第36話 彼と共に歩んでゆく
亮ちゃんは私との関係をゆっくり育んでいった。
そんな私達の関係に変化が訪れたのは、桜が咲き乱れる穏やかな季節になった頃だ。
「ねぇ、花。僕たちのこと、侑に話してもいいかな……」
彼の家で夕飯を作っていた時、突然、そう聞かれた。
「え……」
驚いて、言葉を失ってしまった私に、彼がごめんねとつぶやく。
「ちゃんと、あいつにも認めてもらって、正式に君と付き合いたいんだ」
一条さんと顔を合わせない私と違い、仕事のパートナーとして今も彼と毎日のように接している亮ちゃん。
私達が付き合い始めたことを言わずに一条さんと接するのは後ろめたいのかもしれない。
「うん、もちろん、いいよ」
私はあえて軽く答えた。
「本当に?」
だけど、少しだけ心配そうに私のことを見つめた彼に、その本当の気持ちを理解した。
一条さんのことが忘れられないまま始まった亮ちゃんとの恋。
彼は、きっと、私が一条さんを忘れることをずっと待っていたのだ。
「本当に、君はそれでいいの?」
もう一度真剣な面持ちで聞いた彼に、私は大きく頷いた。
「もちろん。私はすでに亮ちゃんの彼女のつもりだったんだけど。亮ちゃんは、まだ私と正式にお付き合いしていなかったの?」
そう言うと、彼は少し驚いた顔して、それから嬉しそうに笑った。
「うん。僕も君の彼氏のつもりだった」
そう言いながら、ゆっくりと私を引き寄せる。
重なった唇から、彼の深い愛情が伝わってきた。
「今日、君を帰さなくてもいい?」
熱に掠れた声で亮ちゃんが聞いた。
「えっ?!」
ビックリして、思わず大きな声を出してしまった。
よくよく考えれば彼も男だし、二人きり密室にいて、こんなに熱いキスを交わしていたのだから、当たり前の展開だって思うけど、なんとなく亮ちゃんがそんなことを言い出すとは思わなくて、ひどくうろたえてしまったのだ。
そんな私を、彼は切なげに見つめる。
「ごめん、急に……。でも、今日は君を離したくないんだ。手は出さないと約束するから、傍にいて」
切実に訴えられて、彼の愛情が苦しいくらい伝わってきて、私は頷いた。
ホッと息を吐いた彼は、微笑んだ後、再び唇を重ねた。
◇◆◇
「お邪魔します……」
彼の寝室に入るとき、それなりに覚悟はしていた。手は出さないと約束してくれたけれど、いい年齢の男女が朝まで一緒にいて、絶対に何もないとは言い切れないと思ったから。
互いにシャワーを浴びて、同じベッドに入って、彼は最初優しく私に口付けした。そして、何度目かのキスの後、きつく私を抱きしめて、「約束をやぶってしまいそうだ」と切なげにつぶやいた。
「亮ちゃん……」
「冗談……お休み、花」
だけど、それ以上、彼は私に手を出さなかった。
チュッと額にキスをして、私を胸に抱いたまま瞳を閉じた彼に、本当に私のことを大切にしてくれているんだと、心が温まる。
彼の鼓動が早鐘のように鳴り響いていて、私の鼓動も同じように鳴っていて、互いにそれを聞きながら、私たちはそのまま眠りについた。
翌朝、先に目を覚ましたのは私だった。
朝日の中で眠っている彼はやっぱり優しい顔をしていて、思わず微笑んでしまう。癒しの王子は、眠っていても癒しの王子なんだななんて、思ったりして。
ずっと、私のそばで、私だけを見つめ、支えてきてくれた優しい人。
感謝してもしきれない。
1年以上もそばにいながら手を出してくることもなく、幼馴染の一線を越えた今もなお、こうして約束は守ってくれる。
私のことを宝物のように大切にしてくれる愛しい人。
「ありがとう、亮ちゃん……」
囁いて、そっと唇にキスしたら、ゆっくりと彼が瞳を開いて、私を見つめた。
「今のは……君が悪い」
彼はそう言って、私を引き寄せ、唇を奪うように塞いだ。
そのまま、彼は私の上に覆いかぶさり、激しいくらい熱いキスを与えた。
息が荒くなるほどに情熱的に求められて、彼の愛を懸命に受け止めた体が熱くなってゆく。
「花……」
熱に濡れた瞳で亮ちゃんは上から私を見つめた。
初めて見せる男の顔。
欲情に揺れる瞳でしばらく私を見つめた後、彼は深くため息をついて、「ごめん。自分の精神力の弱さに情けなくなる」と言いながら体を起こした。
「亮ちゃん」
「このままいたら、襲いかねないから、シャワー浴びてくるね」
苦笑いして、私の髪を優しく撫でた後、ベッドから出て行こうとした彼に、
「待って……」
と気付けば彼を引き留めていた。
「あの……いいよ……亮ちゃん……」
「花……」
