四話 愛し合ってる?

 それから華子はもっぱらゲンさんと話をした。

 優しいゲンさんは俺にも話を振ってくれるが、華子はことごとくスルーする。ひどい扱いだ。

 そしてゲンさんがパンと手を叩く。


「終わり! 待たせたね、二人とも」

「ううん、じゃあ行こうか」


 華子がカウンター席のイスからぴょんと降りる。俺も続けて。

 店を出てすぐ華子が俺の方を向く。


「じゃあ、今度こそ帰りなさい?」


 まぁ、そうなるか。

 今いち恋人気分は味わえなかったが、極上の女と放課後を過ごしたのは確か。今日はとりあえず満足すべき?

 と、ゲンさんが横から声をかけてくる。


「ん? 夕食に誘うんじゃないの、ハナちゃん」

「ええ? 何言ってんの?」


 心底イヤそうな顔をする華子。

 え? 夕食を一緒に? そんなのありなの?

 ゲンさんがいかにもイケメンらしく快活に言う。


「快人君、俺んちで夕食なんてどうかな? ハナちゃんも入れて三人で」


 華子が俺を見る。

 その視線はいつも以上に力強い。

 空気の読めない童貞の俺でも分かる。早く帰れ、と華子は目で命令していた。

 だが、極上の女と夕食を共にするチャンスだ。これを逃すわけにはいかない。

 俺は素早くスマホを取り出した。


「あ、母さん? 今日、夕飯は外で食べてくるよ。うんうん、悪いね、急に」


 通話終了。

 俺の前には鬼のように凶悪な目をする華子がいた。そんなにイヤ?

 俺はすっとぼけて華子の目を見ないようにする。そしてゲンさんに言う。


「じゃあ、お言葉に甘えてごちそうになります」

「うん、大勢の方が楽しいよね」


 まだ俺をにらむ華子の腕をゲンさんが軽く叩く。


「行くよ、ハナちゃん」


 軽やかに言う。

 このイケメンが空気を読めてないなんてあり得ないが?

 そうか、ゲンさんは俺たちの仲が進展するよう助けてくれてるんだ。

 ありがてぇ。ゲンさん、あんたはホントにいい人だ!




 んん?

 おかしい……なにかがおかしい……。

 今、俺の前をゲンさんが歩いている。

 それはいいだろう。

 その隣……。

 なぜ俺の恋人たる華子がそこにいる?

 しかも、二人は腕を組んでいた!


「ええ~、ケーキ食べたいよぉ」


 などと華子が甘えた声を出してゲンさんにもたれかかる!

 いやいやいや、カフェのマスターとそこの常連客の関係じゃないでしょ、これ?

 童貞の俺は今になって二人の関係が異常だと確信した。

 華子は俺たち童貞にはいつも冷たい目を向けてくる。

 今の、女の子女の子した柔らかい視線はなに? そんな目、お付き合いしている俺は向けられたことないんですが!

 二人の関係を問いただすべき? なんて言って?

 「お二人はどういう関係?」「愛し合ってるの、私たち」

 そんなこと言われたら?

 「おいっ! おまえは俺と付き合ってるんじゃないのか!」「はっ! あんたなんか利用してるだけよ」「じゃあ、童貞を捧げるって話は?」「はっ! 愛してる人がいるのにセックスなんてさせるわけないでしょ? 私がセックスする相手はこの人だけ。毎晩ズッコンバッコンですから」

 なんて展開に!

 そうなったら?

 「裏切りだ! ちゃんと童貞を捧げさせろ!」「きゃーっ、助けてゲンちゃん!」「やめてたまえ、快人君!」「げふぅっ!」

 俺は童貞なので、男女の修羅場なんて経験したことがない。修羅場に突入したら目の前のイケメンに負けるのは確実だ。

 ここは血の涙を流して退場するしかないのか?

 ……いいや。

 いいや! 諦めるな、快人!

 極上の女が目の前にいるのだ!

 俺は、童貞を捧げるまで、決して挫けない!


「仕方ないなぁ、今日は特別だよ?」

「きゃーっ! ゲンちゃん大好きーっ!」


 華子がゲンさんの肩にほっぺをぐりぐりとなすり付ける。俺は膝から崩れ落ちて地面に両手をついてしまう。


「ん? なにやってるの、あんた?」


 どうにか顔を上げる。

 華子が首を傾げて俺を見下ろしていた。しっかりとゲンさんの腕にしがみついた状態で。

 俺は聞かずにはいられない。


「二人って、愛し合ってるの?」

「ん?」


 華子とゲンさんが顔を見合わせた。


「あはははは!」

「ははははは!」


 爆笑?

