第35話 彼の優しさは全てを包み込む
「あの……ひとつ、お願いがあるんだけど」
なんだか、すごく言いづらそうに、亮ちゃんは口を開いた。
「亮ちゃんからのお願いなんて、初めてだね。何でも聞くよ」
そう答えると、彼は一度深く息をついてから、
「母が、お見合いしろってうるさいから、君のことを話したんだ。そしたら、会わせろって言い出して……」
とため息交じりに言った。
うっ。こ、これは、まさか、大事な息子の彼女がどんな女かチェックしようということだろうか。
「来月、母が還暦でパーティーを開くのだけど、そこに君を連れて来いって」
タラリと冷や汗が流れた。
「そ、そうなんだ」
「ごめん。付き合い出して間もないのに、急に親に会ってくれなんて」
「ううん。大丈夫」
「うちの母、結構強烈で……。だから、本当は会わせたくないんだけど……」
強烈……? 確か、こないだ教育ママさんだということは聞いたが、強烈とはどういうことなのだろう。
かなり不安だ。とは言え、避けては通れない道。
「それはいつ?」
「12月3日」
あ……。
私は内心舌打ちした。なんでこういう時に限って、大事な予定が重なってしまうのだろう。
「都合悪い?」
私の反応を見た亮ちゃんが顔を覗き込む。
「ううん。大丈夫、大した用事じゃないから」
私は慌てて首を振った。
仕方ない、あっちは間宮に任せよう。
私はそう決めて、心の中でため息をもらした。
◇◆◇
「ねぇ、間宮」
「なに? ワーカーホリック」
「もう、やめてよ。その呼び方」
一条さんと別れてからというもの、忙しさで気を紛らわそうと、仕事に打ち込んで来た私は、いつの間にかそう呼ばれるようになった。
「あの、Great enterprisesの件なんだけど」
「あぁ、どうかした?」
「表彰式の日、大事な用ができてしまって、代わってもらえないかなって思って」
「はぁ? 何言ってんだよ。お前が受け取らなくて、どうすんだよ。あんだけ頑張ったのに。その大事な用ってやつ、調整できないの?」
間宮が大げさに驚いて、肩をすくめる。
「うん、そっちを断ることはちょっとできないから……」
「何だよ、マジかよ。別に俺はいいけどさ。お前、あんだけ喜んでいたのに。だって、その日のためにスーツ新調したって言ってたじゃん。お前の晴れ舞台だろうが」
「いいの。間宮だって、一緒に頑張った仲間でしょ。だから、任せるね。横芝さんには交代する旨、伝えておくから」
そう言うと、彼は「ふーん」とつぶやいて、何か言いたげな顔をしていたが、それ以上は突っ込んでこなかった。
「しっかし、うちの会社が人材育成賞を取るなんてな」
「昔から、人材は人財なり。って、そこだけはうちの社風だったからね」
「まぁ、総合順位はランク外だったけどな。あぁ、名刺にロゴは載せられないのか」
はぁと大きなため息をつく間宮に、やっぱりこいつじゃなくて、他のメンバーに頼んだ方がよかったかもと思ったりしたが、そんな心配もその日のうちに解消した。
彼のお母さんが体調を崩して、パーティーが中止になったのだ。
◇◆◇
「初めまして。花ちゃん。お会いしたかったわぁ」
その日、私はガチガチに緊張して、料亭の和室に座っていた。
還暦パーティーは流れたと言うのに、彼のお母さんがどうしても私に会いたいということで、結局、別の日に彼とお母さんとの三人でお食事会を開くことになったのだ。
顔を見るなり、お母さんは私に近寄って両手を握りしめた。
「本当に彼女さんなの? この子に頼まれて演技しているとかじゃないわよね?」
ずずいと顔を近づけられて、私は思わず後ずさりする。
「そ、そんなんじゃないです。あの、ちゃんとお付き合いさせていただいています」
「あぁ、よかったわぁ。親の私が言うのもなんだけど、この子なかなかの男前でしょ? 昔からモテたのに、全然、女性と付き合うそぶり見せないから、最近はもしかしたらこの子はゲイなんじゃないかしらって疑っていたのよ」
ゲイ……ですか……。
「だって、やたら優しいし、細やかな気遣いを見せるところなんかも、なんだか女性的じゃない?」
「もう、母さん、やめてくれよ」
亮ちゃんが額に手を当てて、ため息をついている。
