17話 線香花火と見上げた夜空─莉子

 空が少しずつ茜色に染まっていく。もちろん、プカプカと空を漂っている雲も染まる。ただ、昨日のような雨や紫色の空はなく、普通の夕焼け空だった。

 今まで、数えきれないほど見てきた夕焼け空と一緒だった。それには特別なことは、なに一つない。しかし特別ではない夕焼け空はとても綺麗で、どこか心が落ち着くようだ。

 ずっと見ていても飽きない。むしろずっと見ていたい。莉子はそう思っていた。

 ここは静かな空間。会話はなく、蝉や風の音がしない。まるで、音を無くしてしまった世界のようだった。

 少し寂しいと思う人もいるだろう。けれど、これはこれで心地が良かった。この感情は体験してみれば、きっと分かることだろう。

 数分後。歩いていると急に様々な音がどこかから聞こえてきた。静かな空間は一瞬にして騒がしい空間となった。


「ねぇ、なんか聞こえる……よね?」


 莉子がそう聞くと、彼は耳に手を当てながらも頷いた。


「確かに聞こえるね。なんか気になるし、ちょっと行ってみる?」

「うん」


 音がする方面に近づいていく。音は徐々に大きくなり、音は確かに耳へと残ってゆく。

 それは人の騒ぎ声。

 それはなにかが鳴り響く音。

 それは誰か知らない人の歌声。


「あ」

「大きいね」


 やがて見えたのは、紅くて大きな鳥居。まるで世界を分離しているように思えた。ここは神社だった。

 普段はきっと人がいないはずの時間帯。それなのに人はたくさんいた。何故なのか。その答えすぐに分かった。


「ほら急げよ!今年最後の祭りだ!!早くしないと綿飴とか無くなっちまうぞ」

「だからって走らなくてもいいじゃん。ちょっと待ってよお兄ちゃんっ!」


 すぐ近くを走り去った兄妹。聞こえた会話から推測すると、どうやら今年最後の祭りのようだった。莉子はこれほどにも人がいることが理解できた。

 莉子はここに入ってみたいと思った。

 莉子はここに入るのが少し怖かった。

 莉子が生きている世界とは大違いの世界。自分が入っても大丈夫なのか。そう考えると怖かった。恐ろしかった。


「この音って祭りだったんだ」

「そうだね。…なんかここだけ明るいよ。私とは別世界みたいだよ。こんな明るい世界知らないよ、私」

「行ってみたいの?」


 彼の言葉に頷く。

 彼ならきっと″じゃあ行こうよ″と言ってくれる。その言葉を待っているかもしれない。けれど、逆に待っていない莉子もいるかもしれない。

 だから彼がなにかを喋る前に莉子は告げた。


「けどいいや。なんか場違い感があるし、私には明るすぎて眩しいよ。それにお金も無いしね」


 少し強がって笑う。

 うまく笑えてるかは分からない。今までしてきた笑顔で一番自信がなかった。もしかしたら彼は気づくかもしれない。気づかないことを祈るしかなかった。


「どうしたんだ?そこの少年少女よ。引き返したりして、祭りはまだ、始まったばかりだぞ」


 すると彼ではない声が聞こえた。それは後ろから聞こえた。ガラガラ声だけど、優しい声だった。

 振り返る。そこには空き缶を持っている老人がいた。その服装はボロボロで、髪や髭は伸びきっていた。そしてかぶっている帽子はところどころ破れていて、色褪せていた。


「もしかしてあれかあれ。神社祭りに入るのが怖いのか。絶対そうだろ。

 うむ、確かにあそこは明るすぎる。俺だって普段こんな暮らしをしてるから分かる。普通に生きてない奴から見てみれば明るいってな。

 だけど、思い切って一回入ってみろ。案外怖くないぞ。むしろ楽しいぞ。人生全てチャレンジだ」


 老人は一人で喋っていた。莉子たちには喋る機会は与えようしていなかった。まるで口に蓋をされたようだった。

 一瞬莉子は驚いた。

 初対面の人にここまで話すこともあるがそこではない。この老人が莉子たちの立場を知っているかのように話していたからだ。なんだか不思議な感覚だった。


「黙ったりしてどうしたんだ?もしかして、知らないおじさんとは話すなって親にでも言われたか。いや、確かにそれは正しい。けどな、喋らないとなにも分からないもんだ。………訳ありだろ」


