白飯はキャンバスだ

 深水には一つ下の弟がいる。

 彼はのほほんとして見えるが、少々神経質である。口の周りや指に何かつくのが嫌いで、ポテトチップスの類を箸で食べるのだ。そんな彼を深水は呆れたように見ていたが、実のところ彼女も少し神経質である。


 深水の場合、ご飯におかずなどを乗せて食べるのが嫌いだった。米の白さが汚されるのが無性に許せなかったのだ。納豆や海苔の佃煮を乗せても、乗せたものをいたずらに広げて混ぜることはしない。ご飯ごとすくうようにし、なるべくご飯は白いままでいてほしい。何故かそんなことにこだわっていた。


 ところが、深水の母親がなんでもご飯に乗せてから食べる人であった。漬物、梅干し、明太子、味付めかぶ、その日のおかず、なんでもござれである。なので、母の茶碗に盛られた白米はいつもいろんな色で染まってしまう。


 深水にとっては母の食べ方が許せず、生理的に受け付けないものであった。母親は好きだが、その食べ方をしているのを見ると、どうしてもげんなりした。


 それなのに、出産し、育児におわれる今、気がつけば母親と同じ食べ方をしている自分に気づいたのである。


 自分のご飯など後回しで、食べられたとしても台所で立ったままかっこんでいる。最後にゆっくり座って食事ができたのはいつだったか記憶にない。

 そんなとき、白米に冷蔵庫に常備してあるおかずを丼モノのように乗せてかっこんでいるのだ。昔は白米が汚れないようにと乗せたところからすくっていたのに、今ではあえて白米と混ぜてかっこむ。


 いつの間にか母親と同じ食べ方をしていたことに気づいたとき、深水は自己嫌悪に陥ることもなく、それどころか悪くないと思えた。『白米が汚れる』としか思えなかったはずなのに『白米を染めているんだ』と思える余裕ができていることに気づいたのである。しかも確かに時短になる気がする。


 白米という真っ白なキャンバスに描かれる食材の絵画。そう思えば、あんなに許せなかったものも、すんなりと「人それぞれ自由だよね」とスルーできるというものだ。

 第一、そんな些細なことにキリキリするなど、時間の無駄である。まるで猫に魚を頭から食べるか尻尾から食べるか訊いているようなものだ。どのみち胃袋におさまれば一緒なのだから。


 さて、今宵はここらで風呂を出よう。


 猫が湯ざめをする前に。

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