episode4─旅と夏の終わり

僕の願いが叶う時

 僕は目を覚ました。

 最初に目の前に広がったのは少し茶色の天井だった。昨日とは違って素朴だった。そんな天井をよく見ると、シミがあったりもした。

 やがて覚醒したばかりの意識は一つのことを認識した。仰向けになっていることだ。何故このような状況になっているのだろうか。

 身体を起こす。その時に湿っているハンカチが額から落ちる。手に取り僕は考える。


(…………あぁ、そういえば僕倒れたんだった)


 そして昨日のことを思い出した。

 僕が倒れて、君に運ばれて、全て話したことを。

 太もも辺りに重さを感じた。そこを見てみると君がいた。こちらに寝顔を見せながら突っ伏して寝ていた。

 昨日は先に起きていて見られなかった、君の寝顔。可愛かった。それが見た感想だった。僕がこんな感情を抱くなんて思ってもいなかった。

 握っていたハンカチを見る。君が看病をしてくれていたことは一目瞭然だ。君には感謝の気持ちしかない。

 そんな君の頭を僕は撫でた。髪の毛はサラサラしていて、触ると心地よかった。そして、看病してくれてありがとう。そう気持ちを込めて撫でていた。


「ん……んぅ……ん……んぅ…あれ?君いつの間にか起きてたの?」


 そう言って君は目を覚ました。目はトロンとしていて、まだ半分寝ているようだった。

 僕は慌てて、君の頭から手を離そうとする。しかし、もう遅かった。見られてしまったからだ。僕は手を乗せたまま、フリーズしてしまう。

 君はそんな僕を見て不思議そうにしたが、なにも言わなかった。そして僕の手を握った。その表情に怒りは感じれなかった。むしろ、安心しているような表情だった。


「君の撫で方……なんだか安心するよ。なんか猫の気持ちが分かった気がするよ」

「それは良かった」

「…あのさ、もっと撫でてくれない?なんか落ち着くし…………嬉しいし」

「うん、分かった」


 僕は再び撫でる。優しく、丁寧に、ゆっくりと手を動かす。まるで、すぐに壊れてしまうシャボン玉を触るかのように。

 君は撫でられながらも、あることを聞いてきた。それは僕にとって大切なことで、きっと君にとっても大切なことのはずだ。


「君はさ…どうするの?このまま旅、続けるの?それとも……ここで終わりにしちゃうの?」


 そう言った君の表情は不思議だった。寂しそうだけれど、なんだかそれ以外も感じ取れた。

 うまくは分からない。いや、言葉に表現できないが正しいと思う。そう、僕はまだお子様だったのだ。


「僕は…………」


 だが、僕の答えはすでに決まっていた。

 そのためにも答える。

 言いたいことを真っ直ぐ答える。

 それが今の僕に唯一できることで、言い方を変えるとそれしかできない。


「この旅を続けたい」

「君の身体はもう危ないんだよ。もう、いつ死ぬか分かんないんだよ?それでも続けたいの?」

「……もちろん続けたいよ。もう自分の身体が危ないのは分かってる。だからこそ、続けるんだよ。ここまできて、ゴールを見ないまま死ぬなんて嫌だし。それにここで行かなきゃ、死んでから後悔する気がする」


