最終章「はじまりの先へ」(鐘山編)

 樹治三十五年

 禁軍を再編した佐古直成は離反した赤池頼束を討伐するべく、出陣。彼の立て籠もる佐古家旧領へと向かう。

 増援に現れた宗流、宗善を蹴散らし、かつての同僚を自刃に追い込む。

 だがその後治安維持と仕置きを名目に軍を返さず、そのまま旧領へと居座り、勅をねだり府公を名乗る。

 佐朝さちょう府と新たに名付けられたその府国は、『朝廷を佐する』と言うのが名の由来ではあったが、それが完全に朝廷と袂を分かつ独立であることは誰の目にも明らかであった。


 樹治三十八年

 朝廷に未だ補償を支払わぬことを名目に、そして自分たちも同様にしていることを棚にあげ、東部を接収した風祭府は次なる矛先を桃李府へと向ける。

 桜尾典種は自らこれを迎え撃つも、かつて恩義を受けた者へ刃を向けることをためらい、離反者、不参戦者が相次ぎ大敗。

 以後典種は体調を崩すことが多くなったという。

 しかしこの年、風祭府公もまた、流行病にて死去する。

 一説には、摂政である弟に暗殺されたと噂される。


 樹治四十年

 国人衆に乞われる形で、鐘山宗円は桃李府へと侵攻する。

 だが、羽黒圭道、器所実氏らに阻まれて撤退を余儀なくされる。

 病がちの主君に代わり、よくその大将を勤め上げた実氏は、次第に家中でも台頭していくようになる。

 本拠に戻った宗円は自らの衰えを実感し、自らは隠居。家督を宗流へと譲ることを宣言した。


 樹治四十八年

 大規模な桃李府への侵攻作戦を行った風祭康徒は嫡子武徒、甥の親永を副将に破竹の勢いで進撃。

 あと一歩で桃李府の本拠蓮花はすばな城へ迫ろうというところで、敵総大将、器所実氏の奇襲に遭う。

 油断していた藤丘朝きっての名将は、味方と分断され孤立。

 馬縄まなわ峠なる場所で野心と共に散った。

 『天下五弓』の一張が消え、一張が生まれた瞬間であった。


 ……そして、もう一張の弓が、消えようとしていた。


○○○


 そして、樹治四十九年の、冬がやってきた。

「じじさま、ご健勝。安心しましてございまする」

「おぉ、おぉ……環丸かんまるは良い子よな」


 自らの隠居先である介勝山のふもと。

 その邸宅に五つになる孫と、連れてきた幡豆由有を招き入れた。


「銀夜は、どうしておる?」

「はぁ……姫様は行くのをいやがりまして」

「ハッハ。父君の視線が恐ろしいか。あれはわしが娘に近づくのを好まんからな」


 そう笑い声を立てるも、どことなく寂しく聞こえてしまう。

 自分は、ここまで弱い人間であったのか。足腰以上に精神の骨格さえ衰えていることに、軽く衝撃を受けた。


 環丸の黒い瞳に映る老人は、すでに髷すら結えぬほどに白髪は抜け落ち、目はくぼんでいた。

 腰ももはや伸ばすこともできないし、馬にも乗れぬ。

 武将としての生命は十年前の桃李府侵攻で使い果たしてしまった気がする。


 ――いや、それとも国人どもの要請をはねのけられなかった時点で、か……


「して、宗流は」

 孫をヒザの上であやしながら由有に問うた。

 鐘山家現当主の腹心は、固く口を噤んで目をそらした。

 察せよ、ということらしい。


「……そうか。かんばしくない、か」


 俗世を離れた父への便りではそんな気配を微塵も見せず、ひたすらに強気な姿勢を見せてたのに、今はそれさえ絶えている。自らの下へ出向けば、一目で見抜かれる。それを恐れて、由有などをよこすのだろう。


 皮肉にも、我が子はもっとも嫌う帝と同じ道を、歩もうとしているように思えた。


「また明日、若君をお迎えに上がります。それまではどうぞ、お気兼ねなくお過ごしください」


 そう言い残して神官は去っていく。

 残されたのは、祖父と孫、屋外にて働く下男を除けば、二人きりである。


 じっと不思議そうに見上げてくる孫の髪を撫でつけながら、己の人生を振り返る。


「……ずいぶん、長引いてしもうたなぁ」


 振り返れば、どうしても避けては通れぬ悔恨の念。

 かつての上社信守が聞けば嘲笑することは疑いのない、秘めたる愚痴。


「のう、坊よ。聞いとくれ。わしは、朝廷を討ち滅ぼす気など、もともとなかった。天下を取れたとして、治めるだけの器量がないことは、わしが一番良く知っておった。そして今では、周知の事実よ」


 冬の澄んだ空を見上げる。

 天に満ちる星々を統べるかのように、黄金色の満月がのぼっている。


 そう、例えるならば己の描いた世界のありようとは、あれこそが理想であった。


「……わしは、順門一国の自治を認めていただければそれで良かったのじゃ。朝廷という目映い白日から逃げた先の受け皿。彼らの朝廷の、帝に対する怒り、不平不満を癒し、生産に昇華させるための、月の都。それこそが、順門府のあるべき姿だと、考えておった」


