第39話 私が出した結論
「どうする?」
亮ちゃんは幾分緊張した面持ちで私に聞いた。
「僕としては、あいつも目を覚ましたことだし、予定通り式はあげたいと思っているけれど」
「うん……」
心に引っ掛かりを残したまま、うなずくと、亮ちゃんは小さくため息をついた。
「相変わらず、君は本心を言ってくれないんだね」
「え……」
「そんな顔で頷いて、僕が喜ぶとでも思った?」
彼は微笑みを欠いた、切なげな表情で私を見つめた。
「君に無理強いする気はないよ。花、結婚は白紙に戻そう」
予想外の言葉に私は息を呑んだ。
「違うっ。無理強いなんかじゃない。私、本当に亮ちゃんと結婚したいと思っている。だけど、今は!」
「じゃぁ、いつまで待てばいい?!」
滅多に声を荒げることのない彼が、大きな声を上げて、苦しそうにため息をついた。
「僕はもう2年も待った。いや、君が転校したあの日からずっと君を追い求めてきたんだ。でも……」
唇を噛みしめた亮ちゃんは悲しそうに私を見た。
「ねぇ、花、君は気付いていないだろ? 僕はね、まだ一度も君に好きだと言われたことが無いんだ……」
「そんなことない! 私は亮ちゃんのこと!」
「もういいんだ、花。君から言ってくれるのをずっと待っていたけれど、もう待ちくたびれてしまったみたいだ」
彼は私の言葉を遮るように言って、静かに視線を落とした。
「あいつより僕の方が君を幸せにできると思っていた。だけど今は、君を本当に幸せにできるのか自信がない……」
「亮ちゃん……」
「侑に会っておいで、花。自分の気持ちを正直に伝えたらいい」
そう言って、厳しい表情のまま踵を返した亮ちゃん。
「待って……亮ちゃん!」
咄嗟に叫んだけれど、まるで、その声が届いていないかのように、彼は立ち止らずに遠ざかっていった。
いやだ、行かないで……。
待って……。
小さくなってゆく後姿に涙が零れ落ちる。
そうじゃない……亮ちゃんは、本当に私にとって大切な人なのに……。
だけど、どうすればいいのか、どうすればよかったのか、答えを出せぬまま、私はそれからしばらく、その場に佇んでいた。
彼との思い出が蘇っては、心をかき乱してゆく。
優しくて、あまりに完璧すぎて、なんだか別世界の王子様のようだった亮ちゃん。いつも穏やかで落ち着いている彼は、違う次元を生きている人みたいで、私には勿体ないくらいだと思っていた。
そんな彼が、初めて素の顔を見せた日。
『いい加減にしてくれよ、母さん!』
うろたえて赤い顔をした彼に、胸がキュンとした。
母親の前で少年のように慌ててみせた亮ちゃんに、きっと私は本当の意味で恋をしたんだ。
その恋は、あっという間に、私の中で広がっていって……。
『今日、君を帰さなくてもいい?』
熱で掠れた声に、彼を男として意識した。
『花を幸せにすると約束する』
溢れるほどの愛情に包まれて、私は彼と共に歩んでいくと誓った。
初めて体を重ねた日、確かに、私たちの心は一つに結ばれていた。
だけど……。
「ごめんなさい……ごめんなさい、亮ちゃん」
見えなくなった彼の姿に、私は何度も何度も謝った。けれど、もうその声が彼に届くことはない。
いっぱい傷つけて、あなたの優しさに甘えてばかりで、私……。
離れてしまった二人の心に胸が張り裂けそうになりながら、私はただ謝ることしかできなかった。
◇◆◇
「山田ぁ。陰気くせぇ顔すんなよ。ほら、結婚がダメになったくらいでそう落ち込むな。せっかく、お前可愛くなったんだから、もっとニコニコしてりゃ、男にモテんぞ。ってか、俺と結婚する?」
間宮が椅子を滑らせスーッと私の隣にやってきた。
私はチラリとだけ彼を見て、すぐパソコンに目を向ける。
「無視すんなよ。ほら、相談に乗ってやっから」
彼はそう言うと、突然、私の腕を掴んで立ち上がった。
「ちょ、ちょっと、間宮くん! 私、忙しいんだから」
「んな顔してたって、仕事は、はかどらねぇって」
そのまま強引に私を引きずって、フロアの端にあるカフェコーナーに連れて行った。
