第27話 カロリーはエッチで消費できるらしい

『ねぇ、花。今日、ひさびさにモエナに行こうよ。誕生日祝いに奢ってあげる』


 金曜の17時過ぎに社内メールで飛んできた、友人からの誘惑。

 ふわぁっと、甘い香りと共に山盛りのフルーツで飾られた豪華なパンケーキが頭に浮かんだ。


『うー。嬉しいけど、ダメだよ。今、ダイエット中だもん』

『え? まだダイエットしてんの? もうする必要ないじゃん。イケメントレーナーと付き合い始めたんでしょ? 今更、何に対してリベンジするんだよ』


 すぐに返って来た志保からのメールに心が揺らぐ。

 実際、気持ちが萎えていたのは事実。

 一条さんとお付き合いを始めて、以前のように、何が何でも痩せてやる! 過去に私を笑った奴らを、絶対、見返してやる! っていう、リベンジ精神的なものはなくなっていた。


『でもなぁ……一度決めたことだし、これまで私が痩せるのを、後押ししてくれた一条さんに申し訳ないし。というか、痩せるのやめるなんて言ったら、殺されそうだよ』

『一日くらい平気だって。私が奢ってやることなんて、年に一度くらいだぞ。たまには、自分にご褒美しないと、続かないしさ』

『そうかな……?』

『どうせ、今日も夜、トレーニング行くんでしょ? 食べた分、動けば平気だって』

『そうだよね!』


 というわけで、私は久しぶりに、志保とモエナカフェに足を運んだ。

 ごめん。一条さん。

 少しだけ、彼に対する負い目を感じたけれど、お店に入って甘い香りに包まれた途端、そんな気持ちもすっかり吹き飛んだ。


 贅沢にイチゴがびっしり盛られたパンケーキが出てきて、もう心ウハウハ。

 お久しぶり! 激甘スイーツちゃん!

 一口食べたら、その脳をとろかすような刺激に、ドーパミンが弾け飛んだ。


「うー、ほっぺが落ちちゃう!」


 そんな至福の時を過ごしていると、コンコンとテーブルの横の窓ガラスが音を立てた。

 外を見れば、テラスに立った一条さんが、ニコリと微笑んでいるじゃないですか!


