完結したら詐欺

 深水は間が悪い。なにせ風呂の中で何かを思い出すことが多いのだ。メモをとる代わりに、湯船の中で忘れないよう呪文のように唱えるのである。


 呪文といえば『ハリー・ポッター』シリーズを思い出す。

 映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』が公開されたとき、深水は珍しく主人公に目を奪われた。若い俳優に興味を持つのは久しぶりのことだ。


 しかし、役柄を離れた彼には興味がない。あの衣装に身を包んだあの髪型の彼がいいのだ。それは『ホームズを演じるジェレミー・ブレット』よりも『ジェレミー・ブレットが演じるホームズ』が好きなのと同じである。


 彼女は俳優を見ずに役柄を見る。その結果「あの俳優が演じた、あの役柄が好き」となるのだ。なにを演じても好きな俳優はまだいない。


 音楽も小説も同じことだ。

 作品を好きになるけれど、作者を好きになったとは言い切れない。一曲しか好きにならないアーティストもいるし、他の作品まで知ろうとしないことも多々ある。たとえば石ノ森章太郎の『サイボーグ009』が大好きではあるが、彼のその他の作品は一切読もうと思わない。アニマルズの『朝日のあたる家』は大好きだが、彼らの他の楽曲は知らないままなのだ。


 深水はまるで猫のように気まぐれで、偶然の出逢いとインスピレーションだけが羅針盤だ。ピンときた作品を見つけると善は急げといわんばかりにすぐ手をつける。

 しかし、長い作品は『完結してから手をつけよう』となるから問題なのだ。私はそれを『』と呼んでいるが、気持ちがあってもなかなか手をつけられなくなる典型的なパターンだ。


 たとえばトールキンの『指輪物語』は名作であるし、一度は読まなくてはと思いつつ、積ん読を解消するのに10年かかった。一度ページをめくってしまうと一気に読み終えてしまったが、映画のほうはいまだ『完結したら詐欺』が発動したままで、1作目しか観ていない。

 

 トールキンのように作者がきちんと完結してくれればいいが、待っているうちに未完の大作となることもある。そうなると恐ろしいほどの虚無感にとらわれる。なにせ、終わりがない長い旅に足を踏み出すのは勇気がいる。『グイン・サーガ』が未完の大作になってしまったとき、深水の絶望は相当なものだった。

 ちなみに『サイボーグ009』も同じく未完の大作であるが、これはそうと知らずに読み始めたのだ。知っているのと知らないのでは大きく違う。


 『ハリー・ポッター』に挟んだ栞は1巻の1P目から動かないままだ。映画は公開されたあたりに2作目まで観たが、今となっては内容を覚えていない。『ファンタスティック・ビースト』の主人公をスクリーンで拝むなら、まず読むべきだろう。

 しかし『完結したら詐欺』を克服できるだろうか。野放しにしてきた惰性に打ち勝つことができるのか、見ものである。


 さて、今宵はここらで風呂を出よう。


 猫が湯ざめをする前に。

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