私の冷淡な対応を冗談に流すくらいの器量はあった。

 巨人の肩に担がれひまになった私は、フェイスカメラを起動した。いつもと変わらないはずの海は、なぜだか少しだけ透明に見えた。数分もすれば公国の大地が見える。基地に帰った私に、次の機体は与えられるだろうか。どうあるにせよ、気がかりのひとつはそこにあった。

 だんだん近くなっていく陸地。抜き去った一羽の海鳥の赤い腹を見て、私はひとつのことを心に決めていた。

「二番機、帰還しました」

「機体は大破か。困るのだよ。こちらも厳しいやりくりを強いられているというのに」

やはりこれだ。私の戦果など、上には関係ない。私はどの言葉よりも速く、口から突き出してくるものがあった。

「代わりの機体を、今すぐいただくことはできますか」

「格納庫に新型の試作機がある。わかっているな、二度はないぞ」

「恐れ入ります」

 あともう一点、報告があります。踵を返そうとした私は、ようやく言うべきことを思い出した。

「キロムの哨戒機の一部に不穏な動きがみられます。私はそれにやられました。相当な腕を持っているため、対策を講じた方がよいのではと考えます」

 司令はそれに対し曖昧な表情をしたのち、部下に新型の仕様書を取るよう命じた。

 司令室をあとにした私は、分解されることになった巨人を見に行くことにした。格納庫に収容することもままならず横たえられたウォーターブルは、失われた脚部を別のものに換装されるらしい。それは巨人の高高度性能を高めるための開発試験によるものだそうだ。噂によればそれによる巨大な加速度に耐えるための薬物実験も行われていると聞く。この国において、搭乗員を殺すのはなにも敵だけではないらしい。

 だが、そのようなことは私には全く関係がなかった。格納庫には五番機まで収容されているが、バイール数字で二と大きく描かれたスペースには今や何も置かれていない。私はそこを通り過ぎ、その先にあるシャッターを開けた。そこにあった巨人は、今までのものとは異なったいでたちをしていた。高さは十四ヤードと大きく変化はないのだが、問題はその体躯だった。病人を思わせるか細い腰部に、不釣り合いなほど太い腕と重厚な胸の装甲。ふくらはぎに相当する位置は連装榴弾砲が搭載されており、全身の姿勢制御装置も大きい。自重すら姿勢制御に任せる大胆な設計は、機動力にも影響を及ぼすだろう。精緻な操縦が求められる、明らかに搭乗者を選ぶ機体だった。だが出力は高く、ジェラールの新型とも十二分に渡り合えるはずだ。むしろ激化する二国の関係を鑑みるに、そのための新鋭機であることは明白だった。自国の兵の命を考慮しない作戦では、物量で上回るジェラールには決して勝つことはできない。

「巨人らしくはないが、いい機体だ」

 後ろから話しかけてくる男は、私が所属する中隊の副隊長だ。この基地において一番機といえば彼のことであり、彼に合わせて細部に改造が施されている。その実力は士官である隊長よりもはるかに高く、海峡のエースと呼んでもいいだろう。彼は私をひとりの兵士として扱ってくれる、数少ない人物だった。

「ハウンド、そう呼ぶらしいです」

「知っている。これは僕が受領するはずだった機体だ。そのために、シミュレーションもしてきた」

「しかし、命令ですので。私が使わせていただきます」

「構わないさ、君の方が優れているからな」

嫌味でないと知りつつも、私はそれを黙殺した。そして巨人の方を向きなおし、かつかつと遠ざかっていく足音を聞いた。

 この先すべきことを考えるに、目の前に鎮座する巨人の役割は限りなく重い。

 殺せるだろうか。そう自問するが、答えなど出るはずがない。きっと殺す。殺さねばならなかった。

 だがその時が来るまで、あなたは待っていてくれるだろうか。本来であれば明日にでもこれに乗り飛び出していきたい。だが連続で搭乗し被撃墜記録まで着いた私には、一週間の静養が言い渡されていた。公国ではとてもキロム相手に五分の戦争は挑めないが、平時であれば人手は足りている。この状況を平時と呼ぶほどには、海峡に吹く風は冷たいのだ。

 ともあれ私は内地に行ってよいとされた。私にこのような命令が下るなど、本来であればあり得ないことだ。明日のうちに、全てのことを終わらせて来なければならない。一週間も待つつもりなぞ、初めからあるはずもなかった。