「まぁ、これでも飲んで、話してみろって。俺の奢り」
「いや、これ会社支給だから」
一応突っ込んで、コーヒーを受け取る。
「さ、相談してみ」
「間宮くんに相談することなんてないよ」
「バカだなぁ。何も事情を知らない第三者だからこそ話せるってこともあるだろ」
「いや、間宮くんの場合、事情を知っている知らない以前の問題だから」
「はぁ? 何言ってんだよ。恋愛相談つったら間宮だろ? 見ろよこの傷」
彼はシャツをまくり上げて、なんだか誇らしげに横腹を見せた。
「何それ」
「俺も昔、女に刺されたことがあるの。まぁ、経験者だからな。何でも聞いてみろ。教えてやる」
「あんたのは自業自得な気がするよ」
ため息を漏らした私にもめげず、間宮は「すげーだろ」と自慢げな顔をしている。
イケメンなのに残念な間宮のアホ面を見ていたら、話してみようかなって、なんとなく思った。彼なら、私が抱え込んだ重い悩みも軽く吹き飛ばしてくれるような気がしたから。
結局、一条さんからもう来るなと言われたことや、亮ちゃんと結婚を取りやめることになった経緯まで、赤裸々に告げると、間宮は「ふーん」とつまらなそうにつぶやいて、
「お前は相変わらずダメな女だな」
と言った。
「間宮くんに言われたくないんですけど」
「結局、どっちも手放す気なんだろ? 流され過ぎなんだよ、お前は」
間宮は間宮のくせに、そんなことを言って、肩をすくめる。
「だって」
「だってじゃねー。元カレに会いに来るなと言われたら行くのをやめて、今カレに結婚を白紙に戻すと言われたら、それに従い。一体、お前はどうしたいわけ? 相手のことばっか考えてねぇで、自分がしたいようにすりゃぁいいだろ。お前は優しいけど、それがいいところであり、ダメなところなんだよなぁ」
昔、亮ちゃんに同じことを言われたことがある。
あぁ、私はあれから何一つ成長していないんだ。
「なんか……、間宮くんって、私のこと分かっているみたいな話ぶりだね」
「あったりまえだろ。どんだけ一緒にいると思ってんの? いいか、俺たちの人生は残念ながら会社にいる時間が一番長いんだ。つまり、俺とお前は、恋人よりも家族よりも長い時間を過ごしているってこと」
間宮はそう言って、うんうんと自分で納得したようにうなずいた。
「今、俺いいこと言った。よし、ついでにもう一つ、お前にいいことを教えておいてやる。山田、たまには、自分の気持ちに素直になって甘えてみろ。女はちょっとくらい我儘な方が可愛いんだ」
もっともらしく言う間宮に、苦笑いを返したものの、本当は何だかすごく納得して、その言葉は私の心の中にスッと入って来た。
そうだね。私もそう思うよ。
でもね、間宮。私、ダメなんだ。
本心を言うのが苦手で、甘え下手で、可愛げがない。それが私の性分だから。
本当に……結局、変わることができなかったな。
私はため息をついて、窓に映る自分の姿を見た。
やけくそで入ったジムから始まった私のリベンジ。
いろんなことを経て、体重だけは目標に到達し、外見は変わることができたけど、結局、中身はあの頃の私のままだ。
あぁ、もう、私何やってるんだろ。もういい加減、変わらなくちゃ。
「間宮、あんたのおかげで、ちゃんと蹴りをつけられそうだ」
私は彼にうなずいて見せてから、自分を奮い立たせるために、大きく息を吸い込んだ。
分かっている。私は、一条さんと亮ちゃんのどちらかを傷つけるのが恐くて、二人から逃げ出そうとしていた。だけど、それはきっと優しさではなくて、自己欺瞞だから。
私は自分の意志で、結論を出さなくちゃいけない。
「間宮くんに説教される日が来るなんて思わなかったな」
そう言うと、彼はドヤ顔で私を見た。
「ふふん。惚れるなよ」
「悪いけど、それはない」
◇◆◇
無理矢理引き裂かれ、宙ぶらりんになっていた私と一条さんの恋。
あの日から、二人の時間は止まったままだ。
きっと、一条さんも同じようにあの日から動けずにいる……。
私は彼にメッセージを送った。
「来て、くれたんだ……」
