#06 海の子守唄

01 サスペンション

 カイリとハルタのアジ釣りは大漁だったみたいだ。食卓には、活きのいいアジの刺身と塩焼きが並んだ。

 新鮮な刺身はグリグリと歯ごたえが強くて、身に乗った脂が虹色っぽく光を反射している。少しも臭みがなくて驚いた。刺身にできるくらい新鮮な魚を塩焼きにしてしまうのも、もったいなくて驚いた。

「なあ、兄貴も明日は来いよ! すっげーいっぱい魚がいるんだ。まともに釣りやったの初めてだけど、メチャクチャおもしろかった。魚が掛かったときのビクビクッて来る感じ、釣り以外じゃ絶対、味わえないって!」

「今日これだけ釣っておいて、明日も釣るのか?」

「明日はまた全然違う魚を狙うんだよ! な、カイリ?」

 カイリは刺身を口に運びながらうなずいた。魚をさばいた後、夕食の直前にシャワーを浴びたカイリの髪は、濡れてペタリとしている。朝、全身ずぶ濡れだったカイリの姿とその体の柔らかさを思い出して、おれは勝手にドギマギした。

 スバルさんが、余った刺身を翌日もおいしく食べる方法を披露した。

「醤油と砂糖と酒に、生姜やニンニクや胡麻を入れた漬けだれを作って、刺身を一晩、漬け込むだけ。翌日の朝、あつあつのごはんに載せて食べると最高だよ。お茶漬けにしてもまたおいしい」

 翌日でも刺身として十分おいしく食べられそうだけれど、島の人は、釣ってさばいた当日じゃないと、魚を生で食べないらしい。不便な島とはいいつつ、ある意味ではものすごく贅沢な環境だ。

 どこに飛び込んでも話題の中心をさらっていくハルタは、この食卓でも主役だった。釣りのことをにぎやかにしゃべりまくって、勢い付いた言葉が意味不明になって、カイリにフォローされている。

 普段ならハルタの話をフォローするのはおれなのに、今は透明な分厚い壁が目の前にあるみたいだ。おれだけが、夕食の会話から隔離された場所にいるように感じる。

「おれら、魚釣った後にさ、そのまま海に飛び込んだんだ。涼しくて、超気持ちよかった! 水中眼鏡で潜って、魚、追っ掛けたりした。でさ、カイリはやっぱすっげー泳ぐのうまいんだよな。スーッて、メチャクチャ自然に泳ぐんだ。人魚みたいだった」

「ハルタも、泳ぐのうまいよ。島で育ったわけじゃないのに」

「おれはスポーツ系なら何でもできんの! でも、釣ったのも泳いだのも、ほんっとに楽しかった。海から上がった後にさ、近所のばあちゃんが出てきて、ホースで真水ぶっ掛けてくれたのも楽しかった。だから、明日は兄貴も絶対一緒だぞ!」

 正面から、ハルタに笑顔を向けられる。おれは目をそらして箸を置いた。睡眠発作が起こった日は、あまり食欲が出ない。透明な壁も消えない。

「体調がよければ、一緒に行く。でも、明日はスバルさんの発電施設を見学させてもらう予定だから、遊ぶならその後だ。ハルタは別に、見学には来なくていいけど」

「おれも行く! 風車、見たい! なあ、スバルさん、兄貴だけじゃなくて、おれも連れてってもらえるだろ?」

 ハルタは本当に丁寧語を使えない。学校でもさんざん注意されているというのに一向に身に付かなくて、おれが先生方の愚痴を聞かされる羽目になる。ハルタが大人としゃべる場面に居合わせると、胃が痛い。

 でも、スバルさんはハルタの無礼を気にしていないらしい。のんびりした笑顔には少しも無理がない。それどころか、おれの目にも明らかに、スバルさんはハルタを気に入っている。

「もちろんだよ、ハルタくん。ほかにも行ってみたい場所があれば、クルマで連れていくよ」

「じゃあさ、龍ノ原とは反対側、行ってみたい。ネットで写真見たんだ。日本じゃないみたいな景色で、びっくりした。おれもあの写真、自分で撮りたい。とうちゃんのデジカメ、借りてきてんだ」

 スバルさんが、了解と言って笑う。子どもみたいに率直なハルタは、何の努力もしなくても大人に好かれる。おれには真似できない、ハルタだけの特別な才能だ。昔からそう。ハルタは、勉強はできないくせに、勘がよくて要領がよくて。

 何だか、ダメだな。今日はイヤな考え方ばかりしてしまう。

 いや、今日に限らないか。倒れた後はいつも、まわりに迷惑を掛けたり心配されすぎたりして、気持ちが卑屈になる。

 もう、いいや。

「すみません、ごちそうさまです。ちょっと頭が痛いので、先に部屋に戻ります」

 席を立ったら、三方から真剣な目を向けられた。おれはごまかすように笑って、使った食器を台所まで運んだ。

 頭が重くて体がだるい。ここが学校なら無理して頑張れるけれど、カイリもハルタもスバルさんもおれの体調のことを知っている。甘えてしまっていいか、と思った。もう、どうでもいい。

 また一つ、ふつりと、糸が切れる。宙吊りにした、剣持ユリトという名の操り人形。演じる役柄は、いつも笑顔の優等生。

 だんだん危うくなってきた。いつ、全部の糸が切れてしまうんだろう? いつ、おれは落ちてしまうんだろう? いつ、これが自分だと信じてきた人間が中身のない仮面だと、決定的に突き付けられてしまうんだろう?

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