「あらっ! あなたが、悪いのよ。早く孫の顔見せろって言っているのに。ねぇ、聞いて、花ちゃん。この子ったら、1年くらい前に急に僕は結婚しないなんて言い出したのよ」
私に向かってお母さんはヒソヒソ話するように耳元で話し始めた。
「理由を聞けば、初恋の人が忘れられないからなんて、恋する思春期の男の子みたいなこと言っちゃって。お前は何歳だって話よね」
「いい加減にしてくれよ、母さん!」
亮ちゃんの赤い顔に私はキュンとした。
あぁ、男の子って、やっぱり母親の前だと少年に戻るんだな。
いつも穏やかで落ち着いている彼が、慌てふためいている姿はすっごく貴重だ。脳裏に焼き付けておこう。
そこから、食事が始まって、その間も、終始お母さんはしゃべり通しで、彼がトイレに席を立ったときなんか、しめたと言わんばかりに私の隣にずずいと近寄ってきた。
「あなたがあの子の初恋の子なのね」
彼と子供の頃、同じ小学校だったことはまだ話していないのに、なぜかお母さんはそう言って微笑んだ。
「えっと……。どうして、そう思うんですか?」
「分かるわよ。あの子を見ていれば。あんな亮の顔、久しぶりに見たわ。昔、同じスイミングスクールにいた女の子のこと、よくあんな顔して話していた。生意気な奴なんだとか、悪口言いながら、それはそれは愛おしそうに話すのよ。あなたのことだったのね」
遠い目をして、お母さんは嬉しそうに話してくれた。
あぁ、そうなんだ。なんだか、すごく嬉しい。
本当に亮ちゃんは昔から私のことを好きでいてくれたんだ。
「けれど、心配したのよ。還暦パーティーで、あなたに会うのを楽しみにしていたのに、急に来られなくなったなんて言われたから、振られたのかしらって」
「え……?」
「まぁ、大事な仕事だったんじゃ、仕方ないわね。でも、こうして今日会えてよかったわ」
ニコニコ笑うお母さんに、私は戸惑いつつ笑顔を作った。
あぁ、還暦パーティーが中止になったって、私のために嘘ついたんだ。
その夜、彼のお母さんと別れた後、私は亮ちゃんに聞いた。
「亮ちゃん。もしかして、還暦パーティーの日が表彰式だってことに気付いていたの?」
私の問いに、彼は少し気まずそうな顔をして、「母さんが何か言った?」とため息をついた。
「どうして表彰式だって分かったの?」
「うん……。特別賞をもらったって、今度、表彰式でプレゼンするんだってすごく嬉しそうに話していたのに、そのことを全く話さなくなったから、気になってホームページを見たんだ」
そう、なんだ。いつだって、亮ちゃんは私の気持ちを理解して、先回りしてしまう。
「だからって、中止になったなんて嘘……」
「君はいつも本心を隠すだろ。本当は表彰式に出たいくせに、きっと僕のことを優先させるだろうって思ったから」
「亮ちゃんはどうなの……。亮ちゃんだって本心を隠しているじゃない。本当は表彰式じゃなくて、お母さんのお祝いに出てほしかったんじゃないの?」
私が聞くと、彼はニコリと笑って首を振った。
「そんなことないよ。僕は本当に表彰式に出てほしかった。君が頑張っていたことを知っていたから」
あぁ……。
彼の優しさに、胸がキュゥと苦しくなった。
「亮ちゃんは優しすぎるよ。あまり私を甘やかさないで……」
「いいんだよ、君は僕に甘えて。前に、弟さんの誕生日に君の実家に行った時があっただろ。僕はね、ご両親に言われたんだ。」
「え?」
急に両親の話を持ち出した彼に驚いて顔を見上げると、彼は頷いて微笑んだ。
「花はいつも自分の気持ちを隠して我慢してしまう子だから、沢山甘やかしてほしいって。これまでずっと我慢してきた分、花には我儘になってほしいんだって、そう言っていた」
「なに……それ」
「だから花、僕の前ではたくさん甘えていいんだよ」
全てを包み込む彼の優しさに、私はそれ以上何も言えず、黙り込んだ。
彼の優しさは私と両親との関係までも温かく包み込んでくれる。ツンと鼻の奥が熱くなって、「ありがと、亮ちゃん」と私は心の底から彼にお礼を言った。
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