イルミネーションで彩られたツリーの前に、姿を見せたかつての恋人。
「俺も、同じこと考えていたから」
彼はそう言って切なげに笑った。
その姿は私の胸を苦しくさせる。
来てほしかったけれど、来てほしくはなかった。
私が送ったメッセージ。
『一条さん、あなたとの恋をちゃんと終わらせるために、もう一度だけ会ってもらえませんか?』
彼は一旦深く息をつくと、
「明日はクリスマスか」
とツリーを見上げた。
「もう、傷は大丈夫なの?」
「まだ仕事への復帰はもう少し時間かかるけど、日常生活を送る分には問題ない」
「そう……よかった……」
その後、二人の間に沈黙が流れて、私たちはただ黙ったままツリーを見つめた。
「悪かったな。こないだは、あんな酷い言葉を使って」
突然、一条さんはつぶやいた。
「お前は優しいから、ああでも言わなきゃ、きっと、傷ついた俺を置いて、立花のところへは戻れないだろうと思った。だから……」
「うん。分かっているよ」
彼の優しさはぶっきらぼうだけど、本当はとても温かくて愛に溢れている。
私は、その優しさに応えるために、口を開いた。
「ありがとう、一条さん。一条さんはいつだって私のことを考えて、私のことを守ってくれた。私、一条さんのことが本当に好きだった。だけど……」
涙が溢れて、それ以上言葉を続けられなくなった私に、彼は頷いてポンポンと頭を撫でてくれた。
昔、この場所で私に新しい一歩を踏み出す勇気をくれた、あの時と同じように。
「立花を裏切ることはできない、だろ?」
「うん……」
「いいんだ……それで、いい。そんな花が好きだったから……」
彼は穏やかな顔で、うなずいた。
「なぁ、花、笑って。俺、お前の笑った顔が好きなんだ」
「一条さん……」
「笑って、さよならしよう。花」
「……うん」
私は腕でゴシゴシと涙を拭いて、無理矢理、笑顔を作った。
「さよなら、一条さん」
「さよなら、花」
互いに背を向けて、私達は、それぞれの道を歩き始めた。
彼との思い出が蘇っては胸をかき乱し、足を止めそうになる。
高飛車で、ぶっきらぼうで、口が悪くて、だけど本当はとても優しい人。
公園を出る時、一度だけ、私は堪え切れず、後ろを振り返った。
「一条……さん」
その先には、ツリーの下に立ったまま、切なげな顔で私を見送る彼の姿があった。
「一条さん!」
思わず彼の名を叫んだ。苦しくて涙が零れ落ちた。
「一条さん! 私のことを守ってくれてありがとう。私のことを好きになってくれてありがとう。本当に感謝しているの。たくさん、たくさん、感謝しているの!」
そう言うと、一条さんは頷き、静かに微笑んだ。
さよなら。
彼の口がそう動き、そのまま踵を返し遠ざかっていった。
さよなら、一条さん……。
大好きだった彼の背に別れを告げ、私もまた、自分の道を歩き出す。次はもう振り返らずに。
◇◆◇
「どうして……ここにいるの? 侑のところに行ったんじゃ……」
マンションを訪れた私に、亮ちゃんは息を呑んで瞳を揺らがせた。
「ちゃんと、一条さんとの恋を終わらせてきた」
「花……」
「私、亮ちゃんに、言いたいことがあるの」
「え?」
戸惑う彼の前で、私は大きく息を吸い込んだ。
「私は……亮ちゃんのことが好きです。だから、亮ちゃん、これからも私と一緒にいてください」
そう言うと、驚きに目を見開いた後、しばらく黙ったまま私を見つめていた彼の瞳から、ハラリと涙が零れ落ちた。
「まいったな……。人前で泣いたのなんて、君が転校したのを聞かされたとき以来だ」
「亮ちゃん……」
彼は視線を落として切なげに微笑んだ後、教えてくれた。
「僕はね。君がいなくなった教室で、人目を憚らず大声で泣いたんだ」
「亮ちゃん……」
それから、しばらくの間、亮ちゃんは何かを思うように遠くを見つめて、静かに言った。
「花、明日、ランドに行こうか」
戸惑う私に、優しく微笑む。
「クリスマスに恋人と行くのが夢だったんだろ?」
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