最終章「はじまりの先へ」(朝廷編)

 ――何故、こうなったのか。

 廃屋の集合体と化したかつての笹ヶ岳砦で、宗善は何度そう問うたか知れなかった。


 山の神々に、この場にはおらぬ父に、そして己に。

 だが何度問うても、答えはいつも同じ地点、同じ答えに終始した。


 ――父は、心を鬼とし民を斬るべきであった。良い顔をしたいがために、このようなこととなってしまった。

 父は、民の情を抑え、秩序を保つべきであった。朝廷に敬意を払うべきであった。

 たとえその結果、父が都で叩き殺されようと、それで民が守れるのであれば。

 ……そうした判断を下すために、君主というものがあるのではないか。


 結果として敵味方多くの者が死に、神仏が下さりしこの順門の緑さえも焼き尽くされ、父の作戦のために餓えた敵兵に、大小の村々も少なからず襲われたと聞く。


 村人の抵抗と、鐘山勢の落ち武者狩りにより、被害だけは未然に防ぐことができた。その狩りにいそしんでいた時は、それら狼藉者に憎悪が向いていた。

 だが憎む対象が失われてからは、それが父や無思慮な兄に向けられることが多くなっていった。


「若、逃亡していた敵将、捕らえて参りました!」


 近臣の亀山かめやまがそう告げる。

 振り返った先に、両手を縛られた地田綱房がいた。

 火に紛れて逃亡した彼は、頬にススを貼り付けたまま、痩せた肉体に縄が食い込んでいる。

 亀山に足裏で背を押され、ヒザを突かされる。


「この者、信守とやらと謀り我らを火中へ放り込んだに相違ありませぬ! 例え和が成ろうと、いや和が成る前にこそ我らの手にて処断べきと存ずるが!?」


 宗善はそれに対して頷き、腰を下ろして虜将と目線を合わせた。

「地田。それはまことか?」

 その両目は虚ろであり、あらぬ方向を向いている。口は半開きであり、ススと血の混じった涎の後が、口の端から黒々と縦一文字を引いていた。


「……今さら何を言ったところで弁明にもなるまい。疾く首を刎ねられよ」


 さほど答えは期待していなかったが、綱房の受け答えは意外としっかりとした者であった。

 よくぞ申した、と刀を抜く近臣を手で制し、その刀を奪い取る。

 そして自ら綱房の戒めを断ち、手を取って立ち上がらせる。


「……敵地にあってもなお、主家のためにできることがあろう……」


 宗善がそう囁いた瞬間、禁軍第六軍の大将の目に、活力の光が蘇った。


「貴殿の生死を決めるのは、勝者である我らの権限! 今後は鐘山家にて貴殿の身柄はお預かりする!」


 公的にはそう宣言すると、宗善は笹ヶ岳を下りた。


 ――そうだ。このような地においても、朝廷のために、秩序を取り戻す手段は、きっとあるはず。


 そしてそれは、再び世を乱してしまった鐘山家の者が行わなければならない。


 ――そのためなら私は、父を、兄を……っ


○○○


 御槍城下、鐘山家の菩提寺である方略寺ほうりゃくじにて行われた会談は、ゆうに三日は要した。


 まずは鐘山の舞鶴、禁軍の瑞石、桜尾家ほか諸侯の実氏による、各取次役による予備外交が行われ、諸々の誤解と衝突を除いてのち、それらの主による三者会談が行われる。


 当初互いに兵を退く点においては両陣営ともに異はなかったが、その条件が問題となった。


 討伐軍の撤収時、彼らの無事と十分な食糧の保障を求めた桜尾典種に対し、鐘山宗円は首を振ったのである。


「それはそちらの都合。大軍相手に兵糧攻めを行うは、弓取りとして常套の手段である。同情はするが、我らに余裕はないし、責任もない」

「しかし、もはや我らには退却する余裕などないのでね。飢えた軍というものはいかに鍛えていようと統制を欠くもの。ゆえに赤心より申し上げている。それを呑んでいただかなければ、互いにとって良からぬことが起こりましょう」