 では、どうするか。巨人のくろがねの肌に触れると、私は声もなく胸にひとつ呟いた。

 強くならなければ生きることさえ許されない、そのような世界の存在を多くの人は知らない。

 私と渡り合えたのは、海峡ではあなたが初めてだった。ジェラールの新型に対し、臆せず立ち向かうことができたのはあなたがいたからだろう。結果として、明らかに性能の劣る二機でも撃墜することができた。

 だからこそ。私はその先の言葉を胸にしまい、巨人に乗り込んだ。受領した巨人を自分に合わせることは、血染めの空で生き延びるために不可欠なことだった。シミュレータを起動し操作性を確認する。模擬戦を終えるたび、ハンドルの感度や固定動作を変更した。二時間半もすれば、それはもはや自らの手足だった。

 ハッチを開け巨人から降りる直前、もうひとつだけすべきことがあったことに気がついた。私は数時間はかかるであろうその作業を終えてから、全身に疲れの張り付いた体を休めることにした。

 キロム領への侵攻は二日後に予定された。編成された中に、私の名はなかった。それは自然だろう。まだその時期ではない。どうせ私にしか、それはできないのだ。

 私は特にすることもないため、宿舎でゆっくりしていることにした。娯楽があるわけではないが、そういったものを頭から否定されて育った私には関係ないことだ。

 今まで一度も行かなかった書庫に足を運ぶ。外の世界への興味は、かつてと比べてほとんどなくなっている。だがそれでも、突発的な欲求は私にある本を手に取らせた。

 気がつくと私は本を開いたまま眠っていた。書庫を閉める時間だというので、借りていくことにした。何もない宿舎に戻るとき、私はその本をきゅっと胸に抱える。その足取りは軽く、頬に張り付いた笑みに暗い色がないことに私は気づいていた。

 任務がない兵士など、ゼールの裏路地に転がっている落伍者と大きな違いはない。私は教練のない時間の全てを自室のベッドで過ごした。といっても静養中の兵士には教練すらない。私はどうせ宿舎にいるのならと、他の空兵に混じって汗を流してきた。

 幼少期から鍛えられたとはいえ、まだ年端もいかぬ子供である。徒手格闘で成熟した男と渡り合うのは骨が折れた。もちろん、十あって八は私のペースに持ち込める。だが筋力差を技術だけで補おうとすればそれだけ集中力も使う。それでもできる限り、流れるように絶え間なく攻めと守りを繰り返すほかない。そういった私の戦闘観は、巨人にも色濃く現れている。だからこそキロムの機体は格好の獲物だったわけだ。それはあなたを除けば、の話だが。

 ただし得意といっても限界がある。ジェラールの新型のように、鈍重でも堅牢無比な機体には文字通り刃が立たなかった。それはそのまま黒い箱から続く徒手格闘での課題でもある。銃や刃などなくとも武装した敵の命を脅かす術を手に入れることは、兵士として重要な要素のひとつだった。

 教練を終え心地よい空腹が私を支配したころ、時計は最も高い位置を指した。私は悟られぬように毅然として食堂へ向かった。消費したエネルギーは、食事をもって補う必要がある。宿舎の食事は自分で取り分けるもので、量が選べる。命の軽い兵士にとって食事とは常に大きな満足を得られるものであるべきだ。私は隣の男より多くのパンと肉と野菜を取り、席に着いた。

「ほんと、黒い箱のお嬢さんはよく食べるねえ。それが体に付かずに全部使われるから大したもんだよ」

「別に、食べたいから食べてるだけ」

こういうとき、私は嫌悪を隠さない。無駄話に付き合ってせっかくの昼食をまずくされてはたまらないからだ。

 席に着くとすぐさま手を伸ばした。今日は私の好物が多かったため、いつもよりさらに多く取ったのだ。大きく口を開けて、料理を頬張る。咀嚼する間は目を閉じる。その行程を繰り返していると、いつの間にかそこに食べ物がほとんどなくなっているのだ。私はもっと食べたい気持ちを懸命に抑えながら、プレートの隅に盛り付けられたデザートを口にすることにした。

