鳥人間 3

 レイナはフライデーの、フライキャリアの選手だ。しかも来週には準決勝を控えた大事な時期。フライデーでの優勝はイミナとレイナの悲願だ。だが今彼に手を出してしまえば、レイナが加害者になってしまう。そうなればレースへの出場が危ぶまれる可能性も否定できない。

 ついでに翼を持っているということは、あの男も貴族と呼ばれるに値するだけの権力を持っているはずだ。もちろん貴族の地位にも強弱があるし、レイナの家――カータレット家は貴族の中でも上位に位置する。だが万が一カータレット家よりも高位の家系であれば、あちらに非があったとしても責任転嫁される危険性もある。

 レイナの気持ちがわからないわけではないが、イミナとしてはレイナを行かせるべきではないと思っている。


「それは、困る」

「でしょ」

「でも、ここで黙って見てるのは私じゃない」


 ただ、行かせるべきではないと思っているいるのと同じくらい、レイナを止められないということも知っていた。


「だよね」


 ここでようやく、イミナが立ち上がる。

 確かに、今彼らに関わることで、イミナたちにメリットはない。というか、あんな奴らに関わろうとする方がどうかしているとイミナは思う。実際問題、これだけ騒いでいるのに、誰も女の子たちを助けようとはしない。


 当たり前だ。

 相手は貴族だ。


 下手に助太刀などすれば、次に矛先が向けられるのは自分なのだ。それをみんなわかっているからこそ、手を出そうとはしないのだ。

 ここに至って一番賢い奴は、見て見ぬフリをしてこの場から立ち去る者。ちっぽけな正義感と罪悪感でこの場に留まっている人間はどっちつかずで一番危ない。そしてこれから首を突っ込むであろう自分たちは、この場で一番の愚か者だ。

 だが正直で、潔白で、正しいことしか貫けない、曲がったことが大嫌いなお姫様のお願いが、イミナは不思議と嫌いじゃなかった。


「おにーさん」


 どうしてくれようかと頭を捻っているレイナを置いて、イミナは一人で集団の真ん中に割った入り、集団の戦闘の男に話しかけた。

 ただその声は、感情のこもってない、ましてや敬意など欠片も込められていない声だった。


「なんだよ、ボーズ。見世物じゃねえぞ?」


 男の言葉などイミナには何の興味もなかったが、後ろに控えている取り巻きの女二人が「ちっちゃぁーい」「なにあれー、かわいいー」とか騒いでいるのは気に障った。男性の平均身長より小さい自覚はあるが、そこまで小さくはないと思い込んでいたので、少しだけ傷ついた。


 ――まあ、レイナ以外の人間の評価なんて、どうでもいいんだけど。


「やめたら?」


 イミナは男の目も見ずに、端的にそれだけ言った。

 感情なんて欠片もない、言葉以上の意味を一切感じさせない声だった。


「お前、誰だよ?」

「それ、楽しいの?」

「質問に答えろよ」

「みっともないよ」

「……喧嘩売ってんのかぁ?」


 状況的に喧嘩を売り出したのは男の方ではあるが、イミナはそれを口にはしなかった。


「貴族なら貴族らしくしたら?」

「下らねえことを言うじゃねえか。貴族だから、貴族らしくしてるじゃねえか! なあ!」


 後ろに控えた二人が可笑しそうに笑う。

 その耳障りな声を、イミナは無感情に眺めていた。

 自分と全く違う価値観を持つその人たちのいう貴族らしさとは、きっと自分の思うそれとは違うものなのだろう。

 同じ言葉を使っているようで、認識がまるで一致しない。

 これでは獣と話しているのと変わらないではないか。

 そして相手が人ではなく獣であるのなら、話合いで解決しようとするのは無謀と言えよう。


「……あんまり得意じゃないんだけどな」 


 ぼそ、っと呟いた。

 その声で気が付いたのか、レイナがイミナを睨んでいる。むしろ今の今までずっとこの状況の打開策を考えていたのかと思うと、さすがのイミナも呆れ顔になってしまうが、このタイミングで気づいてくれたのだからよしとしよう。

 レイナはイミナを睨んでいる。

 それもすごい形相で。

 恐らくイミナが何をしようとしているのか勘付いたのだろう。さすが二年と三か月を共に過ごした恋人だ。

 だからイミナは安心して、男に向き直った。


「あん?」


 イミナは目の前の男など、もはや興味もないし、見てるつもりもない。もちろん後ろの女二人を見ているつもりもあるわけがない。

 一瞬前に見えたレイナの瞳。

 怒気と、恐怖。

 そんな混ざり合った感情が垣間見えた気がした。


「羽が生えてるだけで偉そうにしてんじゃねーよ、鳥人間」


 イミナの声は、淡泊で、平坦で、一切の感情が削ぎ落とされた声だった。

 そして同時に、男にも女たちにも確かに伝わるように、必要以上に滑舌を意識した声でイミナはそう言った。

 結果、イミナの頬に男の拳が突き刺さり、翼のないイミナは硬い地面を転がる破目になった。

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