第2話  クリストは出遅れる

「鳴子が鳴りました」


 鬼道師殿の言葉に半瞬反応が遅れた事は否定できない。

 鳴子、他者の侵入を知らせる罠。

 盗賊のアジトに警戒網が敷かれていた事から慎重に偵察を行っていたはずだが、


「カルラ殿、それはどういう──」

「……我ではない」


 彼女の続けた発言はさらに不可解な物だった。


「我の『視鬼』が引っ掛かったのではない。『視鬼』は2体が洞穴内、1体が出入り口を見張っておる、今更洞穴外周の鳴子に掛かる道理はない」

「……鳴ったのはと?」

「然り」


 事の奇妙さに焦燥感が若干冷えた。

 甚だ失礼ながら鳴子のアラームを鳴らしたのはカルラ殿の使い魔だと思ったのだ、アジトの偵察に先行しているのが彼女の使い魔3体なのだから仕方ない。

 しかし彼女の言を信ずれば、ワイヤーを揺らしたのは偵察に出た使い魔ではない事になる。


「強風か、それとも動物でも引っ掛かったと?」

あずかり知らぬ。だが」


 緊張を孕んだ声で鬼面の魔術師はさらなる事態の変化を告げた。


「これから確認する事になるだろう──洞穴より幾人かが出てきよった」

「風体は?」

「鬼面の者はおらぬな。左程緊迫した動勢もない」


 アラームが鳴ったにもかかわらず、仕掛けた側に慌てた様子が無い。

 察するに鳴子の音を非常事態と認識していない、つまりはよくある誤作動と思っているのかもしれない。


「然り。念のため門を見張る『視鬼』を附けたが、彼奴らは暢気にも談笑しながら歩いておる」


 いずれにせよ、こちらの存在に気付かれたのでなければ問題ないだろう。賊の動向を探る鬼道師の口調にも安堵が滲んでいた。

 のだが。


「……クリスト殿」


 僅か数分後、またも名を呼ばれる。

 気のせいか、いや、確実に気のせいなのだが、彼女の被る平たい鬼面が罅割れたような錯覚を覚えた。

 それくらい冷徹な鬼道師の調子がおかしかったのだ──実に嫌な予感がする。


「…………どうされた、カルラ殿?」

「鳴子の具合を確認に向かった賊に」


 悪い予感ほど当たるとは誰が言い出した言葉か。


「何者かが襲い掛かった」


 事態は思わぬ形で先を急かすのだった。


******


 近い将来に国を継ぐ者として激情を表に出さぬよう教育を受けた身としては褒められた事ではないが、先の「鳴子が鳴った」発言より動揺した事は全く否定できない。

 耳に飛び込んだのは、それほどまでに意外な報告。


「それは、どういう……?」

「分からぬ! だが鳴子を調査していた賊2名に、黒装束の何者かが襲い掛かったのだ」


 焦った言葉を吐きながらカルラ殿は紙を折り始めた。鬼道師にとって紙は使い魔を生み出す源、事態の急変に新たな使い魔を用意するつもりなのだろう。


「ひとりは不意を突かれて一太刀、2人目は数合打ち合った後で斬り捨てられておった」

「それで、その黒装束とは?」

「彼奴らに察知されぬよう距離を置いておった故、詳細は知れぬ」


 敵に鬼道師がいる可能性を講じたのが裏目に出た形である。

 黒装束、その正体は何者か。


「追跡はさせておる、故に程なく探知が叶うやもしれんが──」


 紙を折る手が止まった。


「呼子笛の音、おそらく彼奴らも異変を察知したであろうな」


 呼子笛、敵を発見した際に吹き鳴らす警笛の事だ。敵に対する注意喚起より仲間を呼び集める用途で使われる。

 カルラ殿は鳴子の確認に出た人数を数名と言っていた。斬り捨てられたのは2人だとして、残りが黒装束を発見したか、無残な仲間の死体を見つけたかは定かではないが異常に気付いたのは確かだろう。


 警笛は他の賊に異常事態を知らせ、彼らは警戒を密にさせるに違いない。人質の安全第一の観点からすれば謎の黒装束はこのタイミングで余計な事をしてくれたといえる。


「だが同時に好機でもある」


 黒装束が活動しているのは洞穴の外。

 警笛が援軍を求めるものであれば、アジトの内に籠る何名かをさらに外に出さざるを得ない。黒装束の暗躍で敵襲は警戒はされるがアジト内部が手薄にもなるというわけだ。

 しかし、現状では些か心持たない点がある。


「カルラ殿」

「承知している、囮の千鳥ちどりは一羽で足りぬのであろう?」


 軽い感動を覚える、この鬼道師殿は鬼道の腕以外に戦略にも通じていたのかと。

 敵の襲撃に警戒するのは当然の反応だが、敵の数によってなされる対処は異なるのだ。例えば相手が自軍より大規模な軍勢であれば全力で迎撃するか、それとも撤退するかの判断を迫られるが


「敵が少人数過ぎれば陽動が疑われ、逆にアジト内部の警戒を厳重にされる──それを避けるには」


 私はあの場に闖入し、黒装束と武威を振るうべきなのだ。

 別動隊の存在を意識させてこちらの数を誤認させるため。そして状況の把握を遅らせ、人質の身柄を押さえるのが本命だと悟られないために。


 その意を汲んだ鬼道師は、手にした紙を媒介に大きな鳥型の使い魔を創り出す。


「故にクリスト殿、これに乗る方がはやい」

「ありがたい!」


 天駆ける使い魔──成程、木々の乱立する地面を走るより空を往く方が早い。言葉を交わすまでもなくここまで私の思考を読んでいたとは。


「『鬼鶴』は其方の意志を読み取り、思うが儘に飛ぶ。上手くやるといい」

「承知した、カルラ殿」


 ひらりと鞍に跨ると鳥型の使い魔は我が意を得たとばかりに浮揚を開始する。

 大きく羽ばたき、一条の矢となって白昼の空を切り裂いた。

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