ライナスの毛布はどこへいった

 ある日、深水がテレビをつけると、ちょうど『ピーナッツ』のアニメを放送していた。

 この日のエピソードはスヌーピーがメインではなく、ライナスという男の子が周囲から安心毛布を克服するよう諭され、抵抗し、奮起するものだった。


 『安心毛布』とはいわゆる物に執着することで、特に幼児がお気に入りの物を肌身離さず持っているのをさすことが多い。タオルケットやぬいぐるみが手放せなかったなど、身に覚えのある人もいるはずだ。ライナスは青い毛布が手放せないのである。


 しかし、彼の祖母はいい加減に毛布をやめるよう言い、姉も祖母が訪ねてくるまでに毛布を手放すよう仕向ける。


 彼は毛布を『恐怖や不安を取り除いてくれるかけがえのないもの』だと言い切る。そして「どうしていつまでも毛布を持っているんだ」と責める友達に、「不安や恐怖のない人なんているの?」と声高に問いかけるのである。


 2歳になる深水の長男も、毛布と指しゃぶりが大好きである。深水だって、小さい頃はタオルケットをライナスのように持ち歩いていた。タオルケットの毛羽立った感触を唇に軽くこすり当てると、無性に安心したのだ。


 いつの間にかタオルケットは消えてしまったが、それでもライナスの叫びのとおり、不安や恐怖のない人なんていないのである。


 ではライナスの毛布はどこへ消えてしまうのだろう。


 消えてはいない。形を変えているだけだ。


 タバコがやめられない人もいる。お酒に変わることもあるだろう。物とは限らず「愛している」という言葉かもしれない。暴飲暴食、スポーツ、ギャンブル、買い物、音楽、ペット、もしかしたらピアスをあけたり、リストカットや「死にたい」なんて呟くことかもしれない。


 どうして毛布を無理にとりあげるのか、と疑問を声に出したあと、ライナスは声高に問いかける。


「みんな僕に不幸になってほしいの?」


 もしそれが自分の息子の言葉だったら、なんていうだろう。深水は考え込んでしまった。

 もちろん息子の味方でありたいし、彼の意思は尊重したい。

 けれど、彼の選んだ言葉や道が明らかに身を滅ぼすものだとしたら? それでも「好きにしなさい」と言えるのか。


 いつまでも毛布をぶら下げることで彼にとってマイナスになることが、社会的にはあるかもしれない。けれど、その価値観にライナスが納得しないうちは、それを押し付けることで彼の中の何かを壊してしまうのかもしれない。


 誰がどんな毛布を持っているのか、もっとわかりやすければ、寄り添いやすいのだろう。

 誰もが心のどこかで安心毛布を探し続けていて、何かに見いだすのだ。けれど、それが何かわからないと『依存』や『惰性』なんてものにすり替わる。知らずに見当はずれの価値観で切り刻んでしまう。


 ちなみに私のライナスの毛布は、布団をふみふみすることである。これがなくては我慢ならないのである。


 さて、今宵はここらで風呂を出よう。


 猫が湯ざめをする前に。

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