オニカノZERO！

第4話 雷奈と響詩郎（後編・上の巻）

「では儀式を始めます」

　響詩郎（きょうしろう）の声が朗々と響き渡った。

　広い和室の真ん中には儀式の当事者たる彼と雷奈（らいな）の２人が向かい合わせとなって座っている。

　そして見届け人として雪花（せつか）と香桃（シャンタオ）の２人が少し離れた場所からこの様子を見守っていた。

「まずは霊力分与を行います」

　そう言うと響詩郎（きょうしろう）は指で印を組む。

　すると彼の背後から黒衣に身を包んだ仮面の憑物（つきもの）・勘定丸（かんじょうまる）が奇妙なその姿を現した。

　初めてそれを見ることになった雪花（せつか）はその異様さに思わず顔をしかめていたが、２度目となる雷奈（らいな）は比較的落ち着いた態度で勘定丸（かんじょうまる）を見上げる。

　悪路王（あくろおう）の影響で体にのしかかる倦怠感（けんたいかん）は相変わらずだったが、彼女の目には先ほどまでは見られなかった力強い光が宿っている。

　雪花（せつか）はそんな孫娘の変化に気付き、隣にいる香桃（シャンタオ）をチラリと見やるが、彼女はいつもと同じ薄笑みを浮かべてわずかに頷（うなづ）くのみだった。

　２人の視線の先では儀式が粛々（しゅくしゅく）と進められようとしている。

「勘定丸（かんじょうまる）」

　響詩郎（きょうしろう）の呼びかけに応じて勘定丸（かんじょうまる）は彼と雷奈（らいな）の間に浮かぶ。

　勘定丸（かんじょうまる）を通して響詩郎（きょうしろう）の霊力を第三者に分け与えるのが霊力分与の概要だった。

　具体的には勘定丸（かんじょうまる）が片方の手で響詩郎（きょうしろう）に触れ、もう片方で相手に触れることで双方を繋ぐバイパス役を果たす。

　勘定丸（かんじょうまる）はその片手を響詩郎（きょうしろう）の額に当て、もう片方の手を雷奈（らいな）の胸元に当てた。

　雷奈（らいな）はわずかに表情を堅くしたが、それでも平静を失うことなく勘定丸（かんじょうまる）の手を受け入れる。

　すでに霊力分与と代償契約についての説明を響詩郎（きょうしろう）から受けていた雷奈（らいな）は、こうした手順も納得の上で儀式に臨んでいた。

　それは祖母の雪花（せつか）も同様である。

　ところが響詩郎（きょうしろう）はどこか腑（ふ）に落ちない表情を浮かべている。

　そんな彼の様子に雷奈（らいな）も怪訝（けげん）な顔で尋ねた。

「どうしたの？」

「ん～。やっぱりイマイチだな……。あのさ、言いにくいんだけど、勘定丸（かんじょうまる）の手が当たる部分は肌を出してくれないか？」

　気まずい表情でそう言う響詩郎（きょうしろう）に雷奈（らいな）も顔色を変えた。

　思いもよらない追加の要求に雷奈（らいな）は目を白黒させる。

「は、はぁ？　あんた、何エロい要求してんのよ。こっちが儀式の知識がないからってドサクサに紛れて変なこと言わないでよね！」

　顔を紅潮させて文句を言う雷奈（らいな）に響詩郎（きょうしろう）も思わずムキになって反論した。

「そ、そんなことするか！　霊気口に直接手を触れないと勘定丸（かんじょうまる）は霊力をバイパス出来ないんだよ。服の上からじゃ伝わりにくいんだ」

　霊気口というのは霊気が体の内外を出入りする口であり、体のどこにそれがあるのかは人それぞれ異なる。

　響詩郎（きょうしろう）の場合は額に霊気口があるが、雷奈（らいな）のそれは胸元にあった。

　霊力分与の際は必ず勘定丸（かんじょうまる）が互いの霊気口に手を当てる。

　そのことは事前に互いが申告済みだったが、直接肌に触れる必要については響詩郎（きょうしろう）から言及されなかった。

　ゆえに雷奈（らいな）は目くじらを立てる。

「直接肌に触れなきゃいけないって何で最初から言わないのよ！」

　今にも噛み付いてきそうな勢いで雷奈（らいな）にそう問い詰められ、響詩郎（きょうしろう）はバツの悪そうな顔で答えた。

「いや、言ったらすんなり首を縦に振るのか？」

　そう言う響詩郎（きょうしろう）を視線で射殺（いころ）さんばかりに睨（にら）みつけると、雷奈（らいな）は口を尖（とが）らせてブツブツぶつと不満を漏（も）らす。