 俺はなにがどうなっているのか分からない。


「え? え?」

「いやいや、俺たちはそんなんじゃないよ」

「あんたって、ホント妄想が好きよね?」


 華子が口の片端を上げた笑みを向けてくる。そして軽く手招き。


「早く立ちなさい? みっともないわよ」


 それだけ言うと、くるりと背を向ける。

 よかった、二人は愛し合ってるわけじゃなかった。華子に童貞を捧げるチャンスは相変わらずあるんだ。

 ……でも、二人は相変わらず腕を組んでいる。

 ええ? もやっとするぞ?




 そして華子とゲンさんはスーパーマーケットへ。

 狭い店内で三人固まると邪魔になるよね。だから俺は二人から一メートルほど距離を取った。

 一方の二人はぴっとりくっつき合っている。

 ゲンさんが俺の方へ顔を向ける。


「快人君、苦手な食材はある?」

「いいえ、特に。何でも食べます」


 童貞を捧げる相手にはこだわる俺だけど、食べ物は好き嫌いなくなんでもおいしく頂いた。


「そう、よかった。今日は麻婆ナスにするよ」

「ゲンちゃん、思いっきり辛くしてよ」


 華子がゲンさんに身体をなすり付けながら言う。だからなに、その距離感。


「うーん、ハナちゃんの好みは辛すぎるしなぁ」


 そして二人は俺を放っておいて楽しい楽しいお買い物をしていく。


「ナス取って、ハナちゃん」

「はーい」


 ゲンさんが持つカゴに華子がナスを放り込む。

 華子が商品棚を指差した。


「ゲンちゃん、桃が安いよ!」

「ダメダメ、今日はケーキを買うんでしょ?」

「そうでした~」


 ぺろっと舌を出す華子。

 ……ねぇ、ホントに二人は愛し合ってないの? とてもそうは見えないんだけど。




 ケーキ屋に寄った後、二人はアパートに入っていった。四世帯が二階建ての建物を分け合う形になっている。

 その二階へ。

 玄関扉の脇にある表札には『広徳寺源代こうとくじげんだい』とある。

 源……ゲンさんか。

 そのゲンさんは両手に買い物袋を提げている。


「ゴメン、ハナちゃん開けて?」

「はーい」


 華子が学生鞄の中から財布を取り出す。かわいい女子らしいものだ。

 そこに取り付けられた鍵を玄関扉に差し込む。

 えっ! 合い鍵?

 まず華子が入っていく。


「ただいま~」

「ただいま」

「お、おじゃまします?」


 中へ入りながら俺は激しく混乱していた。

 華子がくるりと振り返る。


「ゲンちゃん、先にシャワーいいよね?」

「いいよ」

「ちょっと待って!」


 俺は広げた手を華子に向かって突き出す。


「なによ? 早くシャワーしたいんだけど」


 さすがに言わねばならない。聞きたくないが、聞かねばならない。


「あの……もしかして、二人……同棲してるの?」


 華子がきょとんとした顔をする。


「同棲?」

「そう、同棲だよね? 合い鍵持ってるし」


 俺の声は震えていた。

 華子の視線がしばらく宙をさまよう。

 その後、幸せそうな微笑みを俺に向ける。


「まぁ、そうかも」

「オウ、ノウ!」


 後ろに下がったら玄関扉にぶつかった。

 さっき愛し合ってないって言ったじゃん! 付き合うとか童貞を捧げるとかどうなるの!

 涙がにじんでくる俺。

 ゲンさんが華子に言う。


「ハナちゃん、ちゃんと説明しなくっちゃ」

「だって面白いんだもん」


 ニヤニヤしてる華子。

 そりゃあ面白いでしょうよ。童貞心どうていごころを弄んでさ。

 ゲンさんが玄関扉に貼り付いている俺の方を向く。


「大丈夫、何の心配もいらないから、快人君」

「いやでも……」

「俺って、男しか愛さない人なんだよ」

「え? それって?」


 ゲンさんの言葉に理解が追い付かない俺。

 華子がぴょんと跳ねてゲンさんの腕にしがみつく。


「ゲンちゃんは、女友達みたいなもんなのよ!」

「はぁ~~~」


 全てを理解した途端、俺の身体から力が抜けた。

 ズルズルと床まで尻を落とす。

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