 最後の言葉に頷く。首を縦にして頷いた。彼も同じようにしていた。言葉にはしないが、これでも伝わると思った。

 すると老人ニカッと笑った。そしてポケットに手を入れて、なにかを取り出した。


「だったらこれ持っていけ」


 千円札だった。たかが千円、そう思う人もいるだろう。しかし、この老人にとっては、とても貴重な千円だ。そして、莉子たちにとっては、とても大切な千円だ。


「いいんですか?」

「別にいいさ。こんな老いぼれが持ってても意味はない。いいか、金はな使ってもらうために生まれてきたんだ。俺が持ってても使わない。だから持て」


 そして微笑んだ。

 その手から莉子が受け取った。触れた手はとても力強くて、けれど傷だらけだった。この老人がどんな生活をしてきたのか分かる気がした。


「「ありがとうございます」」

「祭り楽しめよ!」


 短く言うと老人は歩き出した。

 そんな後ろ姿を莉子たちはずっと見ていた。もう曲がっている老人の背中は小さい。けれど、莉子たちにとっては大きく見えていたのであった。


「行っちゃったね」


 そんな背中が見えなくなると彼は口を開いた。


「とてもいい人だったね」

「……あのさ、せっかくお金貰ったし祭り行ってみようよ」


 彼はやはり″行こう″と言った。それは莉子が思っていた通りだった。優しい彼だからこそ、そう言ったのだ。

 正直まだ怖い。恐ろしい。しかし老人はチャレンジと言った。その言葉はとても大きかった。


「うん、行く」


 だから莉子はそう言えたのだ。老人の言葉を聞けていなかったら、行く気なんて少しも起こらなかった。

 聞けたら決意ができたのだ。

 他人ひとから見たら小さな決意。けれど、莉子から見たら大きな決意だった。

 二人して鳥居をくぐる。目の前に広がったのは明るい世界だった。今まで見てきた世界とは全く違った。

 提灯がたくさん吊るしてあり、その灯りで夜なのに二人の下には影ができていた。まるで、昼間のようだった。

 そしてたくさんの人もいた。耳をすますとその人達の話し声が聞こえた。

 それらはただ眩しくて、莉子や彼とは正反対だった。まるで違う世界に彷徨いこんだようだった。

 やはり怖かった。

 けれど、彼は黙って手を握ってくれた。莉子よりも大きかった。それが安心感を出す要因となった。

 だから進んでいった。


「どれから行く?」

「そう言われても、私初めてだからなにがあるか分からない」

「え!初めてなの?」

「うん、ほら祭りって夜にやるでしょ。小さい頃は夜に出かけちゃいけなかったの」

「じゃあ、最初僕のオススメに行こうか」


 二人で人混みをかき分けて進んでいった。その先には大きく″ラムネ″と書いてある屋台があった。


「ラムネってなに?」

「夏祭りでしか飲めない炭酸だよ。ちょっと二人分買ってくるから待ってて」

「分かった、待ってる」


 数分後、二つの容器を持って彼は戻ってきた。ペットボトルとは違って不思議な形で、ラベルには大きくラムネと書いてあった。受け取るとキンキンに冷えていて、夏には気持ちよかった。