 そう言い切ると君は口を閉じた。

 僕にはそれが、なにかを考えているように見えた。だから、君が答えるまで僕は黙っているしかなかった。

 待っている時間は永遠のように感じ取れた。それくらい長くて、辛かった。早く喋ってくれ。その気持ちでいっぱいになった。

 そして君は答えた。


「分かった、じゃあ行こう。この旅のゴールに、終着点に」

「うん……ありがとう」

「お礼なんていいよ。……あ、けど一つだけ覚悟してなよ。ゴールあそこは、すっごい綺麗なんだよ」


 そう言った君は笑っていた。それはとても綺麗で、とても美しくて、とても可愛いかった。そんな笑顔は僕にはもったいないと思えるほとだ。

 けれど、君のそんな笑顔は嬉しかった。こんな僕にもこのように接してくれる人は初めてだったからだ。君は特別だった。

 この瞬間が、ずっと続けばいいと想った。

 この時間が、終わらなければいいと想った。

 昨日はあまり聞こえなかった蝉の声がする。こんなにも鳴いているのに、不思議と五月蝿くは感じない。逆に心地よく思えた。


「ほら行こう」

「うん」


 君の手に掴まって立ち上がる。立った勢いで少しよろけたが、君がしっかりと支えてくれた。

 いつもよりも距離が近くて、確かな感触がする。まだ生きていることを実感した。まだ死んでいないことに改めて気づいた。

 そして、胸の鼓動が速くなる。僕だけが五月蝿く思う。この騒がしさもどこか心地よかった。


「ゆっくり歩くからね」

「ありがとう」


 今、最後の旅が始まった。

 これは僕たちを締めくくるにはふさわしいかもしれない。生まれて初めて持った願い。それが叶うからだ。

 それは僕だけが想っていることだ。君は想っていないだろう。ただ最後くらいは、人生の最後くらいは、こんなわがままを許してほしい。

 脚を合わせて廃バスを出る。空には太陽が輝いていた。あの廃ビルに行った時のようだった。

 懐かしかった。たった三日前なのに大昔のように感じられた。それだけ充実していたのだ。

 なんとなく始まった旅。これは僕にとって、人生最後に神様がくれたプレゼントだ。


「大丈夫?もっとゆっくりにする?」

「ゆっくりに、しなくて……いいよ」

「分かった」


 歩くことは辛かった。君が支えてくれてるとはいえ一歩は遠かった。それでも歩き続けた。

 苦しい。

 辛い。

 動かない身体。

 感覚がない身体。

 身体がうざったい。

 願いが叶う。

 願いが終わる。

 人生が終わる。

 さよならをする。

 君と別れる。

 夏が終わる。

 旅が終わる。

 様々な感情が頭をよぎっていた。言葉にすると時間が足りないくらい、たくさんだった。だから途中で考えることは止めた。

 僕にとって、そうすることが一番の救いだった。人生の終わりは色々と考えるモノだと思っていたが違ったそうだ。

 瞬間、僕は躓いた。そしてそのまま体勢を崩した。すかさず君が支えてくれたから転ばなかった。しかし地面にはゆっくりと、倒れた。


「君、大丈夫!?」

「………うん」

「バレバレな嘘はつかないで!」


声がうまく出せなかった。けど、強がって言ったら君に少し怒られてしまった。思っていたよりも迫力があって怖かった。


「で、ほんとはどうなの。行けそう?」

「ううん、もう……歩けそうに…ないや。限界、だよ…」


 身体に力が入らなくなっていた。声を出すのも辛かった。もちろん脚なんて動きっこなかった。僕の脚なのに他人の脚のように感じた。


「なんとかならないの」


 君は泣きそうな顔をしていた。まるで自分のように悲しんでくれていた。

 正直に嬉しかった。今までこんなふうにしてくれる人がいなかったからだ。

 もう、こんな君の悲しんでいる顔を見たくなかった。だって、君は笑っているのがとても可愛いからだ。

 だから、


「あのさ…僕、もうゴールに……つかなくていいや…」


 こう言えた。


「えっ……」


 君は驚いたように声を出した。そして固まった。驚きが隠せていなかったのだ。それも仕方ない。僕が″ゴールにつかなくていい″と言ったからだ。

 ゴールにつかない。それは生きること止めたと同じことだ。つまり、ここで死ぬと言っているのと一緒だ。


「なんで!!もう、すぐそこまで来てるんだよ!ゴールはすぐそこなんだよ!立てないなら私が支える。脚が動かないなら私が背負う。だから…だから……そんなこと、言わないでよ…」