 食べている時まで話しかけてこないのは嬉しいのだが、視線を感じないわけではない。

 食事は数少ない私の楽しみのひとつだ。だからこそ、乱されかねない存在には気を配る必要があった。

 年少の兵士がそこまで珍しいわけではないだろう。私以外にも黒い箱を出た子供たちはわずかながら陸軍に配備されている。でも彼らの命は一般兵の比ではないほどに軽い。巨人の修了生すべてを収容する南方戦線では、私を除くクラスの全員が無謀な突撃で命を落とした。私たちにその命令を繰り返した男は、今もなお南方戦線を仕切っている。それが私には我慢ならなかった。この海峡でも、私に与えられた自由はごく限られたものだ。外出もほとんどできず、給金も使う場所がない。

 そのような鬱屈した思考さえ忘れさせてくれるのが、食事により満たされるということだ。

 ふうと一息つき、少し丸くなったお腹をさすりながら通路を歩く。この状態を人に見られるのはまずい。満腹は大きな幸福を生むが、それによる頬の弛緩は避けねばならない。気を張っていなければ、ここでは弾にされてしまう。私は鼻歌を歌いたい気分を懸命に抑えながら、わざと足音を立てて自室へと向かった。

 ベッドに体を投げると、借りてきた本を読む。体の疲労が取れていく心地よい気分の中で、私はいつの間にか意識を失っていた。

 この朝、キロム領に向け二機の巨人が飛び立ったのを私は音で知っていた。予定されていた通り、彼らはあなたを撃墜しに向かったのだ。うち一人は、回収に来てくれた男だった。私が管制塔に行くことはなかったが、それでも状況は把握できた。巡航速度と仮定すると、帰還時刻は既に一時間も過ぎている。

 彼らは帰ってこない。彼らでは、あなたに弾傷ひとつ負わせることはできないだろう。初めから分かっていたことだ。強ければ生き残れるわけではないが、弱ければ死ぬ。だから私は彼らを鼻で笑ってやる代わりに、ベッドから顔を出さず午睡に耽ることにしたのだ。ここで待っていても、いずれ声がかかる。その時になってから行っても、決して遅くはない。

 扉を乱暴に叩く音が三回。私は渋々自動扉を開けてやることにした。

「司令がお呼びだ」

「わかった。すぐ行くからそう言っておいて」

 私は使い走りが部屋から出たのを確認すると急いで通常服に着替えた。私に合ったサイズの軍服はない。だから高高度仕様のパイロットスーツの他は基本的に同年代の子供と同じような服を着ている。そこも奇異の目で見られる理由のひとつだと自認していた。一応それらしさを演出するため、作戦時は軍服と同じ色の質素なワンピースを着ていた。似合わないことは、誰より私が自覚していた。

 司令室には司令の他に、副隊長ともうひとりの兵士がいた。

「知っての通り、報告にあったキロム兵は公国の巨人を二機撃墜した。通信を見る限りでは、奴は単独で飛行していたものと見られる。わが公国の精鋭ふたりを圧倒する技量。これを殺せる可能性を持つ搭乗員は限られるだろう。たった一機のために、海峡の力関係が崩れるのは避けねばなるまい」

 要するに、小隊を組んで速やかに撃墜せよということだ。それを聞いた私は、内側に燃えるような感情を覚えた。

 手はずは滞りなく進んでいるが、だからこその不安もあった。あとは、私自身がどのようにするかが問われている。

 宿舎に戻ってから、妙に時間が長く感じる。もしやと思い、私は自問した。その時を、楽しみにしているのではないか。そんな自分の存在に閉口しながら、私は窓越しに海峡を見やった。

 本当にできるだろうか。幾度も繰り返したこの問を、飽きもせずまた行う。結論は、動きようがなかった。やるしかない。悪になる覚悟はできている。私はそう念じながら布団にくるまると、眠れるだろうかという不安を払うように強く目を閉じた。

 眠れなくとも、等しく朝は来る。その不条理に抗うより、夜が深くなりすぎぬうちに目を閉じておくことだ。二時間ほど睡眠時間が減ったくらいで音を上げるようではそもそも巨人の搭乗員など務まらない。私は手早く用意を済ませ、出撃の時を待った。

 格納庫では、既に副隊長たちが自機の確認をしていた。私はというと、調教が終わった新型をもう一度見渡すことにした。確かに、目的を果たすに不足ない性能はある。だが私の胸には、期待と不安がひとつずつ螺旋を描いていた。

 管制塔に集められ、作戦の内容を言い渡される。いつもなら哨戒任務だからもう少し緩いが、今回は明確な目的がある。一機に対して精鋭を三機も用意するあたりに、海峡での旗色がうかがい知れた。もとより、キロムと戦争など起こせないのだ。だからこの一機にこれ以上暴れ回られたくない。巨人の数を減らされないよう作戦を作るとき、数で優ろうとするのは当たり前だった。