「これがラムネ…」

「そんなまじまじと見たりして。飲み方とかも知らないでしょ?」

「うん」

「ほらこうやるんだよ」


 彼はピンク色を蓋を取ってビー玉の上に置いた。次の瞬間、プシュと音をたててビー玉が下に落ちた。少し中身が溢れて彼の手は濡れていた。


「おお」

「ほら君もやってみ」

「うん」


 ビー玉はカランと音をたてた。

 下でコロコロと動いていた。

 プシュと音がする。

 中身が溢れそうになった。

 彼に言われたとおりにやった。全て初めてのことだった。

 飲みながら移動する。

 初めて飲んだラムネは美味しかった。口の中にある程よい刺激がやみつきになりそうだった。

 傾けすぎるとビー玉が飲み口を防ぎ飲めなくなる。うまくビー玉を引っ掛けるようにする。なんだか楽しかった。

 その後二人は綿飴や射的をした。そして最後に莉子は「最後はあそこ!」と言い指をさした。

 それはくじ引きだった。彼は少し驚いた表情をした。莉子にはその理由が分からなかった。


「あれって、……当たんないように出来てるんだよ」


 その言葉を聞いて、彼が少し驚いた表情をした理由が分かった。


「やってみないと分かんないでしょ」


 けれど、莉子はそう言ってくじ引きに行った。本当に当たらないようになっているのか確かめたかったからだ。彼の忠告よりも、好奇心が上回っていた。


「おじさん一回やらせて」

「あいよ。好きなの一つ引きな」


 目の前に出されたのは大きな箱。大きなダンボールのようだった。そんな中に手を突っ込んだ。

 紙を掴んでは離す。掴んでは離す。しばらくそれを繰り返していた。そして一枚を選び引き抜いた。

 ついてきた彼が見守るなか莉子は紙を広げる。そこには大きく数字で″3″と書いてあった。


「お嬢ちゃん運いいな。おみごと三等だ。これ持っていけ……やる時はちゃんと水用意するんだからな」


 くじ引きが終わり二人は川辺にいた。

 神社祭りの騒がしさは無くてとても静かだった。ただ、莉子はこれがとても落ち着いて心が安心していた。


「ここなら誰もいないし、水も近くにあるし、線香花火これやっちゃおう」

「うん。けどさ、なんで線香花火だけなんだろうね。君が謎の運を発揮して三等なんだから、もっと豪華でもいいと思うのに」

「きっと私たちは知らない大人の事情でもあったんだよ」

「そうなのかな?」

「そうゆうことにするの。ほら君の分だよ」


 くじ引きで当たった三等は花火だった。よくスーパーなどで売っているセットが貰えると思っていたら、おじさんが持ってきたのは線香花火だけだった。けれど、ライターが一緒にあったのがせめてもの救いだった。


「火つけるよ」

「うん」


 莉子が火をつけると二つの線香花火は輝き出した。

 先っぽが紅く、丸くなり、そこから元気よく光が飛び出していく。しかし、光は一瞬にして暗闇に呑まれて見えなくなる。飛び出した時の元気は、いったいどこに行ったのだろうか。

 時間とともに光が減っていく。ついさっきまでの美しさは跡形も無かった。

 それはまるで人の一生のようだった。生まれた時は元気よく、そして輝いて美しい。しかし死ぬ時は元気がなく、そして暗くて儚い。

 莉子ぐらいの歳の人はまだ輝いている。しかし、莉子は暗かった。もう死ぬ時のように暗かったのだ。それはずっと今までも。そして、これから旅が終わる死ぬまでも。

 隣にいる彼はどうなっているのか。莉子と一緒で暗くなっているのだろうか。それとも、まだ少しでも輝いているのだろうか。

 彼にはまだ輝いていてほしかった。これは単なる莉子の願望にしかすぎなかった。

 やがて先っぽが落ちて、線香花火は終わった。

 次の瞬間、空から大きな音がした。見上げてみると大きな打ち上げ花火が夜空に咲いていた。

 それは七色で、まるで昨日見た虹のようだった。線香花火にはない美しさもあった。


「見てみ綺麗だよ。昨日の虹みたい」


 その言葉にはいつもの返事が無かった。莉子は不思議に思う。いつもなにかを言うと返事してくれていた彼が返事をしなかったからだ。


「ねぇ、君どうしたの?」


 そう口を開けると同時に隣を見る。

 そこには倒れている彼がいた。

 彼の線香花火はとっくに暗くなっていたのであった。

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