ナカメシグルリアンの駒

 深水の夫の祖母『おマサさん』は大正2年生まれである。

 関東大震災で燃える東京の火を群馬から見たこともあるし、戦争を生き抜き、5人の子を育て上げたのち、嫁や娘たちに代わって何人もの孫の育児を一手に引き受けたツワモノだ。


 そんなおマサさんはかなりの毒舌で強気な人であると同時に、やんちゃなところがあったらしい。子どもたちや孫たちに、なんちゃって英語を教えていたらしいのだ。


 たとえば電車のことは『ヒューットヒョーデル』と教えていた。これは『ヒュー』という音をたてて『ヒョー』っと駅を出て行く乗り物だかららしい。いかにも蒸気機関車の時代の人である。


 また、『ハゲ』のことは『ハエットマットスヴェール』と言っていた。語源は『ハエが止まると滑る』で、語尾の発音は下がる。

 おマサさんの嫁ぎ先は理髪店で、時々、客のことを「あいつ、なんでハエットマットスヴェールなのに頭かりに来るんだ」などとぼやいていたらしい。おマサさん、客に向かってとんだ暴言である。ちなみに『頭かりに』とは『髪を切りに』という方言らしい。


 そして『ぼたもち』や『おはぎ』のことは『ナカメシグルリアン』だ。『中がご飯で外はぐるっと餡』を語源とし、Rの発音が決め手になる。


 教えられた孫たちは本当に英語だと信じ込んだものの、もはや日本語としても容易には通じない。周囲の大人たちは「私たちにも教えたデマを孫にまで教えるな」と非難轟々だったらしい。


 ところが、大人になってから夫が『ナカメシグルリアン』をグーグル先生にきいてみると、実在したのだ。


 どうやら静岡県西部地区の遠州弁で『ぼたもち』や『おはぎ』のことを本当に『ナカメシグルリアン』というらしい。瓢箪から駒が出たわけだ。もしかしたら、日本全国探してみれば、他の地域でも『ナカメシグルリアン』と呼んでいるのかもしれない。


 時々、深水はおマサさんのエピソードを不意に思い出し、風呂の中で「ふふっ」と笑ってしまう。

 実際には会っていないから笑えるのかもしれないが、たとえおマサさんが自分とはそりが合わない人だったとしても、一度は会いたかったと残念に思うのだった。そして、もしおマサさんが姑だったなら、壮絶な嫁姑エッセイが書けたものを、と惜しく思うのである。


 さて、今宵はここらで風呂を出よう。


 猫が湯ざめをする前に。

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