 だが、夢は破れた。

 上社信守に『順門崩れ』で打ち破られたからではない。


「要するに、結局わしには人を受け入れる仕組みを作ることはできても、人の情を解し、欲をくみ取り、かつ受け流すだけの力さえ備わってはおらなかったのだ」


 孫をかき抱く。

 すまぬ、すまぬ……という呟きが、自然と、そして繰り返し、口から漏れていた。


「そなたらには、辛い道を歩ませる、苦しい時代を生きさせることとなってしまった」


 あるいは宗流の進言どおり、一度王都を占拠してしまうべきだったのかもしれない。

 あるいは宗善の忠告どおり、己や一部の民を犠牲にしてでも平穏を得るべきであったのかもしれない。



 伊奴が殺された際、野心が芽生えなかったと言えば、嘘になる。

 順門を、天下の形を、自らの思い描いている形を作る、よい機会ではないのか、と。


 だから宗円には、いずれも選ぶことができなかった。

 それらを選んでしまえば、思い描く理想郷を自らの手で打ち砕くことになってしまう。

 ただその業を、捨てきることも、諦めることもできなかった。


 いつぞやの上社信守の言葉が、今になって思い出される。


 ――業を背負ってこその人。そして人を背負って立つということは、その業を背負うということ。



「……業を、背負いきれなんだのは、結局わしの方か……」



 翌年の春、

 三代目順門府公、鐘山宗円、逝去。

 その孫は、葬儀の夜、黒衣の尼僧と出会ったと言う。



○○○


 樹治六十年、笹ヶ岳砦。

 以前は信守によって一帯を焼け野原にされたその場も、三十年と時が経てば、山の恵みが戻ってきていた。

 父宗流謀殺した宗善の追っ手から逃れるため、少年の一党はここに潜伏していた。


「……で」


 陣幕の内、鐘山宗流の嫡子、たまき……旧名環丸は、この乱世のはじまり、『順門崩れ』と言われた大惨事を当事者から聞き終えた。

 まず出たのが、嘆息だった。


 一つは、ありとあらゆる男達の意志が交錯した、その果ての無常さ。

 もう一つは、その当事者が今なお当時と変わらぬ姿でピンピンしているという、呆れ。


「なんでお前は和睦の仲介なんて買って出たんだ? むしろ、煽るほうがお前らしいだろ」


 なんともつれないことではあるが、この勝川舞鶴を前にしては『哀れ』と思えることのほうが貴重である。


「あぁ、それはですね。竹雀画です」

「ちくじゃく……なんだって?」

「だから、直筆の墨絵を康徒殿より頂いたのですよ。それがもう本当に美しく雄大で……本当に心に沿った美とは、いくら積んでも手に入らないものでしてねぇ。今その筆者は故人ですので、なおさら」

「……で、今だと値にすると、いくらよ?」

「小城ひとつ建つんじゃないでしょうか?」

「…………もうそれ売って兵集めたら良いんじゃないかな」

「残念ながら介勝山に置き忘れてしまいましてねぇ」


 もったいないことしましたー、としみじみ頷く不老の尼僧に、環は開いた口が塞がらなかった。


「……歴史的事件が、一個人の物欲によって終息したなんてな……」

 様々な憶測を唱える史家が聞けば、頭を抱えて悶絶するに違いない。

 あら? と不本意そうに黒衣の尼僧は口を尖らせる。


「世の中、えてしてそういうものですよ。むろん、方々が終わらせようという意志を持ってこそ成せた和睦でしたけど」

「終わらせようという意志、か……結局のところ、どちらが勝者として終わったんだろう……」

「表向きは鐘山家の降伏と再度の恭順ということですが、実際のところは鐘山方でしょう。起請文にも盤龍神の印が用いられた時点で、総大将のいない藤丘家は敗北を認めたようなものです」


 環は頷き「だけど」と天を仰ぐ。

 祖父が真の勝利を得られなかったことは、幼い頃に聞かされたような気がする。

 宗円が吐露した内容は半分さえも覚えていないが、悲しげな表情と繰り返された詫びの言葉が忘れられない。


 それからすぐに亡くなってしまった祖父。

 だが、彼が生きていること自体が戒めであったかのように、その後父宗流が暴走を始める。


 幾たびにも渡る戦略性もない外征、そして失敗、その傷を縫うように民への搾取は強まり、鐘山家は順門の民に不興を買った。


 ――叔父でなければ、俺が殺していたかもしれない……


 できるかどうかはどもかく、そんな予感がある。

 結果としてその嫡子である環にも追っ手が差し向けられたが、命が狙われても叔父を憎みきれない所以だった。


 ――これは、業だな。

 彼らの所業そのものではない。それらは彼らが背負うものだ。


 祖父の遺言を、その哀しさをなんとかせねばならないと考えるのが、おのれの業。

 父の暴走を、止められなかったという悔いが、おのれの業。

 叔父を憎まずとも、叔父と敵対する道を進んでいるのも、おのれの業。


 報いる術は未だ分からないが、すべて背負って、生きていかなくてはならない。


「辛いですか、殿」


 若者の煩悶を見抜くように、軍師は腰を屈めて両目を覗き込んできた。

「いや」と傍らに置かれたおのれの帽子を目深にかぶさりゆっくりと腰を上げる。

 入り口に手をかけ、振り向き、ニッカと悪ガキの如くにはにかんで微笑する。


「俺は辛抱弱いからな。重いと感じたら、すぐに下ろして休むさ。こうしてお前らと話でもして」


 少女のごときいきものは、しばし目を瞬かせた。

 やがて薄く目を細め、深々と臣下の礼をとった。


「じゃ、そろそろ行くかっ!」


 今の鐘山環に、確たる道など示されていない。

 それでも、いやゆえにこそそう叫びたくもなり、陣幕より外、目の前の世界はただ広い。


 焼かれても踏みにじられてもなお咲く草花に比べれば、人の業も重みも、些末なことのようにさえ感じられる。


 環は強く笑み、風吹く山へと身を躍らせた。

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樹治名将言行録 ~上社信守伝 乱の始まり~ 瀬戸内弁慶 @BK_Seto

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