 巨人の踵をカタパルトに固定し、姿勢を低くする。管制からの合図を受け、動力を目覚めさせていく。巨人がその推進力だけで天に駆け出すには、周囲の地面をアスファルトごと吹き飛ばすだけのエネルギーを放射する必要がある。カタパルトはそんな鈍重な巨人に初速を与えてやるためにあるのだ。

 動力部に熱が高まっていく。蓄えきれなかった膨大なエネルギーが、地を揺らし轟音を響かせる。私はそれに負けぬよう、強くハンドルを握った。一番機が射出される。その軌跡は二筋の線となり、弧を描いた。それを見た私はひとつ深呼吸をし、目を閉じる。管制塔からの合図を受けるた私は目を開ける前にもう一度だけ深く息を吸い、そして吐いた。

「二番機、出撃します」

 がくんと操縦席が揺れる。カタパルトが動き始めたのだ。私はいつまでたっても慣れないその緊張と、ひとつの高揚感を胸に抱いて滑走路を滑っていった。出力を上げていくと、足元の勢いに上体が追いつき始める。等速運動に入り加速度が消える瞬間、この体全体が空気に溶ける感覚が私は好きだった。カタパルトの終着点が近づくにつれ、海がその顔をのぞかせる。勢いはついた。あとは地上に別れを告げる瞬間、出力を全開にするだけだ。

 踵の拘束が解かれ、同時に曲げていた膝を伸ばす。上方向への力はスラスターに支えられ、空を駆ける翼となる。自重により一度降下し、水面を切るように低空で飛行する。そこからレバーを引き高度をあげていくとき、私はこの基地でただひとつの高揚を噛みしめる。

 空はいつでも巨人のためにあった。

 巨人の前では、いかなる対空装備も意味をなさない。巨人の脚はミサイルより速く、巨人の肌は砲弾を弾き返す。そんな巨人を駆ることは、多くの空兵にとって揺るがないステイタスだった。巨人を操り空を駆ける喜びは、選ばれたものにのみ与えられる褒章なのだ。

 だがそのようなことは、今の私にとって些事でしかない。この海の先にはあなたがいるのだから。

 レーダーが機影を察知する。識別はキロム。私には分かっていた。この時間の海峡にいるキロムの巨人は、あなたをおいて他にない。

 僚機が突撃する。私はその後を追う形であなたに接近した。

 細身だが重厚なキロムの巨人は、公国の量産機に比べて性能が高い。だがそれだけでは、あなたの実力は説明できない。

――敵の攻撃を受けきれない。救援求む。

 それは三番機の搭乗員からだった。彼は副隊長よりも更に実力が劣る。仮に落とされて二対一になったとしても、こちらの劣勢は揺るがないだろう。

――承知。

 そう返すと、私は通信を切った。それは、決意だった。

 僚機の間を分け入るように、私は速度を上げる。攻撃を流しつつ反撃の隙を狙うあなたの鉄壁の防御は、攻め手がもう一人加われば瓦解するだろう。

 攻撃の直後に三番機が見せた隙を、あなたは決して見逃さなかった。実体剣の一撃は胸を切り裂き、動力部の先の場所で止まった。深く入りすぎたのだ。

 剣を引き抜き、爆発する三番機を蹴り飛ばす間に一番機が攻撃を仕掛ける。機銃を左腕で跳ね返させ、胴体への斬撃を狙う。さしものあなたでも、決断を誤ったと言うほかなかった。どういう結果になるにせよ、私が待ち構えている以上あなたに勝利はない。それほどに一対三と言うものは過酷なのだ。副隊長も自分の生死ではなく、勝利を確かなものにするため剣を振るう。

 だがその確信は、ひとつの誤解のもとに成り立つ砂の城にすぎなかった。

「ごめんなさい。他の奴らよりは、嫌いじゃなかった」

 私が振り上げ、下ろした剣の先にいたのは一番機だった。背中は深く切り開かれ、もはや結末は疑うべくもない。私は。ああ、私は、自分だけのためにこの手を汚すのか。

 碧空が白に包まれる。世界に色が戻る時、一羽の海鳥が飛び去って行くのが見えた。後戻りができない私は、荒い息を抑えつつその鳥を撃ち抜いた。その赤い腹を見たキロムの巨人はいつもと同じ直立の姿勢になおり、いつもと違う幅広の剣を持ち直した。