彼は驚いたようにしばらく黙って、それから、何も言わず姿勢を正して私に向き直った。
「花、今からすごく自分勝手で君を困らせることを言うよ」
「うん……」
その真剣な瞳に、私は自分も姿勢を正した。
「山田花さん、僕と結婚してください」
彼はそう言って、私のことを真っ直ぐに見つめた。
「亮ちゃん……」
「ちゃんとしてから、君を抱きたいんだ。まだ君にその覚悟がないのなら、今日はやめよう」
彼の言葉はいつだって温かくて、誠実で……。
こんなに私のことを大切に思ってくれる人はいない。
私はベッドの上に正座して、真っ直ぐに彼の瞳を見つめ返した。
「立花亮さん。
「花……」
驚く彼の前で、私は深くお辞儀した。
その後、亮ちゃんは何も言わずフワリと微笑んで、唇を重ねた。
「花を幸せにすると約束する」
彼の愛は優しすぎて涙が零れた。
私は亮ちゃんと共に歩んでいく。そう心に誓い、私たちは体も心も一つに結ばれた。
◇◆◇
「聞いたわよー! 結婚することになったって!」
突然、亮ちゃんのマンションに現れたお母さん。
「母さん、来るなら連絡くらいしてくれないと……」
亮ちゃんがはぁとため息をつく。
「だって、もう、嬉しくて、嬉しくて。ねぇ、式の日取りはいつにするの? やっぱり白無垢よね! 花ちゃんにはきっと着物が似合うと思うわ! それからね、引き出物は、最近、カタログギフトなんて流行っているみたいだけど、あれはダメよ。ちゃんと心を込めて選んであげなくちゃ。でね、やっぱり木曽の漆器がいいんじゃないかと思うの。私の知り合いに、二人の名入れをしてもらえるよう頼んでおくから」
マシンガンのように始まったお母さんのトークに私は圧倒されて、言葉を返す隙さえ見つけられない。
「母さん、やめてくれって。花が困っているだろ」
「あなたは黙っていなさい! 男はいちいち口を挟まないの!」
お母さんの迫力に、亮ちゃんも閉口して、私にごめんねと口パクで謝った。
それから2時間近く、お母さんは話し続け、満足したのか、「じゃぁ、そろそろ帰るわね」と嵐のように去って行った。
「ごめん、花。適当に聞き流していいから。母さん、娘が欲しかったから、嬉しくて仕方ないんだと思う」
ため息交じりの亮ちゃんに私は首を振る。
「お母さんに、気に入られたみたいでよかった」
そんな調子で始まった結婚への準備は、時々、彼のお母さんの迫力に圧倒されつつも、滞りなく進んでいった。
だから、その後に起こる、偶然が引き起こした悪戯は、もしかしたら、私の気持ちを試すための、序章だったのかもしれない。
◇◆◇
季節は秋を迎え、その時期には珍しく、急に降りだした夕立に、私はため息をついた。
ついてない……。
走り出そうとした時、ふっと横から傘が差し出された。
その持ち主を見た瞬間、私は雷に打たれたように硬直した。
「これ使って」
「一条……さん」
驚きでそれ以上言葉がでない。
久しぶりに会った彼は、とても優しい瞳をしていた。
「だ、大丈夫です。あの、途中のコンビニでビニール傘買うので」
「いいよ。俺はすぐそこまでだし」
傘を押し出した彼に、私は戸惑って、首を振る。
「すぐそこまでって言っても、この雨じゃ、一条さんが濡れちゃう」
「いいって。それ返さなくていいから」
「そんなの、困ります」
そんな押し問答の末、
「じゃぁ、ジムの前まで付き合って。少し遠回りになって悪いけど。その後、この傘やるから」
と彼が苦笑いした。
「ありがとう、ございます……」
それからしばらく私たちは互いに黙ったまま一つの傘に入って歩いた。
「結婚……するんだって?」
その沈黙を一条さんが破った。
「……はい」
「おめでとう」
彼は優しく微笑んだ。
「いい女になったな、お前」
こんな風に、彼と話ができるようになるとは思わなかった。
いろんな思いが込み上げて、涙を滲ませた私に、一条さんは少しだけ切なげな顔をして視線を落とした。
「立花のおかげだな。俺といた頃より、よっぽどいい顔している」
「一条さん……」
「俺がこんなこと言う資格なんかないけど、正直、安心した」
ふぅと吹っ切るように息をついて、彼は立ち止り、私に傘を渡した。
「幸せにな、花」
そのままジムに向かい駆け出した彼の後姿を、私はずっと見送った。
あぁ、これで、本当に終わったんだ。
彼の姿が見えなくなった後、私は大きく息を吸い込み、自分の道を歩き始めた。
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