優先順位の問題 1


 このテーマパークで最大の高度を誇る乗り物は、ジェットコースターでもフリーフォールでもない。ゆったりと円を描いて回る観覧車の頂点が、このテーマパークで最高の地点だ。普段から空を飛ぶことが少なくない天翼人はともかく、翼を持たない大地人にとっては高い場所からの眺めをゆったりと臨められるというだけでも、観覧車は魅力的な乗り物だった。


「あんたさ」

「なに」

「もうちょっとやりようはないわけ?」


 イミナの頬は赤く腫れ上がっていた。

 地面を転がった時にできたのか、服も破れかけている箇所が見えるし、手にも擦り傷ができていた。


「レイナが先に手を出すわけにはいかなかったんだから、仕方ない」

「それはそうなんだけど、こんなに傷だらけにならなくたって……」

「派手に見えた方が正当防衛は通りやすいから」


 天翼人が持つ力――翼浮力。

 物を浮かせる、あるいは移動させることができる力ではあるが、普段からいつでも羽を伸ばして力を振るえるかといえ、そうではない。なぜなら翼浮力は扱い方を間違えば危険な力だからだ。

 天翼人が大地人と争えば、まず大地人に勝ち目はない。もちろん翼浮力が使えるからといって万能というわけではないが、それでもできることは少なからず増える。

 その上天翼人は社会的地位のある貴族だ。大地人にとって社会的にも実質的にも逆らうことのできない天翼人は恐怖の対象でしかない。

 だがそんな状況が長く続けば、全人口の八割を超える大地人が蜂起することは誰にでも想像できた。だからこそこの社会には、天翼人と翼浮力に関するルールが作り出された。


 貴族が公共の場で翼浮力を使える条件は二つしかない。

 一つは公的に許可されている場合。これは翼浮力の利用が必須な職業や、レイナたちが参戦しているレースが当てはまる。

 もう一つは、正当防衛、あるいは災害時・事故時の人命救助に必要なとき。


 衆目の中で派手に殴り飛ばされた上、相手の振る舞いを目撃していた人も多かった。正当防衛の証拠は十分だ。


「だからって、あんたが殴られる必要はないでしょ」


 イミナが殴り飛ばされた次の瞬間には、レイナは男の懐に飛び込み、顎に華麗なアッパーを喰らわせ、一撃で意識を飛ばしていた。イミナがようやく立ち上がるころには、野次馬の一人が連れてきた警備員に、男を引き渡していた。


「俺が殴られないで誰が殴られるのさ」

「私でもよかったじゃない」

「レイナが殴られるのは、嬉しくない」


 その言葉が、嬉しくないわけじゃない。

 でもその言葉をすんなりと受け入れてしまうような女になりたくないというのも、捨てきれない本音だった。


「あたしだって、あんたが殴られるの、嫌なんだけど」

「レイナ、殴られたかったの?」

「そんなわけあるか」


 レイナがふくれっ面で、イミナを咎める。

 男と女という区別の前に、レイナは天翼人であり、イミナは大地人だ。

 翼浮力を使えば、完全な無効化は難しくても敵対者の拳を遅くしたり、攻撃を避け続けたり、あるいは逃飛することも難しくない。正当防衛の大義名分が欲しいというだけなら、レイナが翼浮力を使い相手の攻撃に制限を加えたうえで殴られるのが効率的だったのだ。


「俺だって殴られたくはないけど、レイナが痛いのに比べたら、マシ」

「……私だったら、殴られても大して痛くないじゃない」

「知ってる。でも、嫌なんだ」


 それにもかかわらず、イミナが真正面から殴られるのを見ていることしかできなかった――否、しなかったことをレイナは自覚していた。

 イミナにとっての価値観の基準は、レイナだけ。

 それをレイナも分かっていて。

 嬉しくて。

 でも恥ずかしくて。


「あんぽんたん」


 自分のために体を張ってくれる恋人を愛おしいと思う気持ちと。

 自分のために彼が傷つくことをどこがで喜んでいる自分を蔑む気持ちと。

 その両方が混ざり合った末に、レイナはため息を漏らした。

 ――変わらない。

 そう、何も変わらない。

 イミナに初めて会った十年前から、何も変わっていない。

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