 空と海の狭間にあって、ふたりの高度は同じだった。

――残存する我が戦力は二番機のみ。攻撃を仕掛けます。結果は、帰還をもって報告します。

 付け直した通信を切り、機銃を構える。あなたの命にまっすぐ狙いを定めたその銃口は、ふたりだけの合図だ。戦端が開く前の一瞬、私の胸からとめどなく湧きあがってくる昂揚感を抱きしめる。焦がれていた、そう言ってもいいだろう。数秒ののち、私は目を開いた。

 突撃は同時だった。今までと大きく違う点は私の乗る巨人。大出力による緻密な姿勢制御を基盤とした圧倒的なトルク。性能だけで見れば、キロムのそれを圧倒していた。だからこそ、私にはまったくわからなかったのだ。なぜ、なぜこの鍔迫り合いに勝てないのか。

 私は足りないトルクを技術で補い続けてきた。だからこそ新しい力を手にし、戦い方を見失っているのかもしれない。

 剣戟を重ねていくうちに、背後に海を感じた。追い詰められているのが自分だということに気付いたのだ。私の一撃を的確に受け流す技術。あなたの最大の武器は、さらに磨きがかかっている。それにこの身のこなし。攻撃と防御の間にある緻密な動きは、むしろ私が培ってきたものだった。

 であれば、どうするか。こちらも手を隠すことはない。もとよりこの巨人の強みはそんなところにはないのだ。

 互いトップスピードで距離を詰める。相手の動きを予測し、動力部のみを見据えて剣を振るう。数合切り結ぶと、あなたは防御の姿勢に入らざるを得なくなる。そこに振り下ろされる切っ先を、私は寸前でぴたりと止めた。受け流しに来る剣が虚空を舞う隙を、待っていたのだ。

 そのまま時計回りに回転し、あなたの右半身を薙ぎ払った。その手ごたえがないことに気づくと、さらに追撃を仕掛ける。

 姿勢制御に多くの動力を要するこの巨人は、自らにかかる加速度を自在に操ることができた。反応速度は明らかに向上し、それはミリ秒単位で繰り広げられる巨人の戦いにおいて生死を分ける差になる。

 下腕部のスラスターから噴射すれば、鍔迫り合いの威力や斬撃の速度が大幅に上がる。それはあなたを後退させるに十分だった。

 あなたは剣を両手で持ち、ひとつの動作をした。無骨な幅広剣は、流麗な長剣へと姿を変えた。私はひとまずの様子見とばかりに機銃を連射し、防御を誘った。

 あなたはそれを長剣で受けることをしなかった。上方向に回避し、楕円弧を描きながら接近してくる。身を翻しながら剣を振りかざす勢いは、全て私に向けられたものだ。そう思うと、不思議と胸が踊った。だから私は、避けるのをやめようと思った。私は少し高度を下げ、その一撃に真っ向からぶつかっていくことにした。

 青い世界に赤い火花が散る。四尺玉もかくやというほどに、二人の切っ先はばちばちと光った。あなたは私から来る勢いの全てをもって飛び下がる。そのまま高度を下げながら回転により方向を変え、下方向から向かってきた。

 こちらも、止まってばかりではいられない。受ける直前に水平方向に移動し、衝突点をずらす。四肢の動きとは全く無関係の方向に移動することは、人間の動きではあり得ない。生身での白兵戦の延長として巨人を動かす搭乗員を欺くに、それは十分な意味を持っていた。

 剣先が鈍る。その力であれば、右手の実体剣でどうにか受けることができる。トルクに任せて長剣を振るうこと自体はこちらも同じだった。剣戟が互角なら、片手で振るう方が明らかに有利だ。左手の機銃を向ける頃には、すでにあなたは大きく距離を取っていた。

 今度は私から詰めていく。こちらから攻めれば、負けることはない。

 まずは一合。右腕の推進力を駆使すれば、これでもなんとか斬り合える。そして鍔迫り合いの前後に隙は見せない。跳ね返された直後の攻撃を受ける時も、次の一手を用意しながら。巨人が変わっても、すべきことは同じだった。

 だがその一手も、単純なものでは容易に受け流されてしまう。だからこそあなたへの攻撃は、常に趣向を凝らす必要があった。その受けは急所に迫れば迫るほど巧妙になる。次は、外側から少しずつ斬りつけてみよう。