「ひぃぃぃぃぃー!!!」


 アイドル顔負けの爽やかスマイルなのに目が暗殺者のように光っている。


 こっ、殺される……。


「もしかして、彼が噂のイケメントレーナー? 噂以上のイケメンだね」


 志保の楽しそうな声に答えることもできない。

 一条さんが、張り付いた笑顔のまま、こちらへ来いとばかりに、人差し指をクイクイと動かした。


「た、助けて、志保……」

「これ、食べておいてあげるね」


 志保は、他人ごとのように言って、私のお皿を自分に引き寄せた。


◇◆◇


「さてと、ずいぶん美味しそうに食べていたじゃないか、花子。そりゃぁ、美味いよな。糖分と油分の塊だもんな」


 こ、怖い……。

 もう十分恐怖を感じたから、その笑顔をやめてほしい。


「なぁ、花子。なぁんで、お前はこんなところで、こんなものを食べているのかな?」

「えっと、誕生日だったから、奢ってくれるって」

「奢ってもらえるなら、お前は俺との約束を破って食べちゃうわけだ?」

「あの、食べた分、動けば平気かな、なんて」

「あぁ、そうだよな。余分に摂取したカロリーはちゃんと消費しないとな、花子」


 一条さんは、張り付いた笑顔のままで、瞳を細めた。


 目が笑っていない……。うぅっ。なんで、こんな時に、こんなところで、偶然、一条さんに会うのよ……。

 もう半分開き直って、大きなため息をつくと、一条さんは、「お前の行くところくらい、お見通しだ」とドヤ顔を決めた。


「もしかして、つけていました? ストーカーみたい」

「ふざけんな、俺はそんなに暇じゃねぇ。これだ、これ」


 そう言って、私の顔の前に突き出したスマホ。

 表示された地図の上で赤丸が点滅している。


「なんですか? それ……」

「登録したスマホの位置情報を教えてくれるアプリ。いつも行く場所と違うところに足を踏み入れると、お知らせしてくれるんだよ」

「えー?!」


 そう言えば、こないだ24時間監視下に置くとか言って、スマホをいじられたっけ。食事を管理するためのアプリをダウンロードして、他にもなんかやっていたなぁ……。


「子供の安全を守るためのアプリだけどな。ほら、放課後、寄り道しちゃいけないのにルールを破っちゃう、ダメなガキにはピッタリのアプリだろ?」

「そ、それこそ、ストーカーじゃないですか!」

「黙れ。お前みたいに忍耐力のない奴は、これくらいの管理が必要だ。今後は容赦しないから覚えておけよ」


 一条さんは私を一睨みして、腕を掴むと歩き出した。


「ちょ、ちょっと。どこ行くんですか?」

「そりゃ、食べたんだから、食べた分のカロリーを消費しに行くに決まってんだろ」


 結局連れて行かれたのは一条さんのマンションで、

「出来の悪い生徒への特別指導だ」

 と彼は、口の端を吊り上げて笑った。


「さぁ、ボケっとしてねぇで、始めるぞ」

「……何を、でしょうか?」

「何度も言わせるな、カロリーを消費するんだよ」


 言うや否や、一条さんは私を抱き上げ、隣の部屋にあったキングサイズのベッドにポンと投げ飛ばした。

 ふっかふかのベッドに揺られて、私は唖然。


「い、一条さん?」

「知ってる? セックスって軽いジョギング位カロリー消費するんだぜ。激しければ激しいほど、消費カロリーもあがる」

「へ……?」


 ベッドに乗って、私の上に覆いかぶさった彼に、私は硬直した。


「ちょっ、ちょっと、一条さん?」

「気持ちいい上に、カロリー消費できるんだ、最高だろ?」


 ニヤリと笑った彼は、いきなりスカートの中に手を差し入れ、履いていたレギンスと下着をずり下ろした。


 ひゃぁぁっぁ!


「さぁ、激しく喘いでもらおうか」

「あ、ま、待って、一条さん」

「この期に及んで、四の五の言うな」


 一条さんに抱かれるのはやぶさかではない。

 だけど、カロリー消費とか言って、こんな形で抱かれるのには抵抗がある。こないだはあんなに甘い雰囲気で包んでくれたのに……。


 ん……? いや、待てよ? エッチして気持ち良くカロリー消費できるなら、ジムでつらいしごきを受けなくてもいいんじゃない? なんてバカなことを考えているうちに、一条さんが唇を重ねた。


「花……」


 キスの合間に、優しく私の名を呼ぶ。

 さっきまで、花子って呼んでいたくせに、こういう時だけ、ちゃんと花って呼ぶんだな。

 一瞬、普段は私をぷに子って呼んでいた渚君のことを思い出した。

 彼も、なぜかエッチの時はちゃんと名前で私のことを呼んでくれたっけ。


「おいこら、考え事してんじゃねーぞ」


 突然、一条さんに言われて、彼を見ると、なんだか怒った顔して私を見ている。


「ずいぶん余裕だな」

「そ、そんなこと……」

「やめた。カロリーとか関係ねぇ。お前を壊す」


 物騒なことを言って、彼は激しく唇を奪った。


◇◆◇


「おい、生きてる?」


 一条さんに声をかけられて、ふっと我に返った。

 あぁ……。すごい。すごかった……。


 私の様子に一条さんは満足したようでニヤッと笑う。


「お前を気持ちよくさせるためのセックスじゃなかったんだけどな。まぁいいや」


 先シャワー浴びてくると言って、彼は部屋から出て行った。

 だはぁ……。ぶっ飛んでしまったよ。

 けだるい体を起こして、服を身に着けていたら、ふと、妹さんと一条さんのプリクラが目に留まった。


 一条さん、妹さんのことを助けられなかったって言っていたけど、やっぱり亡くなったのかな。彼の様子から、多分そうなのだろうけど……。


 せつない。

 写真の中で優しい微笑みを浮かべる一条さんに、ぐぅっと胸が苦しくなって、プリクラを見ていられなくなった。ベッドの上に体育座りをした状態で、膝におでこをつけて、視界を遮る。私には弟が5人もいるけれど、その中の一人でも欠けてしまったらきっと耐えられないと思う。

 彼は、どうやってこんな悲劇を乗り越えて来たのだろう……。


「どうかした?」


 しばらくそのままいろんなことを考えていたら、いつの間にかシャワーから戻って来た一条さんが、不思議そうに私を見ていた。


「あぁ、いえ。なんでもありません」

「激しくし過ぎた?」


 楽しそうに笑う彼に何だかホッとする。


「カロリー消費し過ぎてフラフラです」

「ふざけんな。あんなデカいパンケーキを半分近く食ったんだ、この後、ジムでやる予定だったトレーニングもこなすぞ」

「えー。今からトレーニングするんですか?!」

「当たり前だ。何、トレーニングをサボる気でいる」


 結局、その後、腹筋に腕立てに背筋と筋力トレーニングを散々やらされた挙句、ランニングまでさせられた。

 なんで、ジム持ってんのに、家にまでランニングマシンがあるんだろ。  

 はぁ……。


 みっちりしごかれて、クタクタになった頃、

「お疲れ。じゃぁ、シャワー浴びてこい。その間に、飯作ってやる」

 と彼が言った。


 お。嬉しいご褒美!

 以前、彼に作ってもらったお粥を思い出して、再び手料理を食べさせてもらえることに嬉しくなった私は、スキップするかの如く、お風呂に向かった。


◇◆◇


「これ、だけ……ですか?」

「文句ある?」


 出てきたのは、豆とトマトのスープ。


「あのぅ。パンくらいは……」

「はぁ?! 誰がお前にこれ以上炭水化物を食わせるか!」


 途端、怒鳴られて私はシュンとへこむ。

 なんだよぅ、あんなに運動させられて、お腹ペコペコなのに、スープだけか……。いいや、家に帰ってから、少しだけ何か食べよう。


「お前、明日仕事休みだろ? 泊まっていけ」

「え?!」

「どうせ、家に帰って、何か食う気だろ」


 見据えるような瞳に、ドキリとしながら、「そ、そんなことないですよ」と小さな声で言ってみる。


「食後の運動もするからな」


 結局、私は彼の家に泊まることになり、その夜、ベッドの上でのカロリー消費に励むこととなったのである。

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