「何でそこまですんのよ。しかも肌を見せろって。何だかあなたがエロ医者に見えてきた」

「誰がエロ医者だ！」

「あなたよ！　患者が弱ってるのをいいことに治療と称して卑猥（ひわい）な行為を……」

「お、おまえいい加減にしろよ」

　言い合いを重ねる２人だったが、遅滞する事態を見かねた雪花（せつか）が仕方なく助け舟を出した。

「雷奈（らいな）。私ら見届け人の前で響詩郎（きょうしろう）殿が妙な真似（まね）をするはずがなかろう。信じて身を任せよ」

　そう言う雪花（せつか）に雷奈（らいな）は仕方なく頷（うなづ）いた。

「……分かりました。はぁ」

「いや、誰も見てなくても別に妙な真似（まね）しませんからね」

　心外だというようにそう言う響詩郎（きょうしろう）をキッと睨（にら）みつけると、雷奈（らいな）は後ろを向いて胸元をはだけた。

「あまり見ないでよね。っていうか絶対見るな」

　彼女にそう言われたからというわけではないが、響詩郎（きょうしろう）は雷奈（らいな）をあまりじっと見ないようにする。

（目のやりどころに困るっつうの。クソッ）

　響詩郎（きょうしろう）は心の中でそう悪態をつきながら雷奈（らいな）の首から下を見ないようにした。

　体調を崩してひどく弱っているとはいえ、雷奈（らいな）は美しい娘だった。

　その彼女が胸元をはだけて少し恥じらうように下を向いているその姿は響詩郎（きょうしろう）には少々刺激が強かった。

　この状況は雷奈（らいな）にとっても同様のようで、顔を赤らめて儀式の開始を急（せ）かす。

「さ、さっさと始めなさいよ」

「あ、ああ。分かってる」

　響詩郎（きょうしろう）はもう一度気持ちを引き締めて雷奈（らいな）の背後に立つ悪路王（あくろおう）に目をやった。

　治療行為とはいえ、勘定丸（かんじょうまる）で雷奈（らいな）に触れた途端、悪路王（あくろおう）が襲いかかってくる恐れもあるのだ。

　響詩郎（きょうしろう）は悪路王（あくろおう）を見上げ、視線を合わせるようにその目を見つめた。

　漆黒の大鬼は瞳のない赤い目を響詩郎（きょうしろう）に向けたまま微動だにしない。

　その胸中を読むことは出来ないが、響詩郎（きょうしろう）は敵意のないことを示すように心を落ち着けて目を閉じた。

「勘定丸（かんじょうまる）」

　響詩郎（きょうしろう）の呼びかけに応じて勘定丸（かんじょうまる）は今度こそ雷奈（らいな）の胸元に手を当てた。

　ほんの一瞬、雷奈（らいな）は顔を強張（こわば）らせたが、悪路王（あくろおう）は微塵（みじん）も動かなかった。

「よし」

　響詩郎（きょうしろう）は自分がまず最初の関門（かんもん）をくぐり抜けたことに手応えを覚えながら霊力分与を進めていく。

　勘定丸（かんじょうまる）は響詩郎（きょうしろう）の額から吸い上げた霊力を雷奈（らいな）の胸元へと流し込んでいった。

　その途端だった。

「イッ……痛い。痛いってば！」

　響詩郎（きょうしろう）からの霊力が注入され始めた途端、雷奈（らいな）は胸に鋭い痛みを感じて思わず苦痛の声を上げた。

「どうした？」

　響詩郎（きょうしろう）は驚いて霊力の注入を中断する。

　すぐに鋭い痛みは治まったものの、雷奈（らいな）の胸元にはジンジンとした鈍い痛みが残っていた。

「わ、分からない。けど……痛い」

　雷奈（らいな）は困惑して表情を曇らせた。

　響詩郎（きょうしろう）は再び悪路王（あくろおう）の様子を確認するが、黒鬼は先ほどまでと同様に泰然とその場に控えているだけだ。

　指先ひとつ動く気配も見られない。

　それを確認した響詩郎（きょうしろう）は雷奈（らいな）に再度の霊力注入を促した。

「今度はもう少し霊力の出力を抑える。ゆっくりいくからな」

　彼の言葉に雷奈（らいな）は口を真一文字に閉じて、眉間にシワを寄せながら頷（うなづ）いた。

　果たして霊力は響詩郎（きょうしろう）の言葉通り、ゆっくりと遠慮がちに雷奈（らいな）の胸へと流れ込んでくる。

　だが……。

「痛っ！　くぅ～……はあっ！　痛い！　あぐぅぅぅああああ！」

　雷奈（らいな）は先ほどよりも大きな声で痛がり、響詩郎（きょうしろう）は再び霊力注入を中断する。