 最初は怒っていた君。けれど、その言葉が後ろに向かうにつれ弱々しくなった。そして言葉は、泣き声に変わった。


「…その気持ちだけで、充分。僕はそう思ってくれる、人がいるだけ……で救われる。ここまで、生きて…きた意味が、生まれる。ここまで、旅をしてて…良かったと思える……そして、君に…逢えて、良かったと思え…る」


 君の顔に手を当てる。すると涙が僕の手を伝って地面に落ちる。それもひと粒だけではなく、いくつも、数えきれない程だった。

 僕のために君は泣いてくれる。初めての体験だった。僕は一つも君のためにしていない。それなのに、泣いてくれた。不思議だと思ったが、もう一つ思ったことがあった。

 嬉しかった。しかし、そんな感情と一緒に罪悪感もあった。けれど、これは僕が決めたことだ。最後くらいは曲げたくなかった。だから、しっかりと言うことにした。


「…僕を…殺して……」


 そう言った瞬間、時間が止まったように音が聞こえなくなった。別の世界に僕と君だけ迷い込んだようだった。

 音はない。あるのは僕の手にある君の感触だけ。それだけでも安心していた。

 君は黙ったままだった。黙って僕のことをじっと見ていた。僕は目を逸らさない。君も目を逸らさない。お互いに逸らさないで数分後。僕は口を開けた。


「昨日も…言ったけど、病気で……死にたくないんだ。死ぬなら、自分か他人ひとに…殺されたいんだ。けど、僕はもう……力…入んないから」

「……………」

「これが……最初で最後の、君に…する…お願い。僕が、生まれて…初めて、抱いた…願い。君に、しか……頼めない、んだ」

「……………」

「そこに、入ってる……ナイフ、で殺して…」

「……………分かった」


 君はウエストポーチからナイフを取り出した。やっぱり入っていたようだった。とても小さなナイフ。それでも殺すには十分だった。

 君の手は震えていた。その震えから君の想いが感じ取れた気がした。君はナイフを手にしながら僕を見てきた。その目は綺麗だった。


「………………いくよ」

「うん」


 君がナイフを構えた。あとは僕に刺せば終わりだ。ただ君は刺そうとはしなかった。止まっていた。

 それは長い時間だった。永遠という言葉が、もっともふさわしい時だった。よくテレビで聞く永遠のように安っぽくなんてない。もっと重くて、もっと高かった。


「ねぇ……最後に、一つだけ…いい」


 そう言うと、固まっている君はやっとコクリと動いた。その反動で涙が僕の顔に落ちてくる。暖かかった。



「僕と、出逢って…くれて………ありがとう…」


 君の目から溢れんばかりの涙が出た。けれど君は無理して笑おうとする。そして頑張って笑顔になる。それは今まで見たなかで一番綺麗だった。絶対に二度と忘れなれない。そんな笑顔だった。


「どういたしまして」


 優しい言葉だった。

 この白明病になってからいろんな言葉を聞いてきた。どれも優しい言葉だった。けれど、君のはその中でも違っていた。

 生きていて良かった。

 旅をして良かった。

 君と出逢って良かった。

 そう想った。


「じゃあね……えっと…」

「莉子」

「え……?」

「私の名前」

「あぁ…うん。ありがとう、莉子。……じゃあ、ね」

「うん、じゃあね」


 胸に衝撃を感じる。そして暖かい″なにか″が溢れる感触があった。薄れゆく視界には赤い液体が見えた。身体から力が抜けていく。感覚が無くなり眠くなる。

 これで僕の短い十七歳の人生は終わるのだ。人と関わることができずに、人に避けられてきた人生が終わる。

 けれど、莉子は違っていた。僕が白明病だと知ってもちゃんと接してくれた。僕も最後だけは幸せだったな。あの時、廃ビルで死ななくて良かったかな。生きてて良かったかな。

 莉子。

 ありがとう。

 僕はこの手でしっかりと掴んだんだ。

 この未来を。

 自分自身で。

 しっかりと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る