 平然と言い放つ典種を前に、宗円はわずかに眉をひそめただけだった。


 すなわち、兵糧を出さなければご当地での略奪やむなし、と暗に告げているのである。

 そしてそこまで露骨な態度に出られても、なおそれを跳ね除ける軍事的余裕がないことを、典種らは見抜いていたのであった。


 そのこと自体に忌々しさは覚えるも、予測し、覚悟さえしていればそれほど腹は立たぬ。

 だが、己の戦力分析に確証があるわけでもなかろう。

 その推測が、宗円を無言にさせた理由であった。

 あくまで弱みは見せず、最良の条件を引き出すために。


 ところが、両者の予想でぬ人物から、助け舟が出されたのである。


「ではそのための資金、提供しましょう」

 発言者は、その場では中立的立場をとっていた勝川舞鶴。

 視界に入らぬほどの黄金を、三箱に分けて持ってきたのも舞鶴の息がかかったこの寺の住職である。


 だがその譲渡を証明する書状の末尾、そこに書かれていた名は、花押は、


 ――風祭府公弟、風祭康徒。


 となっていた。

 そしてそうするのが当たり前の如く、まばゆいばかりの黄金を渡すにあたり、双方に対する和睦の条件、それを呑むようにとの旨が添えられていた。


 それは遠方にあってなお、両者の苦境を見抜くが如き、合理的な内容であり、別段実利として風祭が得をするわけではない。双方拒む理由がなかった。


 だが、宗円は、かの東方の俊英が無償の仁愛でそれを託したわけではないと知っていた。


 帝が乱した和を風祭が取り持つことで、今やいずれの力量が上かを天下を知らしめるという示威行為。


 全軍の腹を満たすにしても、なお余りある金は、結果として桜尾家の懐に入る。


 援軍を出していただいた謝礼、ということであったが、消耗した桜尾家に大金を与えることで貸しを作り、優位に立とうとしていることは明白。


 と同時にそれは、後日鐘山軍の反撃が行われた際の兵備を整えさせる軍資金であるのだろう。


 そしてあえてそれを鐘山家当主の目前にて見せびらかすことで鐘山、桜尾両家の警戒心を煽っている。


 ――やはり真に恐るべきは、戦に及ぶ前に危機を察した者たち。中でも恐懼すべきは、勅命を拒んででも、戦を避けた者であろう。


 宗円はそれ以上は抗わず、頭を垂れるのみであった。


○○○


 ――やれやれ、ようやく終わったか。


 信守は寺の外壁より身をはがし、首を回した。

 半ば実氏に押し付けられる形で護衛を買って出たは良いが、退屈きわまる。


 未だ戦時中、よく言って戦が終わった直後というのに、御槍の城下は常と変わらぬ生活が営まれている。


 女は略奪を恐れて家に隠れるどころか、率先して男どもに代わって働きを見せ、しかも物流が滞っている様子もない。

 これは前々から、帝の威光に頼らぬ国づくりをしてきたという証左に他ならない。


 どうやら俺も、まだまだ見通しが甘かったようだ。もっと徹底するべきであった。


 舌打ちしてその場から離れようとした時であった。


「由有、待て」


 老人の声で、信守は足を止めた。

 己が呼ばれたわけではなかったが、寺から出てきた老人の視線が、己に注がれていたからだった。


 気弱げな副使を待機させて、こちらへと歩み寄る老将に信守は頭を下げた。

 誰と紹介されるまでもない。

 飄々としながらも芯の強さを秘めた気風。まぎれもなく敵の首魁、鐘山宗円のものであった。


「其の方、名は?」

「信守」

「姓は?」

「上社、信守にございます」


 やはり、と言いたげに順門府公は頷いた。


「では其の方が、鹿信卿の兵権を継ぎ、笹ヶ岳を守っておったのか」

「いかにも」

「若いな」


 出し抜けにそう言われて若干信守は戸惑った。

 それを言えば北部にて戦った宗善も、南部にて官軍を打ち破った宗流も、己と同じぐらいの年頃ではないか。

 それとも老人の言葉は「青いな」という嘲笑と同義であるのか。


「若いというのに、業の深いことよ。……ずいぶんと、好き放題してくれたものだ」


 自分の三倍以上歳を積んだ名将の怒りは寒波にも似ていた。

 恐怖を自覚するよりも先に、肌が粟立つ。


 だが信守は笑う。嗤わずには、いられぬ。

 ――老人め。今さら愚痴をこぼしたところでもはや覆らぬわ。

 と。


「……業を背負ってこその人。そして人を背負って立つということは、その業を背負うということ」

「其の方ならばその荷に耐えるか? 信守、卿」

「さて……耐えるも何も、苦とさえ思ったことがありませぬ」

「では、貴殿は天下に何を為さんとす? 苦とせぬその荷をなんとする?」

 信守は一笑に付した。

 歩き出し、振り返らず、ただ我が道を進む。


「何も望まず。ただ玩弄するのみ」



 方略寺の会談は、たゆたう歴史の中で見れば、小石の如き一瞬の出来事であったのかもしれない。

 だが、


 鐘山宗円

 勝川舞鶴