 あなたは強くなった。初めの頃などとは別人のように。あなたの卓越した防御技術は私の攻撃を受けるためのもの。あなたの剣は私を切り捨てるためのもの。私には自負があった。

 だからこそ、積み上げてきたものは私の手で壊さねばならない。

 交わす剣戟は、言葉に似ている。私はそう思った。こうして言葉を交わし合うことが私に取って幸福であると気付いた時、私はすでに決断していたのだろう。

 あなたの体が開いたタイミングで、動力部を狙い突きを入れる。刀身の長い剣では振りの小さい剣戟を受けることは難しい。だからこそ、私はあなたの挙動に驚きを隠せなかった。

 迫り来る剣の腹に左手の甲を沿わせ、そこを支点として回転する。私の右側を通過し、またもや完全にすれ違う形となったのだ。おそらくは切っ先と動力部との距離はほとんどなかっただろう。

 今度は、離れない。私も剣を両手で持ち、あなたの剣に応える。それはひとつの、想いの形だっただろう。

 真っ向から力をぶつけ合えば、私の方に分がある。出力を一気に最大まで上げ、剣を弾く。がら空きになったあなたの胸に、私は一閃を加えようとする。その剣が動力部に届く瞬間、私はその腕をぴたりと止めた。

 あなたが、動かなかったのだ。だから、斬るわけにはいかなかった。そしてそれは、幸せな時間の終わりを意味していた。

 ふたりは示し合わせたように気密扉を閉じ、動力を停止させた。二機の巨人は空に留まる力を失い落下していく。浅瀬の水底には奥まった岩場があり、装甲の劣化もある程度は避けられるだろう。

 私はある作業をした。それが意味していたのは、訣別だった。ウエストバイア・エドワード公国の情報を完全に解除する。それは特殊な用意がなければできないことだ。国際法にも反するその行為は、今の自分がどの国にも属さず、どの国にも護られない存在になることを意味していた。数秒ののち、あなたの識別が消えた。私と同じだけの覚悟をして、ここに来たということなのだろう。

 ここで初めて、私は通信を開いた。周波数は、ふたりだけのものだ。あなたと回線がつながったことを知ると、その口を開いた。

――聞こえる?

――ああ、聞こえるよ。

――巻き込んでしまって、ごめんなさい。

――いいさ。僕も、そのつもりだった。

 鼓動が早い。揺らぐ水面を見上げながら、この先のことを考える。退路を断つことでのみ、進める道があると私は信じていた。

――明日、薄明のうちにここを発とう。この前伝えた通り、あてならある。だから、今は休もうか。

――そうね。 ……でもそれまでは、こうしていたい。

――……わかった。個別回線は、ずっと繋げておこう。僕も、君と話したいことはあるんだ。

 ねえ、その前にお願いがあるの。私はその今まで感じたことのなかった思いを、正直にぶつけてみることにした。

――あなたを、名前で呼ばせてほしいの。いいかしら。

 あなたは驚いたように一瞬間を開け、ゆっくりと口を開いた。

――セロウ。セロウ・ディング。君は?

 私は。そうだ、私のことを話さないといけないんだ。身寄りがないなんて、失望するかな。戦いしか知らないなんて、幻滅するかな。でも今は、この気持ちに正直でありたかった。

――私には、本当の名前はない。だからセロウ、シスルと呼んで。忘れたくない名前なの。

――シスル、いい名前だ。できれば、その理由を聞かせてはくれないか。

――ええ、あなたになら。

 海峡の海に日が沈む。そこから何時間もの間、私たちは話していた。私はかつて見たあなたを思い浮かべる。その澄んだ瞳は、今は場所も思い出せない記憶の中の泉のようだった。

 小さな照明の灯りを頼りにして、二人は持ってきた糧食を開く。それを食べながら、これがまずいとかこれはうまいとか、そういったことを話した。君は食べるのが好きなんだねと、笑われたりもした。

 そんな幻のような時間の先に、ふたりの未来は存在するだろうか。

 海鳥の声も届かない海中で、私は目を閉じる。

 ウエストバイアにはない安寧を求めた私。その想いに応えてくれたあなた。これがふたりの最初の夜。唇も褥も重ねずとも、伝えられる想いがある。

 であればこそ、生き延びなければならない。私が真に求めるものを、この手に掴む日まで。

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