　そのあまりの痛がりように手を止めた響詩郎（きょうしろう）を雷奈（らいな）は涙目でキッと睨（にら）みつけた。

「何でこんなに痛いのよ！　このヤブ医者！」

「ひ、人聞きの悪いこと言うなよ。そんなに痛むのか？」

「死ぬほど痛いわよ！」

「そ、そうか。痛がる客はあんたが初めてだ」

　そう言うと響詩郎（きょうしろう）は思案顔で原因について考えを巡らせるが、そんな彼の背中に雪花（せつか）が声をかける。

「雷奈（らいな）はもともと霊気口が狭いんじゃ。それに対して響詩郎（きょうしろう）殿の霊気サイズが大き過ぎるんじゃろう。だから痛みが強く出るのかもしれんの」

　雪花（せつか）の隣で香桃（シャンタオ）はなるほどと頷（うなづ）いた。

「もともと霊力が少ないから、霊気の吸気量と排気量も少なくて霊気口が発達しなかったんだろうね」

　そう言う２人の言葉を背中に受けながら、響詩郎（きょうしろう）は雷奈（らいな）の表情を窺う。

　彼女は胸元を手で隠しながら少々落胆していた。

「……す、すんなりはいかないわね」

「そんな顔すんなって。流し込む霊気の量を最小限まで絞る。少し時間はかかるけど痛みも抑えられるはずだ。ちょっとずつ慣らしていこう」

　粘り強く説得するようにそう言う響詩郎（きょうしろう）に雷奈（らいな）も再び覚悟を決めて応じる。

「……分かった。耐えるわ」

　それから響詩郎（きょうしろう）は可能な限り霊力の出力を抑えて雷奈（らいな）への分与を行った。

「ゆっくり行くぞ。体を楽にしろ」

「うん……うぐっ。くぅ」

「そんなに力むな。入っていかないから」

「そ、そんなこと言ったって。はっ、はぁ。は、早く終わって……」

　雷奈（らいな）は痛みに苦しみながらも休み休み響詩郎（きょうしろう）の霊力を取り込んでいく。

　すると感覚が麻痺（まひ）してきたのか、徐々に雷奈（らいな）も痛みに慣れ始める。

　響詩郎（きょうしろう）から流れ込む霊気の脈動を雷奈（らいな）は確かに自分の体内に感じ始めていた。

　そしてそれと同時に体の中が浄化されていくような開放感を覚える。

　雷奈（らいな）は初めて施された霊力分与の儀式に、無我夢中になりながら必死に耐え抜いたのだった。

　すべてが終わるまでには、かなりの時間を要した。

　しかし一時間ほどかけてようやく霊力分与が終わった時、雷奈（らいな）は響詩郎（きょうしろう）の霊力分与の効果を身に染みて感じることが出来た。

「よし。これでだいぶ楽になったろう？」

　そう言う響詩郎（きょうしろう）に雷奈（らいな）は穏やかな顔で頷（うなづ）く。

　強い痛みに耐えた疲れこそ残っていたが、雷奈（らいな）の体から先ほどまで感じていたどうしようもない倦怠感（けんたいかん）はきれいさっぱり消えてなくなっていた。

　雷奈（らいな）はすぐにでも庭に駆け出していけそうな体調の回復ぶりに驚き、両目をこれ以上ないほど大きく見開いて響詩郎（きょうしろう）を見やった。

「すごい。これが霊力分与……ヤブ医者だなんて言って悪かったわ。このまま代償契約も進めてもらえる？」

　雷奈（らいな）の変わりように苦笑しながら響詩郎（きょうしろう）は頷（うなづ）いた。

「ゲンキンな奴だな。まあそのつもりだよ。少し休まなくて平気か？」

「ええ。いけるわ」

　雷奈（らいな）の力強い言葉を聞くと、響詩郎（きょうしろう）は振り返って雪花（せつか）と香桃（シャンタオ）に告げた。

「このまま代償契約に移行します」

　響詩郎（きょうしろう）はそう言うと再び雷奈（らいな）に向き直った。

　事態が急変したのはその時だった。

　それまで指先ひとつ動かさなかった悪路王（あくろおう）が突如として太い腕を伸ばし、人の頭よりも大きな拳を開いて響詩郎（きょうしろう）の胴を握り締めたのだった。

「う……ぐああああっ！」

　強烈な力で締め付けられた響詩郎（きょうしろう）の口から悲鳴が漏（も）れた。

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＊本編はこちら

『オニカノ・スプラッシュアウト！』

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