 器所実氏

 風祭康徒

 そして上社信守


 後に『天下五弓』と称されし彼らが唯一顔を合わせ、文言を交わした瞬間であった。

 そしてこの談義を契機こそが、真の乱世を告げるものであったのかもしれない。


○○○


 その後、名津を経て討伐軍は帰還の、いや敗走の途についた。

 桜尾軍、およびその近隣の諸侯は都へ向かう余力もなく、そのまま帰国。


 各軍の敗残兵をとりまとめた禁軍は、もはや第四、五軍しか兵力として機能していない有様である。


 だがそれを凱旋と捉える者も出迎える者もなく、

「帝は今回の貴殿らの暴走にいたく不機嫌であらせられる。おって沙汰を伝えるゆえ、それまで謹慎をしているように」

 唯一星井文双がわずかな供回りを連れて冷淡に告げたのみであった。


 ――さぞ謀略家気取りであろうが、まるで事情が分からぬのか。この男。


 信守は本当に咎人であるかのように、粛々と頭を下げた。

 しかし恭順を示しながらも帝を嘲り、文双を嗤い、そしてそんな両者にゆえなく頭を下げる、自らの道化ぶりにさえおかしみを覚えた。


 しかし帝に代わりて政を司ることとなった謀略家気取り、彼の次なる一手が、信守のさらなる大笑いを招いた。


 すなわち今回の討伐の損失の負担と補填、それを桜尾、風祭両家に要請したのである。

 文双にしてみればこの策は、そういった正当性によって、両家を衰えさせ、朝廷を富ませ、そうして国力差を修正できる名手と思えたのだろう。


 ――だが、馬鹿正直にはいそうですかと頷くわけがなかろう。頷かせるだけの力が、今我らにあるわけがなかろう。


 信守の読み通り、風祭家はのらりくらりと遁辞をかまし、桜尾典種はその理不尽な要求に対し激怒し、勅使の前で座を蹴ったという。

 だがそれら無礼を咎める余力さえなく、むしろ文双以外の朝臣たちは青ざめ、へりくだってその親交の修復に努めなくてはならなかった。


○○○


「ははっ、ようやく面白くなってきた」


 秋である。

 信守は減封された上社領において謹慎し、畳の上で楽隠居と決め込んでいた。


「旦那様ぁ、また、朝廷の方が出仕せよと」

「父の喪に服すゆえ出られぬとお伝えせよ」


 下男を通じて拒絶を示すも、腕を枕に庭の樹など目で愛でる有様は、我ながらとても喪中の者とは思えない。

 知らず肩が震えるのを隠さず、散りゆく葉を眺める。


 ――馬鹿共の乱痴気騒ぎを、ここで傍観するのも、また良しか。


 ひとまず軍務は貴船我聞を抜擢して担当させている。

 兵も土地も減らされたが、あの副将であれば大過なく勤め上げる。あの地獄の帰還兵たちの練度を当時のままに維持することもかなうというもの。


 謹慎中にて、あるいは喪中にて。

 長く続く屋敷暮らしだが、かつて自由に王都を往来できた頃よりも、はるかに世が広く感じる。


 ――が、今なら分かる。広きこととは、寂しきこと。父のおらぬ間を決して埋めることができぬゆえよ。


 絶体絶命の死地から脱した己を、ひそかに英雄視し、あるいは危険視する一派があることを、信守も自覚している。

 帝や文双の目を盗んで縁談を持ってくる者は後を絶たない。喪中を断り文句としていても、実際にそれゆえに結婚しないわけではなく、笑みを繕う将来の縁者共を眺めていると、むしょうに腹が立ったからである。

 どこかにそういう縁故と無関係の、自分に似合いのどうしようもなく孤独な女などいないだろうか、とさえ切に望む。


「旦那様ぁ」


 間延びした老僕の呼び声に、信守は寝返りを打って向き直った。


「こちらのご婦人が、旦那様に目通りを願いたいと」

「またか……」

 しかも今度は女に直に足を運ばせるとは、念の入ったことだ。


 そう皮肉を言おうと起き上がった信守は、そのまま口を半開きにして菅笠に桃の小袖姿の女の胸元を熟視した。

 女体に欲情したわけではない。むしろ彼女の痩身は貧相である。

 信守の目に留まったのは、帯に差し挟まれた懐刀である。


 婦人の守り刀としては不相応な、重厚な作りの脇差し。


 見覚えがあって当然であった。

 ついで彼の目は女の浅黒い肌に移り、ついでちらりと覗く白い歯へと動いてゆく。


 そして信守はその女の正体と、その笑みの意図を悟った。

 フンと鼻を鳴らし、けれど本心よりの笑みを口の両端へと広げ、いつぞやと同じく、かの少女に背を預ける。


「その様子ではさほど苦労はしなかったようだな。まぁ良い。せいぜい土産話ぐらいは聞かせろ」


 少女は素直に頷き、下男に案内されて上社邸に入っていく。



 ……その一年後、一人の少女が貴船我聞の養女となり、そのまま上社領内にて暮らすことになった。

 彼女は上社信守と婚を結び、一男をもうけたという。

 だがその一男が成人するまでの間もなお、激動の乱世は続いていた。

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