空が飛びたいんだ


 下部工場と呼ばれているこの場所に、太陽の日差しは届かない。

 照明はもちろんあるが、それでも浮島の内部にあるせいなのか、工場内はどこも薄暗い印象を受ける。壁の色でも変えてやればいいのかもしれないが、そんなことを実行しようとする人はいないし、そんな考えを持つ人もいないだろう。ついでに、誰がそんなことする権利を与えられているのかさえも曖昧だ。要は管理体制が杜撰なのだ。

 そんな薄暗い工場が、イミナにとっては嫌いな場所ではなかった。

 幼いころから日の届かない暗がりで過ごした時間が長かったせいかもしれないが、不思議とこの鉄臭い空間の居心地がよかった。


「おーい、イミナ! 終わってるか?」


 工場の奥から、体格のいい男がイミナに呼びかけながらやってきた。

 高い身長にほどよく筋肉が付き、ツナギ姿も様になっている。

 男の名前はソウジ。

 イミナにとって幼いころからの友人の一人だ。


「仕事は終わってる」


 ぶっきらぼうにそう答えたが、ソウジはイミナのそんな態度にも慣れた様子で、嫌な顔は欠片も見せない。


「仕事はって……イミナ、お前またこんなもんいじってたのか」


 嫌な顔は見せなかったが、イミナの手元を見て呆れた声を出した。だがイミナは気に留めない。

 ソウジの『こんなもの』という発言も、『こんなくだらないものをいじっていたのか』という侮蔑ではなく、『こんな複雑怪奇なものをよくいじれるな』という感嘆に近い意味合いだということをイミナ自身がよくわかっているのも理由かもしれないが、それ以上に興味が薄いという意味合いが強いだろう。


「どうせカズサはまだかかると思って」

「それは、まぁ、いいんだが……こんなもん弄ってて、お偉いさんにばれたらまずいんじゃねえのかね」

「メーアさんに言われたら考えるよ。多分」


 イミナが手にしているのは、翼だ。

 それも、血が通い、羽毛に包まれた翼ではなく。

 金属と油でできた、鋼鉄の翼だった。


「機工翼、だったか?」

「らしいね」


 イミナは顔も向けずに作業を続けている。

 可愛げのないぶっきらぼうな受け答えだが、こういうところは小さいころから変わらないなとソウジは思う。夢中になっている横顔は、まさに子供のソレだ。


「それ、動くのかよ」


 機械でできた翼。

 機工翼、と呼ばれているそれは、かつては盛んに研究されていたものだという。技術的な問題点があったのかは不明だが、現在では技術だ。


「システム的には」

「システム以外に問題があるのか?」

「人に付けたことはないから。付けてみないとわからない」

「そりゃそうだな」


 その翼は、不思議な形をしている。

 長細い四角柱のような部分から、金属の羽が重なりながら広がっている。驚くべきはその羽の薄さだ。向こう側が透けて見えるんじゃないかというほどに薄く延ばされており、簡単に折れてしまいそうだ。

 ソウジからしてみればその翼は非現実的な代物だ。

 が――が背に持つ翼は、こんなものとは似ても似つかない。鳥の持つソレに近い翼だ。生き物としての温かみのあるものだ。無機質な鉄の板とは似ても似つかない。


「なあ、イミナ」

「ん」

「なんでそいつに拘ってるんだ? お前」


 ソウジとイミナに翼はない。

 翼を持たない人――大地人だ。

 ソウジだって翼がある人々を羨んだことがないと言えば嘘になる。イミナだってきっとそうだろう。

 翼があるかないかで、ある程度の貧富が決定づけられてしまうことは、生きていくうえで避けられない定めだ。それを仕方のないことだと最初から納得できはしない。でもさすがに二〇年も生きてみれば、生まれた瞬間から存在する格差にも諦めがつく。

 自分に翼はない。

 翼はないが、足はある。

 手もある。

 目も耳もあれば、鼻も舌もある。

 翼がないことで差別や迫害を受けるわけでもなく、それどころか世界人口の大半は大地人だ。天翼人は全人口の二割にも満たない。

 翼があれば選べる仕事は増えるし、そもそも天翼人の家系はどこも大富豪の貴族だ。羨む気持ちが一切なくなったのかと言われれば、そうではないかもしれない。でもそんな気持ちとも折り合いがつくようになるものだ。

 翼なんかなくたって、それなりに面白おかしく生きていければそれでいい。

 多くの大地人と同じように、ソウジはそう思っている。

 例えイミナが機工翼の開発に成功したとしても、その無機質で異様な鉄塊を背に括り付けてまで、翼が欲しいとは思えなかった。


「あれ。話してなかったっけ」

「聞いてないな」


 イミナが汗と油に塗れた頬を拭い、ここにきて初めてソウジの方へ顔を向けた。


「空が飛びたいんだ」

「何のために?」

「いや、だって……」

「だって?」

「…………」

「だって?」

「……あいつだけ飛べるの、なんかかっこ悪いじゃん」


 イミナが口にしたあまりにも子供っぽい理由を耳にして、ソウジは声を上げて笑ってしまうのを抑えられなかった。

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