もう少し大きく括ってくれたなら

 深水のアパートから車で十分ほど走ると、日帰り温泉がある。育児が始まる前までは、深水もよく行っていたものだ。じっくり湯に浸かると逆子にいいと医師にすすめられ、妊娠中も温泉に浸かっていた。


 最後に行ったときは、敷地内にサザンカが咲いていた。深紅の花びらが可愛らしく、最初は椿だと思い込んでいたのだが、時期的にサザンカではないかと思う。


 深水は花が好きではあるが、詳しくはない。園芸に縁のない生活だったし、本州と違って北海道では咲かない花やならない実も多い。キンモクセイの香りがどんなものかも北海道民には伝わらないだろう。


 山形生まれの深水が北海道に引っ越して残念に思ったことの一つが、北海道には竹がないことだった。

 思い返せば彼女は小学生の頃から、竹藪が大好きだった。風が通りすぎるたびにざわめく音、その凜とした姿、ひんやりとした涼しさ。そういうものに心が震えるのだ。


 しかし、彼女が幼い頃から最も好きだった植物は苔である。

 もともと水辺の景色が好きなせいか、苔に無性に心を奪われ、小さい中に宇宙的な魅力を感じてならないのだ。

 小学生の頃の夢は、水の流れる庭のある家に住み、苔を観て暮らすことだった。ずいぶん渋い小学生である。


 しかし、人はよく「好きな花は?」ときいても「好きな植物は?」とはあまりきいてくれない。


 好きな花といわれても選びきれない。一時期は蓮が大好きだと思っていたが、考えてみれば彼岸花もクレマチスも矢車菊も同じように好きである。バラや椿のように品種名にロマンを感じて好きなものもある。まるで猫に「好きな魚は?」ときいているようなものだ。

 それなのに、好きな植物をきかれると不思議と「苔」という解答がすんなり出てくる。花も愛しているが、苔は別次元のところにいる存在らしい。


 もし誰かが「好きな植物は?」と訊いてくれれば、深水は苔への想いを語るのだろうが、残念ながらまだ熱弁をふるったことはない。誰かに語ってみたいような気もするが、かといって自分から切り出すのは興ざめだ。


 『花』よりもう少し大きく括って『植物』について質問してくれる人がいてくれたらと思う。しかし、その『もう少し大きく括る』ことが難しいのは他の局面にも共通している。俯瞰することは難しいのだ。


 さて、今宵はここらで風呂を出よう。


 猫が湯ざめをする前に。

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